このブログは円居短歌会の学習とコミュニケーションの広場です。会員の皆様はご自由にトピックスやコメント等を書き入れてください。円居短歌会では現在会員を募集中です。あなたが今お住まいの地域にとらわれずにインターネットと電子メールが使えればどこからでも参加できます。あなたもぜひ短歌を作ってみませんか。会についての詳細は638chiyoko@gmail.com までご連絡ください。
2011年7月16日土曜日
「異化」ということ。
先日雑誌「短歌」の7月号を受け取りました。今号の特集は「詩性を得るヒント」でしたが、その中で吉川宏志氏は”技術・方法論”を書いています。「限定・飛躍・異化」と3つの項目で書いていますが、”異化”(普段とは異なった言葉の使い方をすることで、日常の言葉の枠組みを揺さぶること)ということで取り上げられていた歌に、”なるほど”と、非常によく理解できる歌がありましたので、紹介したいと思います。岡部桂一郎氏の歌「人の来て鋏鳴せり秋空の石榴の枝は幹を失う」を取り上げています。普通私たちは、枝が落ちる、切り落とされる、枝を失う という見方をします。ところが、枝を主に考えれば、今まで安心してくっついていた幹を失ったことになりますね。すごい見方ですね。この表現によって、読者はまたさまざまな連想が浮かび上がってきます。両親を失った子供、会社をやめたサラリーマン、属していたグループを飛び出した歌人、アスリート、芸術家、さまざまなことが思われますね。独自な表現、自分の見方、視点を変える などなどよく言われますが、上記の歌を読むと、その意味がよく理解できないでしょうか。私は、眼が覚めたような思いにとらわれました。
2011年7月10日日曜日
「ことば」を磨く
「星座」7月号が届きました。その中で、主筆たる尾崎左永子氏と現代詩、短歌、俳句、オペラ、新作能など多彩な作歌活動をなさっている高橋睦郎氏との座談会がありますが、感銘を受けた言葉がありますので、紹介したいと思います。高橋氏は「・・・物や事に対して「ことば」があると言われますが、「ことば」は何かの代行だけではない。一度身心未分な中を通過しない「ことば」は、多分、人の心に伝わらないのではないかとつくづく思います」と言っています。また「日本人はいい加減にことばを使ってきたから、これだけ沢山の短歌や俳句ができたわけです」とも。尾崎氏は「映像短歌は残らない。記録としてのものなら映像の方が圧倒的に強いし、何かが足りないな(映像を見て詠った歌に対して)と感じます」と。そして今回の震災の歌に関して「・・・今、やたらに震災の歌があふれています。それも映像短歌が多いんです。震災にあった方があとから震災の歌を詠むことは当然としても、安全圏にる傍観者が「これが時事的な感動だ」と捉えて歌うのはやめて欲しいと思いますね」と。
上記の文で、「身心未分」という言葉ですが、分かりずらいと思いますので、私なりの解釈を試みます。ようするに、頭で考えた言葉ではなく、身心がまだ分かれていない、直感的なもの、触覚的なもの が感じ取ったものを言葉にする努力をして歌を詠んだ時には、その歌が読者の心を揺さぶる、ということだと思います。映像や絵をみて、単に言葉に置き換えて作った歌では、読者に感動をもたらすことは出来ないし、いい加減な言葉遣いとなってしまう、ということだと思います。
その他に心に残った言葉は、お二人の発言の中に、「我慢と蓄積が足りないで、直ぐに言い捨ててしまう」ということでした。ある感動、ある心の動き、かすかな未分のとらえたある感覚とか、あるいは目の前の出来事の中で、言葉にしたいものがあって、そのことを長い間貯めておいて、我慢をし、熟成するまで蓄積をしておく、ということだと思います。そしてある時、ああこういう表現がぴったりだ、と思えるものが出てくるはずです。ですから、何かに追われて作歌をするのではなく、普段からパソコンに入れたり、ノートに書いたりして、作っては訂正し、訂正しては作り、熟成したときに作品として提出することが一番いいと思います。今までの歌も時によりめくり返して、自分で添削しなおすことも大事だと思います。
上記の文で、「身心未分」という言葉ですが、分かりずらいと思いますので、私なりの解釈を試みます。ようするに、頭で考えた言葉ではなく、身心がまだ分かれていない、直感的なもの、触覚的なもの が感じ取ったものを言葉にする努力をして歌を詠んだ時には、その歌が読者の心を揺さぶる、ということだと思います。映像や絵をみて、単に言葉に置き換えて作った歌では、読者に感動をもたらすことは出来ないし、いい加減な言葉遣いとなってしまう、ということだと思います。
その他に心に残った言葉は、お二人の発言の中に、「我慢と蓄積が足りないで、直ぐに言い捨ててしまう」ということでした。ある感動、ある心の動き、かすかな未分のとらえたある感覚とか、あるいは目の前の出来事の中で、言葉にしたいものがあって、そのことを長い間貯めておいて、我慢をし、熟成するまで蓄積をしておく、ということだと思います。そしてある時、ああこういう表現がぴったりだ、と思えるものが出てくるはずです。ですから、何かに追われて作歌をするのではなく、普段からパソコンに入れたり、ノートに書いたりして、作っては訂正し、訂正しては作り、熟成したときに作品として提出することが一番いいと思います。今までの歌も時によりめくり返して、自分で添削しなおすことも大事だと思います。
2011年7月1日金曜日
百人一首
先日、日系シニアホームで隔週土曜日にボランティアを一緒にしている方からブリティッシュコロンビア大学の東アジアの文化を研究する学部で日本の古典文学を教えていらっしゃるモストウ教授にプリゼンテーションを見てもらう機会があるので一緒に行かないかとお誘いをうけたので、私も勉強の為にカナダのバンクーバーまで行って来ました。このボランティアというのは百人一首のゲームをすることなのですが、モストウ教授は日本の古美術、特に中世の絵画等にも造詣が深く、中世短歌や伊勢物語についての本も書かれています。驚いたのは江戸時代の百人一首の木札をを見せてもらったことでした。木札には筆で変体カナ、草体で歌が書かれていました。私には読めませんでしたがとても貴重なものを見せて頂いて江戸時代の人が百人一首のゲームをしている様が浮かんできてタイプスリップしたようでした。写真はバンクーバーの駅前の木の彫刻の前。行きと帰りは電車とバスのゆったり日帰り旅行でした。
2011年6月13日月曜日
萩さん、Yokoさんのコメントについて
萩さんの「自分の表現」という私の投稿に対するコメント読みました。その中で「何かを生み出すということは苦しさと二人三脚なのだと今更ながら感じています。」 と書いておりますが、まさしくその通りだと思います。推敲を重ね続けていると、一首がぐちゃぐちゃになったりして、もう身体全体に熱が出てきたりしますが、歌がすっきりした表現に出来上がったときには、何物にも代えがたい深い喜びが湧いてくるのも事実です。瞬間的なものであっても、それは真に生きる喜びにつながる感情ではないかと思います。ですから何か打ち込めるもの、私たちにとっては「短歌」という表現形式をおろそかにしたくないと思います。折角出会ったものですから、異国に住んでいる、というハンデを乗り越えて、少人数であっても、教えあい、学びあって、みんなで単なる趣味でないところへ、日々努力してたどり着きたい、と願っています。
白樺さんは「きぬさん」の推敲過程を通し、実際によくなっていく短歌に触れて、「諦めない」ことの大切さをコメントしていましたが、本当に諦めず日々努力することの大切さを、私は今、身をもって学んでいます。「私は才能がないから・・・」などということは、自分の努力を諦めた人の台詞であると思うのです。書道にしても短歌にしても、自分より優れた人たちがごまんといることに気づかされたのは、はじめてしばらくたってからです。実際に自分が書道会に入り、毎月の選書に自分の書を提出して、昇級、今は昇段にチャレンジし、如何に自分の字の基礎がなっていないかを気付かされました。そこで毎日毎日、漢字は「王義之の蘭亭の序」、仮名は、「高野切れ」を、臨書し始めました。しかし、来る日も来る日もたまらないほど下手な字しか書けず、絶望に近い思いをしつつ、それでも書き続けていました。半年ほど続けたある時、昇段試験に提出した漢字と仮名、一字の創作の三点を、めったに褒めてくれない先生が、「正に入魂の作。漢字も仮名も同様です。本当に嬉しく拝見しました。」というお手紙を下さったのです。最初は狐につままれたような感じでした。私には少しも上手くなったとう気持ちがありませんでしたから。ただ、書いて書いて、もうこれ以上は何枚書いても同じですから、提出します、ということで提出したものでした。しばらくたって、初めて「才能などなくても、ぎりぎりのところまで努力すれば、必ずあるところまでは到達するのだ」という確信を得た体験でした。これはけっして自慢で言っているわけではなく、皆さんにも、自分を信じてぎりぎりまで努力すれば、必ず伸びる、ということをお伝えしたかったのです。これは短歌にも言えることで、今、私は万葉集を書き写しています。4500首の歌を学びつつ写して、いったいどれくらいの月日がかかるか分かりません。でもやり遂げる、というのが、私の決断です。長歌も短歌も、詞書もありますし、分からない古語はいっぱいですから、一日数首から、短歌だけなら5首から10首がせいぜいです。どうしても時間のとれないこともあります。でも、前を向いて、自分の出来る限りの努力をしてみたい、と思っています。すべて自分のためにしていることですが、少なくとも円居短歌会での仲間がいる、ということは心強いことです。もし、皆さんもチャンスがありましたら、好きな作歌の歌集を一冊丸写ししてみることをお勧めします。一冊写し終える頃には、きっと歌がずっと進歩しているはずです。
白樺さんは「きぬさん」の推敲過程を通し、実際によくなっていく短歌に触れて、「諦めない」ことの大切さをコメントしていましたが、本当に諦めず日々努力することの大切さを、私は今、身をもって学んでいます。「私は才能がないから・・・」などということは、自分の努力を諦めた人の台詞であると思うのです。書道にしても短歌にしても、自分より優れた人たちがごまんといることに気づかされたのは、はじめてしばらくたってからです。実際に自分が書道会に入り、毎月の選書に自分の書を提出して、昇級、今は昇段にチャレンジし、如何に自分の字の基礎がなっていないかを気付かされました。そこで毎日毎日、漢字は「王義之の蘭亭の序」、仮名は、「高野切れ」を、臨書し始めました。しかし、来る日も来る日もたまらないほど下手な字しか書けず、絶望に近い思いをしつつ、それでも書き続けていました。半年ほど続けたある時、昇段試験に提出した漢字と仮名、一字の創作の三点を、めったに褒めてくれない先生が、「正に入魂の作。漢字も仮名も同様です。本当に嬉しく拝見しました。」というお手紙を下さったのです。最初は狐につままれたような感じでした。私には少しも上手くなったとう気持ちがありませんでしたから。ただ、書いて書いて、もうこれ以上は何枚書いても同じですから、提出します、ということで提出したものでした。しばらくたって、初めて「才能などなくても、ぎりぎりのところまで努力すれば、必ずあるところまでは到達するのだ」という確信を得た体験でした。これはけっして自慢で言っているわけではなく、皆さんにも、自分を信じてぎりぎりまで努力すれば、必ず伸びる、ということをお伝えしたかったのです。これは短歌にも言えることで、今、私は万葉集を書き写しています。4500首の歌を学びつつ写して、いったいどれくらいの月日がかかるか分かりません。でもやり遂げる、というのが、私の決断です。長歌も短歌も、詞書もありますし、分からない古語はいっぱいですから、一日数首から、短歌だけなら5首から10首がせいぜいです。どうしても時間のとれないこともあります。でも、前を向いて、自分の出来る限りの努力をしてみたい、と思っています。すべて自分のためにしていることですが、少なくとも円居短歌会での仲間がいる、ということは心強いことです。もし、皆さんもチャンスがありましたら、好きな作歌の歌集を一冊丸写ししてみることをお勧めします。一冊写し終える頃には、きっと歌がずっと進歩しているはずです。
2011年6月8日水曜日
自分の表現
先日来、井後きぬさん(佐織さん)とのメールのやり取りで、きっと皆様にも役立つことがあるかもしれない、と思い、このブログに概要を書き込みます。
五月のきぬさんの歌「 凧糸に風の力が張りつめて凧は舞い上ぐ大空高く」に対して、きぬさんは、萩さんの講評(萩)゛凧糸に風の力が張りつめて″と勢いがあるのに、後半が常套句で一般的な歌になってしまって残念に思いました。きぬさんならではの思いが入るといいのではないでしょうか。
を参考に*凧糸は風の力が張りつめて凧の赤空に吸い込まれ行く と推敲しましたが、私が最終歌に対してまたコメントをしました。(千代:上記のように推敲すると、凧糸が主になるのですが、凧より凧糸を主に詠んだのですか? 少し理屈が先立つ歌になってしまった感じがします。風の力と言わなくても、風だけで十分だと思いますが。凧が赤い夕日の空に吸い込まれていく、その姿だけで詩的で素敵な一首を成しています。もし凧糸の張り詰めるのを詠いたいなら、また一首作らないと、主が二つ読み込まれてしまっています。)
この私のコメントに対しきぬさんから以下のメールをもらいました。
実は、下の句を変えたのは、堀様からのご指摘で下の句がありふれた表現になっているということに私もなるほどなあ、と感じたのと、先生がブログの「敷島の道」の中に自分の心情を映し出すような自分自身の表現でないといけない、という内容のことを書かれていたのですが、これにガツン!と頭を打たれたような、改めて表現することをもっと大切にしていかなければ、と思わされました。それで今後は、できるだけ常套句は使わないで、もっと自分独自の表現をして行きたいと思ったのです。ギクシャクして不自然な表現になってしまっても、自分の心を映し出す表現をする練習が必要ですね。でも、この最終歌では言いたい事が上手く表現できていなかったようです。下の句「凧の赤空に吸い込まれ行く」の意味は、「凧の赤い色(実際はオレンジの凧だったのですが)が(点になって)空に吸い込まれて行く」という意味だったのですが、確かに意味が伝わり難い表現だったと思います。「凧糸」の部分は、自分で凧を揚げていたので、糸を通して手に伝わる風の力を感じたのがとても強く印象に残っていて、「糸に感じた風の力」と「舞い上がる凧」を一体として歌いたかったのですが、そうであれば、もっと言葉が整理されてよく詠み込まれていないと、主が二つあるように感じてしまう、という点は本当にそうだと思います。一点に絞るか、両方詠み込むことをもう少し努力してみるか、もう少し考えたいと思います。できれば後数日お時間を頂いて、もう一度推敲してみたいと思いますので、もう少しお待ち頂けますでしょうか。(千代:私はきぬさんの歌を読み間違えていたようですね。下の句”凧の赤、空に”だったのですね。私は、”凧の赤空(あかぞら、夕焼けのそらと思っていました)に”
山口からのメール
「自分の表現」をすることは、本当に大切なことだと思います が、自分だけが分かる表現であってはならない、ということも、いつ> も念頭に置いて おかなくてはならないと思います。理解しあえる根拠がどこかにある こと、つまり共 通理解が可能なものでなくてはならない、ということです。
「自分の表現」をすることは、本当に大切なことだと思います が、自分だけが分かる表現であってはならない、ということも、いつ> も念頭に置いて おかなくてはならないと思います。理解しあえる根拠がどこかにある こと、つまり共 通理解が可能なものでなくてはならない、ということです。
きぬさんからのメール
本当に、そうですね。「自分の言葉で」ということに力を入れる余り、独りよがりな表現になりがちな気がします。
昨日提出させて頂いた二首にも、自分でもそれを感じていて、もっと推敲が必要だなと思いながら、時間切れで提出させて頂きました。また皆様からの講評を頂いてから、推敲させて頂きたいと思います。それにしても、ありきたりな表現を使うと、容易に他人にも理解してもらえるし、作歌も楽にできるけれど、自分を自分の言葉で表現しようとすると、色々とバランスが難しいと感じます。しばらくはギクシャクした表現で、意味も伝わり難くなってしまうかも知れませんが、精一杯やってみたいと思います。いつかその内に、自分の表現が素直にスムーズにできる日がくれば良いなあ、と願っています。
山口のコメント
独自な表現でありながら、共通理解ができるものが根底にある表現、ということで、次の歌をあげてみたいと思います。5月号の雑誌「短歌」の中で”<借り物のことば>を省こう”というタイトルで、大松達知氏が、読者の歌”黒豆の粒つやつやと”(これは常套句であり、ありきたりの表現ですね)を、”闇を秘めたるごとく”と、添削例を出されています。独自の表現でありながら、一つひとつの言葉は、決して難しくなく、誰でも理解できる言葉の範疇ですね。こういうことを独自の表現でありながら、共通理解が可能な表現、というのだと思います。
少しでも参考になれば、と投稿しました。
2011年5月27日金曜日
古典文法学習について
上記の佐織さんのPostに対するコメントを書いたのですが、どこかへ行ってしまいました。Comment as Google Accountとして、Post Commentを押すとコメントがどこかへ行って消えてしまったのです。何度試みても同じことが起こります。そこで、ものは試しで、今度はLink To This Commentのところをクリックして書いています。これでも上手くいきませんので、新たなタイトルでまた投稿します。
あまり、難しく古語文法を考えなくてもいいと思います。まず(近代古語 というようなものはありません。万葉時代からの言葉を習い、それをその時代の詩歌や小説、随筆、日記などに応用して書いたものを、近代古語と佐織さんは言っているのでしょうね)、近代短歌の始まりと言われる、子規の短歌から伊藤左千夫、そして斉藤茂吉、それから佐藤佐太郎、それから尾崎左永子などへと受け継がれた、格調高き歌がありますが、それらの歌人の歌集(私はまず斉藤茂吉を勧めますが)を一冊求めて、その歌の中で、分からない古語を拾い出し、辞書を引き、一首一首丁寧に読んで理解してみることです。その時、特に助動詞には注意をして、(助動詞の使いこなし、理解が古語の中でも一番難しいと思いますので)分からないときには、一首全部をこのプログにPostして、この助動詞はどういう意味があるのかを、公開質問をすると、自分も含めての会員全員の学習になると思います。よく私の先生が言っていましたが、「古典と言えども日本語なのですから、恐れることはないのです」と。しかし、なれないと、特に源氏物語などは主語がないので、さっぱり分からない部分がありますし、平安時代の書き物は、あの時代の知識階級の人たちのものでしたから、中国の古典などは皆が読みこなし、「あ」と書けば「ん」は書かなくても暗黙のうちに理解できていたので、省略も多いですから、文法を習うのに、あえて古典を読まなくても、万葉集を徹底して研究した斉藤茂吉などの歌集などを読んだらいかがでしょう。斉藤茂吉の歌集では、第一歌集「赤光」がもっとも有名ですが、。手に入るものから、丁寧に読んでいく学習方法をお勧めします。一冊きちんと読みおわれば、歌で使われる古語文法は網羅できると思います。それから、私は、インターネットでいろいろな人の歌集や辞典を調べ、古本を見つけます。古本は海外には送ってくれませんので、(新本は文庫ならいいですが、結構高価ですから。時には古本で、一円というものもあります。国内送料は250円くらいです。)帰国時期が決まると、その時期に合わせて注文し、友人か、親戚の住所を利用して、そこに次々と送っておきます。そしてアメリカに帰国時には、一つのスーツケースには本や書道具、紙などを一杯にして(一スーツケース50ポンドまで。23キロくらいかしら?)帰ってきます。それからもし、アメリカで短歌雑誌などを講読したいときには、Fujisan.Comで、日本から直接取り寄せるよりは半額以下で手に入れることが出来ます。こちらに正直屋という古本のサイトもありますが、欲しい本がありません。
あまり、難しく古語文法を考えなくてもいいと思います。まず(近代古語 というようなものはありません。万葉時代からの言葉を習い、それをその時代の詩歌や小説、随筆、日記などに応用して書いたものを、近代古語と佐織さんは言っているのでしょうね)、近代短歌の始まりと言われる、子規の短歌から伊藤左千夫、そして斉藤茂吉、それから佐藤佐太郎、それから尾崎左永子などへと受け継がれた、格調高き歌がありますが、それらの歌人の歌集(私はまず斉藤茂吉を勧めますが)を一冊求めて、その歌の中で、分からない古語を拾い出し、辞書を引き、一首一首丁寧に読んで理解してみることです。その時、特に助動詞には注意をして、(助動詞の使いこなし、理解が古語の中でも一番難しいと思いますので)分からないときには、一首全部をこのプログにPostして、この助動詞はどういう意味があるのかを、公開質問をすると、自分も含めての会員全員の学習になると思います。よく私の先生が言っていましたが、「古典と言えども日本語なのですから、恐れることはないのです」と。しかし、なれないと、特に源氏物語などは主語がないので、さっぱり分からない部分がありますし、平安時代の書き物は、あの時代の知識階級の人たちのものでしたから、中国の古典などは皆が読みこなし、「あ」と書けば「ん」は書かなくても暗黙のうちに理解できていたので、省略も多いですから、文法を習うのに、あえて古典を読まなくても、万葉集を徹底して研究した斉藤茂吉などの歌集などを読んだらいかがでしょう。斉藤茂吉の歌集では、第一歌集「赤光」がもっとも有名ですが、。手に入るものから、丁寧に読んでいく学習方法をお勧めします。一冊きちんと読みおわれば、歌で使われる古語文法は網羅できると思います。それから、私は、インターネットでいろいろな人の歌集や辞典を調べ、古本を見つけます。古本は海外には送ってくれませんので、(新本は文庫ならいいですが、結構高価ですから。時には古本で、一円というものもあります。国内送料は250円くらいです。)帰国時期が決まると、その時期に合わせて注文し、友人か、親戚の住所を利用して、そこに次々と送っておきます。そしてアメリカに帰国時には、一つのスーツケースには本や書道具、紙などを一杯にして(一スーツケース50ポンドまで。23キロくらいかしら?)帰ってきます。それからもし、アメリカで短歌雑誌などを講読したいときには、Fujisan.Comで、日本から直接取り寄せるよりは半額以下で手に入れることが出来ます。こちらに正直屋という古本のサイトもありますが、欲しい本がありません。
ようこさんの「大事件や大災害の歌」に対するコメントのコメント
まだ、なかなかブログが使いこなせず、コメントのコメントをしたかったのですが、どうしてもできずに、拒否されてしまいましたので、新たな投稿としてここに書きました。
自分の身に起こった病と大災害や大事件は違います。その中に巻き込まれた人の歌もあるでしょうが(渦中の人が詠った歌を読んだことはありません。)原爆歌人と言われた、先日亡くなった竹山広、原爆詩人・小説家と言われた原民喜なども、随分の歳月が流れてから、詠い、書き始めました。歌にもいろいろな種類の歌があります。記録としての歌は、巧拙は問いませんが・・・鶴見和子の歌を読んでみると、私には歌としてはどちかと言えば生臭過ぎます。でも、かっては社会に出て名をなし、多忙を極めていた人間が、家族もなく一人不自由な体になりながら、生きていく姿の記録として読めば、今現在リハビリに励んでいる人や、自分の死を身近に感じている人にとっては、大いに価値あるものだと思います。思い出しましたが、9・11のあった時、すぐさま歌にした人達がいましたが、それらの歌は、やはりプールサイド的な歌がほとんどでした。次のコメントは、私のコメントを読んで、ある人が送ってきてくれた来嶋靖生氏の抜粋です。
『槻の木』五月号の後記の抜萃を転載いたします。
執筆者は来嶋靖生氏です。
【「槻の木」五月号後記抜萃】
(前略)
言わずもがなのことですが、あえて申します。何万という方が亡くなり、行方不明となっています。テレビ映像を安易に言葉に置き替えたような歌は詠まないで下さい。本人は
衝撃や驚愕を率直に詠んだつもりの歌でも、災害に遭った当事者から見ると、何と呑気なと思われることが多いものです。暖かい部屋でテレビを見ただけで歌にするのは慎みまし
ょう。社会的な事件をどのように捉えるか、心を新たにして考え直す、よい機会だと思います。(来嶋)
三月十一日、東京都内で地震に遭遇し、交通機関停止のため、徒歩で深夜に帰宅したり、避難所で一夜を過ごした人々の歌が何篇か揃いました。右に記したことと関係しますが、
実際に体験して生れた歌は、即詠に近い歌でも臨場感が伝わってきます。また現場以外でも作者の思いが生きている歌は加えました。
自分の身に起こった病と大災害や大事件は違います。その中に巻き込まれた人の歌もあるでしょうが(渦中の人が詠った歌を読んだことはありません。)原爆歌人と言われた、先日亡くなった竹山広、原爆詩人・小説家と言われた原民喜なども、随分の歳月が流れてから、詠い、書き始めました。歌にもいろいろな種類の歌があります。記録としての歌は、巧拙は問いませんが・・・鶴見和子の歌を読んでみると、私には歌としてはどちかと言えば生臭過ぎます。でも、かっては社会に出て名をなし、多忙を極めていた人間が、家族もなく一人不自由な体になりながら、生きていく姿の記録として読めば、今現在リハビリに励んでいる人や、自分の死を身近に感じている人にとっては、大いに価値あるものだと思います。思い出しましたが、9・11のあった時、すぐさま歌にした人達がいましたが、それらの歌は、やはりプールサイド的な歌がほとんどでした。次のコメントは、私のコメントを読んで、ある人が送ってきてくれた来嶋靖生氏の抜粋です。
『槻の木』五月号の後記の抜萃を転載いたします。
執筆者は来嶋靖生氏です。
【「槻の木」五月号後記抜萃】
(前略)
言わずもがなのことですが、あえて申します。何万という方が亡くなり、行方不明となっています。テレビ映像を安易に言葉に置き替えたような歌は詠まないで下さい。本人は
衝撃や驚愕を率直に詠んだつもりの歌でも、災害に遭った当事者から見ると、何と呑気なと思われることが多いものです。暖かい部屋でテレビを見ただけで歌にするのは慎みまし
ょう。社会的な事件をどのように捉えるか、心を新たにして考え直す、よい機会だと思います。(来嶋)
三月十一日、東京都内で地震に遭遇し、交通機関停止のため、徒歩で深夜に帰宅したり、避難所で一夜を過ごした人々の歌が何篇か揃いました。右に記したことと関係しますが、
実際に体験して生れた歌は、即詠に近い歌でも臨場感が伝わってきます。また現場以外でも作者の思いが生きている歌は加えました。
2011年5月26日木曜日
古語文法(近代古語)の勉強法
歌を詠むにあたって、明治、大正、昭和初期の文学に使われていたような、近代古語的な表現をもっと使えるようになりたいと思っています。皆様のお薦めの本や勉強法など教えて頂ければ嬉しいです。私の歌はテーマも表現も現代的なものが殆どですが、自分の作歌の世界や可能性を拡げたい想いもあり、時々古語的な表現を使いますが、間違えていたり流れが不自然になってしまうことも多いです。それを円居でご指摘頂けるのが大変有り難いですが、自分でも少しずつ勉強したいと思い、今秋の里帰りの際に何か良い本を買って来たいと考えています。また、教本に頼らなくてもこういう勉強法もあるよ、などのご意見も頂ければ幸いです。
唯一手元にある古語の本は高校時代に買った参考書で、枕草子、源氏物語、方丈記等の作品から抜粋された章を解説と共に読み解いて行く形のものです。古語学習の王道的な参考書ですが、ここまで古い作品は、解らない部分が多すぎて今の私のレベルでは読み進むのが大変です。それよりも、私の今の目標は明治〜大正〜昭和初期の文学に使われていたような表現を学ぶことなので、その頃の作品を題材にした参考書や、勉強になる読み物は無いかと探しています。この頃に詠まれた短歌や散文詩に好きなものが多く、鑑賞するには理解できているのですが、自分ではそういう表現が使えないでいます。
何かお薦めの本や読み物、その他の勉強法があれば教えて下さい。また、近代古語を学ぶのであっても、やはり枕草子などの古典から勉強するのが一番良い、などのご意見でも、何でも結構ですのでアドバイス頂ければ嬉しいです。
唯一手元にある古語の本は高校時代に買った参考書で、枕草子、源氏物語、方丈記等の作品から抜粋された章を解説と共に読み解いて行く形のものです。古語学習の王道的な参考書ですが、ここまで古い作品は、解らない部分が多すぎて今の私のレベルでは読み進むのが大変です。それよりも、私の今の目標は明治〜大正〜昭和初期の文学に使われていたような表現を学ぶことなので、その頃の作品を題材にした参考書や、勉強になる読み物は無いかと探しています。この頃に詠まれた短歌や散文詩に好きなものが多く、鑑賞するには理解できているのですが、自分ではそういう表現が使えないでいます。
何かお薦めの本や読み物、その他の勉強法があれば教えて下さい。また、近代古語を学ぶのであっても、やはり枕草子などの古典から勉強するのが一番良い、などのご意見でも、何でも結構ですのでアドバイス頂ければ嬉しいです。
2011年5月25日水曜日
大事件や大災害を歌に詠む
常々思っていたが、明快に、どのような言葉を使って表現したらいいのか、分からないままでいたが、昨日届いたばかりの6月号の文芸春秋に、私が言いたかったことをずばり言い切っている菊池寛の文に接したので、ここに要旨を書いてみる。
大災害や大事件が起きると、間髪を待たずに、歌や文章に書く人がいる。それはほとんどが渦中に居ない人たちで、プールサイドで泳ぎを見ている人たちの言が多い。また都知事に再選された石原慎太郎の「天罰」発言は、その代表的なものだと思う。自分は家も壊されず、片足たりとも水に浸からずに、まして妻や子や親族をひとりも亡くしていない。まったく第三者的な、始末の悪いインテリの発言である。その人を再選させた都民も都民である。まあ、横道にそれるので、そのことはさておき、特別企画 「文芸春秋88年が伝えた震災・津波・被爆の証言」として、関東大震災に関して証言している菊池寛の言葉に、私は惹かれた。「災後雑感」として、・・・・・地震から来るいろいろな実感に打たれたものには、芸術的感興は容易に湧かないだろう。生々しい実感は、容易に芸術化をゆるさない。若し、当座に地震小説をかくものがあつたら、ほんとうに地震を体験してゐないものだ。
まさしく私が言いたかったことである。もし、あの東日本大震災を歌にするなら、長い間心の中に温めて、じっくりと自分の血となり肉となるまで消化して数年後、数十年後に歌にしてはじめて人の心を動かす歌ができるのだと思う。そうでない限り、すぐに作られた歌は、どう読んでも第三者的に眺めている歌であり、心にじっくりと染透ってこない。ただ、今あの阿鼻叫喚の情景を詠うとしたら、その情景を眺めて詠うのではなく、その情景によって起こった自分の中の心の動きを詠ってはじめて読者の共感を呼ぶ歌が詠えるだろう。
大災害や大事件が起きると、間髪を待たずに、歌や文章に書く人がいる。それはほとんどが渦中に居ない人たちで、プールサイドで泳ぎを見ている人たちの言が多い。また都知事に再選された石原慎太郎の「天罰」発言は、その代表的なものだと思う。自分は家も壊されず、片足たりとも水に浸からずに、まして妻や子や親族をひとりも亡くしていない。まったく第三者的な、始末の悪いインテリの発言である。その人を再選させた都民も都民である。まあ、横道にそれるので、そのことはさておき、特別企画 「文芸春秋88年が伝えた震災・津波・被爆の証言」として、関東大震災に関して証言している菊池寛の言葉に、私は惹かれた。「災後雑感」として、・・・・・地震から来るいろいろな実感に打たれたものには、芸術的感興は容易に湧かないだろう。生々しい実感は、容易に芸術化をゆるさない。若し、当座に地震小説をかくものがあつたら、ほんとうに地震を体験してゐないものだ。
まさしく私が言いたかったことである。もし、あの東日本大震災を歌にするなら、長い間心の中に温めて、じっくりと自分の血となり肉となるまで消化して数年後、数十年後に歌にしてはじめて人の心を動かす歌ができるのだと思う。そうでない限り、すぐに作られた歌は、どう読んでも第三者的に眺めている歌であり、心にじっくりと染透ってこない。ただ、今あの阿鼻叫喚の情景を詠うとしたら、その情景を眺めて詠うのではなく、その情景によって起こった自分の中の心の動きを詠ってはじめて読者の共感を呼ぶ歌が詠えるだろう。
2011年5月20日金曜日
日本のお茶
私は未だに収束がつかない福島原発のその後の経過を、テレビが無いので、毎日ネットで読んだりコンピュータのビデオで見たりしています。原子力の専門家の武田邦彦氏や小出裕章氏のブログを毎日のように読んでいます。毎日のように更新されているので良識のある最新の情報が得られます。サイトは http://www.takedanet.com/ と http://www.hiroakikoide.wordpress.com/
です。検索に両氏の名前を入れるとリンクがでます。今日はセシウムに汚染されたお茶や、茶葉検査拒否のことが載っていました。お茶愛好家の私は、これから日本のお茶が飲めなくなったらと本当に心配です。和歌も心で詠いますが、口に入るものも、それを育てる人がそれを口にする人の心を汲み、口に入れる人もそれを育ててくれた人の心を汲んで口に入れたいということ、本当に同感です。
です。検索に両氏の名前を入れるとリンクがでます。今日はセシウムに汚染されたお茶や、茶葉検査拒否のことが載っていました。お茶愛好家の私は、これから日本のお茶が飲めなくなったらと本当に心配です。和歌も心で詠いますが、口に入るものも、それを育てる人がそれを口にする人の心を汲み、口に入れる人もそれを育ててくれた人の心を汲んで口に入れたいということ、本当に同感です。
2011年5月14日土曜日
短歌鑑賞
この間立ち寄った日本の本屋さんの雑誌売り場で4月号のNHK短歌を見つけた。ぱらぱらとページを繰ると偶然に円居短歌のブログでもトピックになった馬場あき子の選の十首が巻頭秀歌に載っていたので鑑賞してみたい。私の住んでいる当地はもう葉桜の頃だが、桜や春を題にした古代から現代までの歌人の歌が取り混ぜて選ばれているのてそれぞれの時代を反映しているようで面白い。
桜花咲きかも散ると見るまでに誰かも此処に見えて散りゆく (作者未詳「万葉集」巻12)
さくらさくらふはりと降りてあんぱんの臍の窪みを湿らせ咲けり (川野里子「王者の道」)
うすずみのゆめの中なるさくら花あるいはうつつよりも匂ふを (斎藤史「ひたくれなゐ」)
花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき (崇徳院「千載和歌集」)
かぎりなく世界が崩れゆく日にもおたまじやくしは池に涌くなり (前登志夫「大空の千瀨」)
水中に蝌蚪(くわと)くろぐろとうごきゐてわが心知らずみな歓喜せり(前川佐美雄「捜神」)
つばくらや四月の麦に風ふけばあをき皺立つ関東平野 (都築直子「淡緑湖」)
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか (光森裕樹「鈴を産むひばり」)
暮れてゆく春のみなとはしらねども霞に落つる宇治の柴舟 (寂蓮「新古今和歌集」)
鹿たちも若草の上にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅 (永井陽子「てまり唄」)
太平洋を隔てた日本では原発事故の収束が未だにつかずに不安な暗い気持ちでいる。それでも我が家の狭庭に蕗のとうのさみどりが目を楽しませてくれる。「かぎりなく世界が崩れゆく日にも・・・」が私が今一番共感できる歌だ。
桜花咲きかも散ると見るまでに誰かも此処に見えて散りゆく (作者未詳「万葉集」巻12)
さくらさくらふはりと降りてあんぱんの臍の窪みを湿らせ咲けり (川野里子「王者の道」)
うすずみのゆめの中なるさくら花あるいはうつつよりも匂ふを (斎藤史「ひたくれなゐ」)
花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき (崇徳院「千載和歌集」)
かぎりなく世界が崩れゆく日にもおたまじやくしは池に涌くなり (前登志夫「大空の千瀨」)
水中に蝌蚪(くわと)くろぐろとうごきゐてわが心知らずみな歓喜せり(前川佐美雄「捜神」)
つばくらや四月の麦に風ふけばあをき皺立つ関東平野 (都築直子「淡緑湖」)
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか (光森裕樹「鈴を産むひばり」)
暮れてゆく春のみなとはしらねども霞に落つる宇治の柴舟 (寂蓮「新古今和歌集」)
鹿たちも若草の上にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅 (永井陽子「てまり唄」)
太平洋を隔てた日本では原発事故の収束が未だにつかずに不安な暗い気持ちでいる。それでも我が家の狭庭に蕗のとうのさみどりが目を楽しませてくれる。「かぎりなく世界が崩れゆく日にも・・・」が私が今一番共感できる歌だ。
2011年5月10日火曜日
馬場あき子の歌
5月号の雑誌「短歌」が今日届いた。さっそく1ページ目を開いてみた。写真入りで、連載 名歌・秀歌の舞台 と題し、今回は沖縄・石垣島が舞台になっている。昨春石垣島に移り住んだ「松村由利子」という歌人が、馬場あき子の一首を取り上げている。
「石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」
偶然に昨日円居短歌会のブログに書き込んだ「敷島の道」という文を、具体をもって説明するのに、ちょうど都合のよい歌だ、と思えたので、また書きたくなった。なんど読んでもさすがにその技に脱帽しないわけにはいかない。私はまだ沖縄には行ったことはない。今年の年始年末には行こうか、と今考えている。それぞれの季節にそれぞれの美しい花が咲き乱れる、ということだ。その地がかって、十万人以上の戦争犠牲者を出した地なのである。沖縄の人々は、今でも日本を「やまと」と呼び、自分たちが「やまと」の犠牲になった、と思っている人々がほとんどだそうだ。そして「やまと」の人たちは、映像や活字で見る、沖縄の悲惨な過去に少なからず心を痛めている人たちも多いはずである。かすかな罪の意識さえあるのではないか、と思う。馬場氏は、そこをしっかりと捕らえ、「内くらきやまとごころ」と、詩的でありつつ具体的に詠み、その心が、美しい花々で乱れる と詠っている。ただ花の美しさ、そらの青さなどを詠うのではなく、目に映った外界の物事を小道具として、自分の深い心を詠っているのである。このように詠えたら、なんとすばらしいことか。しかし、このように深く詠えるには、自分が深い人間になっていないと詠えないことも事実である。私たちは、短歌に関わっているので、短歌という創作活動を通して、真剣に日々の自分を見極めつつ、それを言葉で表現する苦しみを経て、自分を磨いていく以外、道はない。その積み重ねが、馬場氏の上記のような深い歌を詠めることに繋がっていくのだと思う。
「石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」
偶然に昨日円居短歌会のブログに書き込んだ「敷島の道」という文を、具体をもって説明するのに、ちょうど都合のよい歌だ、と思えたので、また書きたくなった。なんど読んでもさすがにその技に脱帽しないわけにはいかない。私はまだ沖縄には行ったことはない。今年の年始年末には行こうか、と今考えている。それぞれの季節にそれぞれの美しい花が咲き乱れる、ということだ。その地がかって、十万人以上の戦争犠牲者を出した地なのである。沖縄の人々は、今でも日本を「やまと」と呼び、自分たちが「やまと」の犠牲になった、と思っている人々がほとんどだそうだ。そして「やまと」の人たちは、映像や活字で見る、沖縄の悲惨な過去に少なからず心を痛めている人たちも多いはずである。かすかな罪の意識さえあるのではないか、と思う。馬場氏は、そこをしっかりと捕らえ、「内くらきやまとごころ」と、詩的でありつつ具体的に詠み、その心が、美しい花々で乱れる と詠っている。ただ花の美しさ、そらの青さなどを詠うのではなく、目に映った外界の物事を小道具として、自分の深い心を詠っているのである。このように詠えたら、なんとすばらしいことか。しかし、このように深く詠えるには、自分が深い人間になっていないと詠えないことも事実である。私たちは、短歌に関わっているので、短歌という創作活動を通して、真剣に日々の自分を見極めつつ、それを言葉で表現する苦しみを経て、自分を磨いていく以外、道はない。その積み重ねが、馬場氏の上記のような深い歌を詠めることに繋がっていくのだと思う。
2011年5月9日月曜日
敷島の道
日本にはさまざまな「道」が付くものがある。華道、歌道、書道、香道、剣道、柔道など数え上げたらきりがないほどである。それらのすべてが(今、私が真剣に向き合っているのは、歌道と書道だけであるので、他の「道」については分からないが、推測でたぶんそうだと思う)、本当に真剣になって取り組めば、命をかけるに値する何かがあるのではないか、と感じている。どうして日本人はこのような「道」が付くことに惹かれるのだろうか?以前にも書いたことがあるが、日本人には宗教心が少ない、と時折言われることがあったり、読んだことがあったりした。それは、この「道」と呼ばれるものに、己を賭けているからではないかと、仮説を立ててみる。宗教は、本当は自分自身を真剣に磨いていく手段なのだと思う。日本人は宗教を通さず「この「道」の付く道を歩いて、その手段を得ているのではないか。だから、宗教はあまり必要ではなくなっているのではないか、と思ってみる。このブログは短歌を中心にしているので、短歌を通して、私の最近の思いを書いてみたい。
歌にしろ、書にしろ私は、ある時期までは、本当には真剣に学んでいなかった。マンネリ化したり、真剣に取り組むことをないがしろにしていた感がある。しかし、ある時を境に「真剣」にならない限り、その「道」の妙味はわからないし、決して進歩もない、ということが分かった。真剣になることは、自分と向き合うことである。「道」が付く道でのすべての表現は、自分の投影である。いい歌、よくない歌の違いは、歌の中にどれくらい自分が投影できたか、にかかっている。もう少し具体的に言えば、自分が受容した外界の出来事や、情景を小道具として、自分の心を言葉で表現するのが短歌である。ところが、出来事や情景を表現することが中心になって、物語を作ったり、珍しい言葉や物や場所や出来事が前面にでてきて、己が消えてしまっている歌が多いように思う。「歌道」と言うからには、その道を選んだからには、どうせならそこに自分を賭けてみるくらいに真剣になってみれば、きっといつか自分に大きな喜びと充足感をもたらすことは必定である。自分で表現方法も模索し、どんどんいろいろな表現法を試してみるべきである。しかし、その歌を公にする時には、どうしてそのように表現したかを、はっきり自分で言い訳ができなくてはならないと思う。私達は円居短歌会に属し、短歌を詠みたい、という仲間同士である。互いの切磋琢磨は重要な進歩の鍵になる。私自身、これからどれくらい歌を詠み続けていけるか分からない。すでに人生の2/3は過ぎ去ってしまった感がある。残りの1/3を歌と書を通して大切に真剣に生きていきたい。それはとりもなおさず、自分を磨き続けていくことである、と私は肝に銘じている。
歌にしろ、書にしろ私は、ある時期までは、本当には真剣に学んでいなかった。マンネリ化したり、真剣に取り組むことをないがしろにしていた感がある。しかし、ある時を境に「真剣」にならない限り、その「道」の妙味はわからないし、決して進歩もない、ということが分かった。真剣になることは、自分と向き合うことである。「道」が付く道でのすべての表現は、自分の投影である。いい歌、よくない歌の違いは、歌の中にどれくらい自分が投影できたか、にかかっている。もう少し具体的に言えば、自分が受容した外界の出来事や、情景を小道具として、自分の心を言葉で表現するのが短歌である。ところが、出来事や情景を表現することが中心になって、物語を作ったり、珍しい言葉や物や場所や出来事が前面にでてきて、己が消えてしまっている歌が多いように思う。「歌道」と言うからには、その道を選んだからには、どうせならそこに自分を賭けてみるくらいに真剣になってみれば、きっといつか自分に大きな喜びと充足感をもたらすことは必定である。自分で表現方法も模索し、どんどんいろいろな表現法を試してみるべきである。しかし、その歌を公にする時には、どうしてそのように表現したかを、はっきり自分で言い訳ができなくてはならないと思う。私達は円居短歌会に属し、短歌を詠みたい、という仲間同士である。互いの切磋琢磨は重要な進歩の鍵になる。私自身、これからどれくらい歌を詠み続けていけるか分からない。すでに人生の2/3は過ぎ去ってしまった感がある。残りの1/3を歌と書を通して大切に真剣に生きていきたい。それはとりもなおさず、自分を磨き続けていくことである、と私は肝に銘じている。
2011年5月8日日曜日
萩さん帰米
萩さんが、米国にもどってきました。たぶん、しばらくは今までどおりまた短歌会に参加できるのだと思います。ずっと戻ってきてくれるといいのですが、萩さん自身にもまだ分からない、ということです。しばらくは今まで通り活躍してくれると思いますので、ほっとしています。
2011年4月19日火曜日
河野裕子
河野裕子の絶詠は「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」であるが、この歌は死の前日に詠まれたものだそうだ。歌が命、命が歌にまでなっている。5,7,5,7,7に潜む魔。まるで息をはくように、口から出る言葉が韻をもち、リズムに乗っている。全身心がこれ短歌になっているすごさを感じないわけにはいかない。日本にいる私の歌の先輩は、いつも「歌をやめてはだめよ。何が何でも続けなさい」と言い続けている。そして「私の晩年にもし歌がなかったら、どんなにつまらない晩年になっていたことでしょう」とも言っている。歌に潜む魔力は何なのだろうか。忙しいから、気分が乗らないから歌はできない、というような私たちレベルではない。詠まずにはいられない、命があるのであろう。私ももっと自分の命レベルで歌と取り組んでいきたい。
2011年4月14日木曜日
2011年4月13日水曜日
懐かしい古典文法の本
何十年も前の私の高校時代には、国語とは別に古文と漢文の授業がありました。何年も後に私が米国に来ることになった時にどういうわけか高校時代に使った古典文法と漢文の教科書も一緒に持ってきました。本屋さんに行けばいくらでももっと新しい本が手に入るのにわざわざ高校時代に使った教科書をもってきたのです。今ではもってきてよかったと思います。一つには青春の懐かしい思い出にもなるし、なによりも内容が易しく書かれているからです。説明に使われている例文も徒然草、枕草紙、古今集、更級日記、平家物語、方丈記、土佐日記,万葉集等の有名な古典から引用されていて古典への興味をそそられます。今短歌を作る時に重宝をしています。
2011年4月5日火曜日
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