まだ、なかなかブログが使いこなせず、コメントのコメントをしたかったのですが、どうしてもできずに、拒否されてしまいましたので、新たな投稿としてここに書きました。
自分の身に起こった病と大災害や大事件は違います。その中に巻き込まれた人の歌もあるでしょうが(渦中の人が詠った歌を読んだことはありません。)原爆歌人と言われた、先日亡くなった竹山広、原爆詩人・小説家と言われた原民喜なども、随分の歳月が流れてから、詠い、書き始めました。歌にもいろいろな種類の歌があります。記録としての歌は、巧拙は問いませんが・・・鶴見和子の歌を読んでみると、私には歌としてはどちかと言えば生臭過ぎます。でも、かっては社会に出て名をなし、多忙を極めていた人間が、家族もなく一人不自由な体になりながら、生きていく姿の記録として読めば、今現在リハビリに励んでいる人や、自分の死を身近に感じている人にとっては、大いに価値あるものだと思います。思い出しましたが、9・11のあった時、すぐさま歌にした人達がいましたが、それらの歌は、やはりプールサイド的な歌がほとんどでした。次のコメントは、私のコメントを読んで、ある人が送ってきてくれた来嶋靖生氏の抜粋です。
『槻の木』五月号の後記の抜萃を転載いたします。
執筆者は来嶋靖生氏です。
【「槻の木」五月号後記抜萃】
(前略)
言わずもがなのことですが、あえて申します。何万という方が亡くなり、行方不明となっています。テレビ映像を安易に言葉に置き替えたような歌は詠まないで下さい。本人は
衝撃や驚愕を率直に詠んだつもりの歌でも、災害に遭った当事者から見ると、何と呑気なと思われることが多いものです。暖かい部屋でテレビを見ただけで歌にするのは慎みまし
ょう。社会的な事件をどのように捉えるか、心を新たにして考え直す、よい機会だと思います。(来嶋)
三月十一日、東京都内で地震に遭遇し、交通機関停止のため、徒歩で深夜に帰宅したり、避難所で一夜を過ごした人々の歌が何篇か揃いました。右に記したことと関係しますが、
実際に体験して生れた歌は、即詠に近い歌でも臨場感が伝わってきます。また現場以外でも作者の思いが生きている歌は加えました。
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