元歌:黒
コメント:赤
コメントへの応答:紫
講評を参考に推敲した最終歌
宇津木千代
柔らかき幼子の手は汗ばみて忍び入りくる吾の掌の裡に
(林) お孫さんと添い寝をされたのでしょうか? 作者の優しく繊細な感性がとても素敵だと思いました。
(白樺) ミクロ的に細かな具体描写でお孫さんと作者の愛情が表現されています。
(深沢) 何か怖い物でも見たのでしょうか。自分が安心できる人に縋りたい様子がまじまじと感じられる1首です。
(北里)幼い子の手の湿りが伝わってくるようです。「忍び入りくる」というのも、自分のかつての記憶と結びつき、言い得ていると思いました。
柔らかき幼子の手は汗ばみて忍び入りくる吾の掌の裡に
筆捌く書家の筆先さながらに活きゐるごとし しばし動けず
(林) 書道に専念されてられるのですね。私も絵を描いていますので理解できます。
(白樺) 従来の上の句5、7、7でまとめから下の句7、7へと続く構造とは異なって結句の前の一字空けが斬新で作者の書への集中力が強調されていますが、上の句の主眼は第三者の筆捌きをしている書家の筆先で、結句の主眼は作者自身の筆先ですが、上の句の重さを少し減らし結句の主体を明確にすると読み易くなるのでは。
(千代: 結句は私の筆先ではなく、観ている私自身の状況です。余りの見事さに感動のあまり動けなくなっている、ということです。)
(深沢) 書のデモンストレーションでもあったのをご覧になられていたのでしょうか。驚きと感動で静止してしまった時間の様子が、五文字の結句の言葉でありありと表現されています。
(北里)「筆捌く」とは筆遣いが巧み、ということでしょうか。筆先を活かしきること=自分を生ききる、のようなととらえ、動けないほどの衝撃を受けたのは書道をなさる詠み手らしいう受け止め方ですね。四句で切れて、一字空けが効果的と思いました。
筆捌く書家の筆先さながらに活きゐるごとし しばし動けず
*夕空は黄色・橙・桃色へ徐々に移りて憧れを呼ぶ
(林) 夕空が素晴らしく美しい様 その色の変化をじっと時間をかけて観察してられる作者の心の在り方が素敵だと思います。
(白樺) 視覚にうったえるお歌です。
(深沢)空の色の変化が心を和ませてくれる一首です。
(北里)夕焼けの美しさはどこか怪しげで時々恐ろしいほどと感じることがあります。ここでは夕焼けの色の変化を明確に表現し、心奪われた美しさを「憧れ」と表現したのは良いと思います。
*夕空は黄色・橙・桃色へ徐々に移りて憧れ招く
深澤しの
雨降れば心も病むか冬の雨 部屋に籠れば鬱が顔だす
(林) 結句の「鬱が顔をだす」自分の感情を客観視されていて面白いと思いました。
(千代) ・・・ば・・・ば と、上の句下の句で使われていますが、対になる言葉なら、例えば・・・行けば・・・帰ればというふうには使うこともあると思いますが、「雨降れば部屋に籠もるも冬の雨 心も病むか鬱が顔だす」としてみましたが、いかがでしょうか?
(白樺)”雨降れば” ”冬の雨”のどちらか削れると思います。例えば 「冬の雨部屋に篭ればいつしらに心も病むか鬱が顔だす」
(北里)気持ちが天気に左右されることはますので、分かる歌です。何か心に掛かることようですが、気持ちの沈み方がちょっと重そうですね。
雨降れば部屋に籠るも冬の雨 心も病むか鬱が顔だす
「しれーとこー」お登紀さん風に謡いつつ あの頃吾も若かったなと思う
(林) 歌ってるお登紀さんの声が聞こえてきました。こんな「くすっ」と自分の過去を笑え感性を私も大切にしたいです。
(千代) 作者が加藤登紀子の唄ったように「知床」の歌を口ずさみつつあの頃若かったと追憶にひたっている様子は想像出来ますが、なぜ「知床」の歌なのか、なぜ加藤登紀子ふうに口遊んだのか、そして若き日の追憶に浸ったのかを、どこかで暗示できると、作者独自の歌となるのですが・・・
(白樺) 知床旅情は確か森繁久弥の作詞作曲でしたね。加藤登紀子は現役で活躍されているようで昭和が懐かしく思い出されます。
(北里)「も」は他の人も自分も、の意と思いますが、自分に焦点をあて「吾は」としては。結句は字余りなので「思う」を略しても良いのでは。
「しれーとこー」お登紀さん風に謡いつつ あの頃吾は若かったなと
点々と桜の桃色愛らしく 咲き始めたり庭園の中
(林) 本格的な春の到来を感じる瞬間を作者はうまく捉えてられると思いました。
(千代) この歌の作者が誰でもいい歌になってしまっていると思えます。この作者でなければ表現しえない表現がどこかにあるといいですね。
(白樺)”愛らしく”の情景を客観描写できると歌にスパイスが出ると思います。
(北里)いよいよ桜の季節ですね。どちらの庭園なのかしら。桜は何の種類かな、とか思いました。(日米桜100周年記念でハーマン公園に寄贈された30本の桜)
*点々と桜の桃色愛らしく 咲き始めたり庭園の中
白樺ようこ
雪原にリュックを下ろしてひと休みスキー仲間とランチも弾む
(林) 雪原の上でランチ!寒さを吹き飛ばす活気を感じます。
(千代) 楽し気な状況は理解出来ますが、この情景の中でどこか一点作者の心をとらえた場面なりを表現できているといいのですが・・・。
(深沢) 雪原でのピクニックの様子でしょうか。最後にスキーをしたのは、多分30年程昔でそれも人工雪でした。雪原の色と様子を想像するだけでワクワクします。
(北里)お天気は晴れかしら。お仲間とのランチ、楽しそうで良いですね。
雪原にリュックを下ろしてひと休みスキー仲間とランチも弾む
*母逝し年に植樹の桃の木は蕾をつけて春待ち侘ぶやも
(林) お母様を亡くされた年に桃の木を植えて毎年お母さまを偲んでお花見をされる作者のお姿が目に浮かびます。
(千代) 結句を、現実には居ない母親でも、母が春を待ちわびているような表現だと、作者がもっとこの歌を活かせるように思います。
(深沢) 亡くなられたお母様は桃の花がお好きであられたので、植樹をなされていたのですね。北国で桃の花は、春の訪れを心待ちにしていることと思います。素敵な歌です。
(北里)私の母も桃の木を植えたことがありました。孫の名前に桃子なので。でも何年か続けて植えましたが実家の土や気候には合わなかったのかで実をつけるまで育たなかったようです。しっかり育っていることが素敵です。
*母逝きし年に植樹の桃の木は蕾をつけて春を待ち侘ぶ
太平洋泳ぐORCAの存続に 健やかな海願ひてやまぬ
(林) 人間が快適な生活を追求した結果、あらゆる生き物の生存が危ぶまれているのですね。作者の優しい感性が素敵です。
(千代) 大きな総合的なものを読む時には、大から小へ あるいは小から大へと表現を考えるといいと思います。余りにも一般的な歌になってしまっているように思います。
(深沢)夕陽に反射して赤く見えるRED ORCAのことでしょうか。
(北里)「ORCA」はシャチのことのようですが、絶滅危機の報道がバックにある歌でしょうか。(環境破壊のような問題を取り上げているのかしら。ここでの「健やかな海」とはどのようなことを指しているいるのかなと思いました。
(白樺:北米沿岸のシンボルとも言えるORCAの生存率が低下して危機に面していることを聞いて唖然としました。海の汚染や破壊が無くなり生物が絶滅にならないように願っています。)
太平洋泳ぐORCAの存続を願ひて慎む無駄の数々
林よしこ
*白桃を味わうように桃飴を友と分け合う沈黙の時
(千代) 良いところを捕えているとは思いますが、心許し合っている友であるか、あるいは何かに傷ついて心萎えている人であるかによって、結句の沈黙の時の解釈が変わってくると思います。短歌の中で“友”と表現すると甘くなることが多いですね。
(白樺) ヨガか坐禅、あるいは会話が途切れた時の情景でしょうか。桃の優しい味がひとときの安らぎを与えています。
(深沢)日本の白桃の飴は美味しいですね。飴が口の中にあるので、友といるのに会話ができず、沈黙の時なのでしょうか。
(北里)一つの飴を分けるのは難しいから包んである飴でしょうか。それとも棒飴のようなものを割ってかも。その友とは桃に共通の特別な想い出があるようですが、「沈黙」につながるものは何なのかなと思いました。ほんわかと嬉しいことなのか、悲しいことなのか。
*白桃を味わうように桃飴を友と分け合う法話の時間
読み終えし本を置きつつ目を閉じる つながる宇宙深い色彩
(千代) 何か哲学的な、あるいは仏教的な本を読んでいたのでしょうか?読み終わり、目を閉じると宇宙的な思索へと心が移行し、その宇宙は深い色彩を帯びていたと、言いたかったのでしょか?
(白樺)宇宙という壮大な背景がある深い思索の切り取りで読み終えた本が何であったかヒントが欲しいと思いました。
(深沢)読み終えた本は宇宙に関する本ですか。宇宙空間の背景は、ほぼ黒いので、結句は異なる語彙を選ばれてみては
(北里)本を読み終えたらなぜ宇宙とつながったのか、そのヒントがあると詠み手の読後に広がった深い思いが伝わるのではないでしょうか。
読み終えて目を閉じれば空海の生きた風景 辿る足跡
ガザで泣く子供らをみて吾を律す自粛命令 祈りの時間
(千代) 余りにも大きなことを詠うと、どうしても抽象的になりがちです。こいうことを歌にするのは難しいですね。自粛命令 祈りの時間という抽象的な言葉ではなく、もっとガサの戦禍の状況を目にした時に、どのような衝撃を受けたかを具体的に(自粛命令というような十把一絡げの表現ではなく)自分自身の受けた心の動きを表現すると、もっと読者に感銘を与えると思います。
(白樺) 困難な状況に置かれた子供達の為にお祈りしている心がやさしい。
(深沢) 不遇な環境の子供たちのためにお祈りを捧げておられるのですね。
親や家族を亡くした子供も多く、恐怖感にかられて涙している子供もいることでしょう。子供の哀しむ姿は心が痛みます。
(北里)「自粛命令」とは?食も満足に得られないガザの子供たちを思って贅沢はしないとか、何かを控えるとか、そういうことかと思いますが。平和を祈らずいいられない気持ちはよくわかります。
箸を置きガザのニュースに耳すます 助けを信じ無言で祈る
北里かおる
*友招き桃の節句のちらし寿司母思い出す薄焼き卵
(林) リズムがあっていいです。お母さまの愛情が伝わってきます。
(千代)ここで言いたいのは、生前のお母さまが作ってくれていた薄焼き卵を懐かしく思い出したことを詠みたかったのですよね?そうすると、初句は無駄なのでは?(北里)初句によって自分が手作りすることが伝わるかなといいなと思いましたが。最終歌は単に思い出の歌としました。
(白樺) 桃の節句とちらし寿司、薄焼き卵は美味しそう。上の句でちらし寿司があり、下の句でもちらし寿司の具材の薄焼き卵があるので、例えば上の句で桃の節句を大きな背景として、下の句でちらし寿司と薄焼き卵の細かな描写にすると全体的に流れが出るのでは。(北里)考えてみましたがテーマはひな祭りではないこともあり、下の句14音で言いたいことはなかなか難しく、でした。
(深沢)桃の節句を祝う手料理の中でも、ちらし寿司は彩もあり、目を楽しませてくれます。お母様は桃の節句の時はちらし寿司でお祝いをして下さっていたのですね。その中でも、黄色の薄焼き卵は格別な味で会ったことと思います。思い出がたくさん詰まった1首ですね。(北里)思い出は時に悲しさを伴いますが、私がいなくなったら思い出す人もいなくなるわけで、思い出すことを避けてはいけないと思うこの頃です。
*桃の日の思い出は母のちらし寿司一緒に焼いた薄焼き卵
色褪せし本のかずかず手に取れば若き日の吾と出会う時あり
(林)昔読んだ本のページをめくるときの一瞬の気持ちをうまく表現されていると思います。
(千代)もっと集中的に詠んだほうがインパクトがあると思いますが・・・例えば「色褪せし一冊の本を手に取れば若き日のあの日の吾と出逢い胸騒ぐ」(北里)実家に置き去りにしていた本を処分したときのことですが、フランス語などの辞書や聖書、授業のテキストなどもありましたし、特に学生時代を懐かしく思いました。インパクトのある歌もよいですが、この歌は自分としてはぬるく詠みたい感じです。
(白樺)数々ある昔読んだ本の中で特に印象に残っていて若き日を呼び起こしてくれる本のヒントとかあると良いと思います。(北里)読む方によってはもどかしいのかもしれませんね。いつか何か一冊に絞って詠んでみたいと思います。
(深沢)どの本も想い出がありすぎて、なかなか処分出来ずにいます。本の片づけなどしてみることならば、一冊手に取りページをめくり、回想が頭をめぐり結局何の進歩もないまま時間だけが過ぎていきます。とても共感できる1首です。
色褪せし本のあれこれ手に取れば出逢う時あり若き日の吾と
雪解けの進む田畑は撒かれたる融雪剤に水墨画のごと
(林)水墨画のように見えるのですね。田畑の上に積もった雪が解ける様子を上手く表現されていると思います。
(千代)このような情景を見たことはありませんが、結句の「水墨画のごと」と表現したことで、作者自身の表現になっていることが、とてもいいと思います。
(白樺)融雪剤を撒いたので雪が水のように溶け出したのですね。冬ならではの景色ですね。(北里)すぐ溶けて水になるのではありません。融雪剤は黒なので、そこから太陽の光で雪解けが促進されるのです。最近はドローンで撒くこともあるようです。
(深沢:)田畑には融雪剤というものを使用されるのですね。初めて知り得ました。融雪剤は無色ですか。田畑の表面の雪が解けて水墨画のようになるのですね。(北里)こちらでよく見かけるのは黒の融雪剤です。すすを主成分としているそうです。
雪解けの進む田畑は撒かれたる融雪剤に水墨画のごと
課題予告
3月「桃」白樺
4月「ランドセル」深沢
5月「耐える」宇津木
6月「結ぶ」北里
7月「花火」林seel
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