2011年5月27日金曜日

古典文法学習について

上記の佐織さんのPostに対するコメントを書いたのですが、どこかへ行ってしまいました。Comment as Google Accountとして、Post Commentを押すとコメントがどこかへ行って消えてしまったのです。何度試みても同じことが起こります。そこで、ものは試しで、今度はLink To This Commentのところをクリックして書いています。これでも上手くいきませんので、新たなタイトルでまた投稿します。

あまり、難しく古語文法を考えなくてもいいと思います。まず(近代古語 というようなものはありません。万葉時代からの言葉を習い、それをその時代の詩歌や小説、随筆、日記などに応用して書いたものを、近代古語と佐織さんは言っているのでしょうね)、近代短歌の始まりと言われる、子規の短歌から伊藤左千夫、そして斉藤茂吉、それから佐藤佐太郎、それから尾崎左永子などへと受け継がれた、格調高き歌がありますが、それらの歌人の歌集(私はまず斉藤茂吉を勧めますが)を一冊求めて、その歌の中で、分からない古語を拾い出し、辞書を引き、一首一首丁寧に読んで理解してみることです。その時、特に助動詞には注意をして、(助動詞の使いこなし、理解が古語の中でも一番難しいと思いますので)分からないときには、一首全部をこのプログにPostして、この助動詞はどういう意味があるのかを、公開質問をすると、自分も含めての会員全員の学習になると思います。よく私の先生が言っていましたが、「古典と言えども日本語なのですから、恐れることはないのです」と。しかし、なれないと、特に源氏物語などは主語がないので、さっぱり分からない部分がありますし、平安時代の書き物は、あの時代の知識階級の人たちのものでしたから、中国の古典などは皆が読みこなし、「あ」と書けば「ん」は書かなくても暗黙のうちに理解できていたので、省略も多いですから、文法を習うのに、あえて古典を読まなくても、万葉集を徹底して研究した斉藤茂吉などの歌集などを読んだらいかがでしょう。斉藤茂吉の歌集では、第一歌集「赤光」がもっとも有名ですが、。手に入るものから、丁寧に読んでいく学習方法をお勧めします。一冊きちんと読みおわれば、歌で使われる古語文法は網羅できると思います。それから、私は、インターネットでいろいろな人の歌集や辞典を調べ、古本を見つけます。古本は海外には送ってくれませんので、(新本は文庫ならいいですが、結構高価ですから。時には古本で、一円というものもあります。国内送料は250円くらいです。)帰国時期が決まると、その時期に合わせて注文し、友人か、親戚の住所を利用して、そこに次々と送っておきます。そしてアメリカに帰国時には、一つのスーツケースには本や書道具、紙などを一杯にして(一スーツケース50ポンドまで。23キロくらいかしら?)帰ってきます。それからもし、アメリカで短歌雑誌などを講読したいときには、Fujisan.Comで、日本から直接取り寄せるよりは半額以下で手に入れることが出来ます。こちらに正直屋という古本のサイトもありますが、欲しい本がありません。

ようこさんの「大事件や大災害の歌」に対するコメントのコメント

 まだ、なかなかブログが使いこなせず、コメントのコメントをしたかったのですが、どうしてもできずに、拒否されてしまいましたので、新たな投稿としてここに書きました。

自分の身に起こった病と大災害や大事件は違います。その中に巻き込まれた人の歌もあるでしょうが(渦中の人が詠った歌を読んだことはありません。)原爆歌人と言われた、先日亡くなった竹山広、原爆詩人・小説家と言われた原民喜なども、随分の歳月が流れてから、詠い、書き始めました。歌にもいろいろな種類の歌があります。記録としての歌は、巧拙は問いませんが・・・鶴見和子の歌を読んでみると、私には歌としてはどちかと言えば生臭過ぎます。でも、かっては社会に出て名をなし、多忙を極めていた人間が、家族もなく一人不自由な体になりながら、生きていく姿の記録として読めば、今現在リハビリに励んでいる人や、自分の死を身近に感じている人にとっては、大いに価値あるものだと思います。思い出しましたが、9・11のあった時、すぐさま歌にした人達がいましたが、それらの歌は、やはりプールサイド的な歌がほとんどでした。次のコメントは、私のコメントを読んで、ある人が送ってきてくれた来嶋靖生氏の抜粋です。
『槻の木』五月号の後記の抜萃を転載いたします。
執筆者は来嶋靖生氏です。
【「槻の木」五月号後記抜萃】
(前略)
言わずもがなのことですが、あえて申します。何万という方が亡くなり、行方不明となっています。テレビ映像を安易に言葉に置き替えたような歌は詠まないで下さい。本人は
衝撃や驚愕を率直に詠んだつもりの歌でも、災害に遭った当事者から見ると、何と呑気なと思われることが多いものです。暖かい部屋でテレビを見ただけで歌にするのは慎みまし
ょう。社会的な事件をどのように捉えるか、心を新たにして考え直す、よい機会だと思います。(来嶋)              
三月十一日、東京都内で地震に遭遇し、交通機関停止のため、徒歩で深夜に帰宅したり、避難所で一夜を過ごした人々の歌が何篇か揃いました。右に記したことと関係しますが、
実際に体験して生れた歌は、即詠に近い歌でも臨場感が伝わってきます。また現場以外でも作者の思いが生きている歌は加えました。

2011年5月26日木曜日

古語文法(近代古語)の勉強法

歌を詠むにあたって、明治、大正、昭和初期の文学に使われていたような、近代古語的な表現をもっと使えるようになりたいと思っています。皆様のお薦めの本や勉強法など教えて頂ければ嬉しいです。私の歌はテーマも表現も現代的なものが殆どですが、自分の作歌の世界や可能性を拡げたい想いもあり、時々古語的な表現を使いますが、間違えていたり流れが不自然になってしまうことも多いです。それを円居でご指摘頂けるのが大変有り難いですが、自分でも少しずつ勉強したいと思い、今秋の里帰りの際に何か良い本を買って来たいと考えています。また、教本に頼らなくてもこういう勉強法もあるよ、などのご意見も頂ければ幸いです。

唯一手元にある古語の本は高校時代に買った参考書で、枕草子、源氏物語、方丈記等の作品から抜粋された章を解説と共に読み解いて行く形のものです。古語学習の王道的な参考書ですが、ここまで古い作品は、解らない部分が多すぎて今の私のレベルでは読み進むのが大変です。それよりも、私の今の目標は明治〜大正〜昭和初期の文学に使われていたような表現を学ぶことなので、その頃の作品を題材にした参考書や、勉強になる読み物は無いかと探しています。この頃に詠まれた短歌や散文詩に好きなものが多く、鑑賞するには理解できているのですが、自分ではそういう表現が使えないでいます。

何かお薦めの本や読み物、その他の勉強法があれば教えて下さい。また、近代古語を学ぶのであっても、やはり枕草子などの古典から勉強するのが一番良い、などのご意見でも、何でも結構ですのでアドバイス頂ければ嬉しいです。

2011年5月25日水曜日

大事件や大災害を歌に詠む

常々思っていたが、明快に、どのような言葉を使って表現したらいいのか、分からないままでいたが、昨日届いたばかりの6月号の文芸春秋に、私が言いたかったことをずばり言い切っている菊池寛の文に接したので、ここに要旨を書いてみる。
大災害や大事件が起きると、間髪を待たずに、歌や文章に書く人がいる。それはほとんどが渦中に居ない人たちで、プールサイドで泳ぎを見ている人たちの言が多い。また都知事に再選された石原慎太郎の「天罰」発言は、その代表的なものだと思う。自分は家も壊されず、片足たりとも水に浸からずに、まして妻や子や親族をひとりも亡くしていない。まったく第三者的な、始末の悪いインテリの発言である。その人を再選させた都民も都民である。まあ、横道にそれるので、そのことはさておき、特別企画 「文芸春秋88年が伝えた震災・津波・被爆の証言」として、関東大震災に関して証言している菊池寛の言葉に、私は惹かれた。「災後雑感」として、・・・・・地震から来るいろいろな実感に打たれたものには、芸術的感興は容易に湧かないだろう。生々しい実感は、容易に芸術化をゆるさない。若し、当座に地震小説をかくものがあつたら、ほんとうに地震を体験してゐないものだ。 
 
 まさしく私が言いたかったことである。もし、あの東日本大震災を歌にするなら、長い間心の中に温めて、じっくりと自分の血となり肉となるまで消化して数年後、数十年後に歌にしてはじめて人の心を動かす歌ができるのだと思う。そうでない限り、すぐに作られた歌は、どう読んでも第三者的に眺めている歌であり、心にじっくりと染透ってこない。ただ、今あの阿鼻叫喚の情景を詠うとしたら、その情景を眺めて詠うのではなく、その情景によって起こった自分の中の心の動きを詠ってはじめて読者の共感を呼ぶ歌が詠えるだろう。

2011年5月20日金曜日

日本のお茶

私は未だに収束がつかない福島原発のその後の経過を、テレビが無いので、毎日ネットで読んだりコンピュータのビデオで見たりしています。原子力の専門家の武田邦彦氏や小出裕章氏のブログを毎日のように読んでいます。毎日のように更新されているので良識のある最新の情報が得られます。サイトは http://www.takedanet.com/ と http://www.hiroakikoide.wordpress.com/
です。検索に両氏の名前を入れるとリンクがでます。今日はセシウムに汚染されたお茶や、茶葉検査拒否のことが載っていました。お茶愛好家の私は、これから日本のお茶が飲めなくなったらと本当に心配です。和歌も心で詠いますが、口に入るものも、それを育てる人がそれを口にする人の心を汲み、口に入れる人もそれを育ててくれた人の心を汲んで口に入れたいということ、本当に同感です。

2011年5月14日土曜日

短歌鑑賞

この間立ち寄った日本の本屋さんの雑誌売り場で4月号のNHK短歌を見つけた。ぱらぱらとページを繰ると偶然に円居短歌のブログでもトピックになった馬場あき子の選の十首が巻頭秀歌に載っていたので鑑賞してみたい。私の住んでいる当地はもう葉桜の頃だが、桜や春を題にした古代から現代までの歌人の歌が取り混ぜて選ばれているのてそれぞれの時代を反映しているようで面白い。

桜花咲きかも散ると見るまでに誰かも此処に見えて散りゆく (作者未詳「万葉集」巻12)
さくらさくらふはりと降りてあんぱんの臍の窪みを湿らせ咲けり (川野里子「王者の道」)
うすずみのゆめの中なるさくら花あるいはうつつよりも匂ふを (斎藤史「ひたくれなゐ」)
花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき (崇徳院「千載和歌集」)
かぎりなく世界が崩れゆく日にもおたまじやくしは池に涌くなり (前登志夫「大空の千瀨」)
水中に蝌蚪(くわと)くろぐろとうごきゐてわが心知らずみな歓喜せり(前川佐美雄「捜神」)
つばくらや四月の麦に風ふけばあをき皺立つ関東平野 (都築直子「淡緑湖」)
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか (光森裕樹「鈴を産むひばり」)
暮れてゆく春のみなとはしらねども霞に落つる宇治の柴舟 (寂蓮「新古今和歌集」)
鹿たちも若草の上にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅 (永井陽子「てまり唄」)

太平洋を隔てた日本では原発事故の収束が未だにつかずに不安な暗い気持ちでいる。それでも我が家の狭庭に蕗のとうのさみどりが目を楽しませてくれる。「かぎりなく世界が崩れゆく日にも・・・」が私が今一番共感できる歌だ。

2011年5月10日火曜日

馬場あき子の歌

 5月号の雑誌「短歌」が今日届いた。さっそく1ページ目を開いてみた。写真入りで、連載 名歌・秀歌の舞台 と題し、今回は沖縄・石垣島が舞台になっている。昨春石垣島に移り住んだ「松村由利子」という歌人が、馬場あき子の一首を取り上げている。
「石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」 
偶然に昨日円居短歌会のブログに書き込んだ「敷島の道」という文を、具体をもって説明するのに、ちょうど都合のよい歌だ、と思えたので、また書きたくなった。なんど読んでもさすがにその技に脱帽しないわけにはいかない。私はまだ沖縄には行ったことはない。今年の年始年末には行こうか、と今考えている。それぞれの季節にそれぞれの美しい花が咲き乱れる、ということだ。その地がかって、十万人以上の戦争犠牲者を出した地なのである。沖縄の人々は、今でも日本を「やまと」と呼び、自分たちが「やまと」の犠牲になった、と思っている人々がほとんどだそうだ。そして「やまと」の人たちは、映像や活字で見る、沖縄の悲惨な過去に少なからず心を痛めている人たちも多いはずである。かすかな罪の意識さえあるのではないか、と思う。馬場氏は、そこをしっかりと捕らえ、「内くらきやまとごころ」と、詩的でありつつ具体的に詠み、その心が、美しい花々で乱れる と詠っている。ただ花の美しさ、そらの青さなどを詠うのではなく、目に映った外界の物事を小道具として、自分の深い心を詠っているのである。このように詠えたら、なんとすばらしいことか。しかし、このように深く詠えるには、自分が深い人間になっていないと詠えないことも事実である。私たちは、短歌に関わっているので、短歌という創作活動を通して、真剣に日々の自分を見極めつつ、それを言葉で表現する苦しみを経て、自分を磨いていく以外、道はない。その積み重ねが、馬場氏の上記のような深い歌を詠めることに繋がっていくのだと思う。

2011年5月9日月曜日

敷島の道

 日本にはさまざまな「道」が付くものがある。華道、歌道、書道、香道、剣道、柔道など数え上げたらきりがないほどである。それらのすべてが(今、私が真剣に向き合っているのは、歌道と書道だけであるので、他の「道」については分からないが、推測でたぶんそうだと思う)、本当に真剣になって取り組めば、命をかけるに値する何かがあるのではないか、と感じている。どうして日本人はこのような「道」が付くことに惹かれるのだろうか?以前にも書いたことがあるが、日本人には宗教心が少ない、と時折言われることがあったり、読んだことがあったりした。それは、この「道」と呼ばれるものに、己を賭けているからではないかと、仮説を立ててみる。宗教は、本当は自分自身を真剣に磨いていく手段なのだと思う。日本人は宗教を通さず「この「道」の付く道を歩いて、その手段を得ているのではないか。だから、宗教はあまり必要ではなくなっているのではないか、と思ってみる。このブログは短歌を中心にしているので、短歌を通して、私の最近の思いを書いてみたい。

歌にしろ、書にしろ私は、ある時期までは、本当には真剣に学んでいなかった。マンネリ化したり、真剣に取り組むことをないがしろにしていた感がある。しかし、ある時を境に「真剣」にならない限り、その「道」の妙味はわからないし、決して進歩もない、ということが分かった。真剣になることは、自分と向き合うことである。「道」が付く道でのすべての表現は、自分の投影である。いい歌、よくない歌の違いは、歌の中にどれくらい自分が投影できたか、にかかっている。もう少し具体的に言えば、自分が受容した外界の出来事や、情景を小道具として、自分の心を言葉で表現するのが短歌である。ところが、出来事や情景を表現することが中心になって、物語を作ったり、珍しい言葉や物や場所や出来事が前面にでてきて、己が消えてしまっている歌が多いように思う。「歌道」と言うからには、その道を選んだからには、どうせならそこに自分を賭けてみるくらいに真剣になってみれば、きっといつか自分に大きな喜びと充足感をもたらすことは必定である。自分で表現方法も模索し、どんどんいろいろな表現法を試してみるべきである。しかし、その歌を公にする時には、どうしてそのように表現したかを、はっきり自分で言い訳ができなくてはならないと思う。私達は円居短歌会に属し、短歌を詠みたい、という仲間同士である。互いの切磋琢磨は重要な進歩の鍵になる。私自身、これからどれくらい歌を詠み続けていけるか分からない。すでに人生の2/3は過ぎ去ってしまった感がある。残りの1/3を歌と書を通して大切に真剣に生きていきたい。それはとりもなおさず、自分を磨き続けていくことである、と私は肝に銘じている。

2011年5月8日日曜日

萩さん帰米

萩さんが、米国にもどってきました。たぶん、しばらくは今までどおりまた短歌会に参加できるのだと思います。ずっと戻ってきてくれるといいのですが、萩さん自身にもまだ分からない、ということです。しばらくは今まで通り活躍してくれると思いますので、ほっとしています。