5月号の雑誌「短歌」が今日届いた。さっそく1ページ目を開いてみた。写真入りで、連載 名歌・秀歌の舞台 と題し、今回は沖縄・石垣島が舞台になっている。昨春石垣島に移り住んだ「松村由利子」という歌人が、馬場あき子の一首を取り上げている。
「石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」
偶然に昨日円居短歌会のブログに書き込んだ「敷島の道」という文を、具体をもって説明するのに、ちょうど都合のよい歌だ、と思えたので、また書きたくなった。なんど読んでもさすがにその技に脱帽しないわけにはいかない。私はまだ沖縄には行ったことはない。今年の年始年末には行こうか、と今考えている。それぞれの季節にそれぞれの美しい花が咲き乱れる、ということだ。その地がかって、十万人以上の戦争犠牲者を出した地なのである。沖縄の人々は、今でも日本を「やまと」と呼び、自分たちが「やまと」の犠牲になった、と思っている人々がほとんどだそうだ。そして「やまと」の人たちは、映像や活字で見る、沖縄の悲惨な過去に少なからず心を痛めている人たちも多いはずである。かすかな罪の意識さえあるのではないか、と思う。馬場氏は、そこをしっかりと捕らえ、「内くらきやまとごころ」と、詩的でありつつ具体的に詠み、その心が、美しい花々で乱れる と詠っている。ただ花の美しさ、そらの青さなどを詠うのではなく、目に映った外界の物事を小道具として、自分の深い心を詠っているのである。このように詠えたら、なんとすばらしいことか。しかし、このように深く詠えるには、自分が深い人間になっていないと詠えないことも事実である。私たちは、短歌に関わっているので、短歌という創作活動を通して、真剣に日々の自分を見極めつつ、それを言葉で表現する苦しみを経て、自分を磨いていく以外、道はない。その積み重ねが、馬場氏の上記のような深い歌を詠めることに繋がっていくのだと思う。
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