2024年6月1日土曜日

Eメール短歌会  2024年5月 題詠「耐える」



元歌:黒

コメント:赤

コメントへの応答:紫

講評を参考に推敲した最終歌


北里かおる


いっせいに散りゆく桜 こみ上げる思いのごとく葬送の空へ


(千代)散るのは下方に向って落ちて行くのですよね?込み上げるのは、上方に向って上がってくるのですよね?そこがちょっと繋がらないのですが。もしかしたら、散っていく寂しさと、どなたかを葬る寂しさを合わせたのですか?それから、~のごとくとありますが、桜が散るのは空へは舞い上がらないですよね?私の理解を越える歌に思えます。(北里:風の流れや強さによると思いますが桜吹雪をこちらでは見ます。降る雪も下から上へ動くのを見ます。焼骨の間の自分の気持ちを桜にたくし詠んだものですが、「込み上げる思いのごとく」は安易な表現かと思いましたので変えました。
(林)とても感受性が豊な作者ですね。 うまく表現されていると思いました。

(白樺)死のはかなさを桜の花の散る様子に重ねて寂しさを表したところが良いですが、最初の二句と結句で桜の散る様子に焦点があるように響くので語順をかえる等して、「哀しさの思い」をより強調できると良いと思います。

(北里:語順を入れ替えてみました。)

(深澤)初句をひらがな表記にしたことで、一本の桜の木の花びらが舞い散るのではなく、複数の場所で同時に舞い散っているという出来事を表現していると思います。結句の見送りの言葉にある送り出している空一面に桜の花びらが舞っている様子が浮かばれます。

ゆくものを悼むが如くいっせいに散りゆく桜葬送の空へ


*ひと冬の雪の重さに耐えかねて枝折れひどきに新芽伸びくる


(千代)4句目枝折れひどきにですが、逆接の接続詞として用いているのですね?でもいいですね。この逆接の接続詞として用いられています。(北里:枝折れで酷い状況にもかかわらず、の意ですから、逆接でしょうか。確かに短歌では「も」方が合いますね。)
(林)冬から初春の季節の移り変わりの様子が目に浮かびます。とても良いと思います。

(白樺)生命力の強さが伝わるお歌です。「枝折れひどきも・・」と助詞を変えると良いと思います。(北里:最終歌は助詞を「も」に変えました。)

(深澤)雪という環境にスキー以外はあまり触れたことがなく、どのくらいの降雪量で枝が折れるのか想像もつきません。派生した枝から接木をしなくても自然と新芽が出てくるのですね。自然は賢く生き延びる術を心得ているのですね。


*ひと冬の雪の重さに耐えかねて枝折れひどきも新芽伸びくる


ひとり釡鳴りを聴く溝深き茶杓にすくう八十八夜


(千代)二句目でぴっしゃりきってしまうのではなく、・・・釜鳴り聴きつつ・・・としてみました。(北里:その方が時間の経過がありますね。)

(林)八十八夜  新茶を摘む時なのですね。

(白樺)下の句がとても良いと思います。上の句の三句目と下の句の四句目が句またがりになっているのが気にかかりました。二句目の後に一字開けはどうでしょうか。(北里:元句は初句も切れているようなリズムなので、語順と語彙を変えてみました。樋(ひ)は溝のことです。)

(深澤)何も不思議な出来事は51日は起こらず、一番茶を味わうことができたのですね。結句の体言止めに効果がありますね。「茶摘み」の歌でも歌われているのでとても親しみを感じる一首です。


釜鳴りを一人聴きつつ桶の深き茶杓にすくう八十八夜


林よしこ


*耐えること辞めると決めて微笑まん鏡の前で慎ましやかに


(千代)辞めるは、止めるでしょうね。耐えることはもう止めようと、決断したわけですね?そのことと微笑まん慎ましやかにへの関連性がよく理解できないのですが・・・。
(白樺)無理して耐えないと決めて心を軽くして微笑みを浮かべようとする作者。結句の「慎ましやか」は慎ましやかに微笑もうということか、慎ましやかに耐えようとすることかが曖昧です。

(北里)耐えていたことは何なのか想像がふくらみます。ダイエットとか、誰かのしがらみとか軽いものから重いものまで色々ありそうです。結句からはあきらめというより、静かに戦いの狼煙を上げたのかと思いました。逆襲の笑みならちょっと怖いです。鏡の前で自分を鼓舞しているのかも。ということか曖昧に感じました。

(深澤)耐え忍ぶ自分自身との戦いから身を引いたのですね。控え目ながらも微笑んだのでしょうか。


*耐えること止めると決めて花を買う飾る向日葵太陽のごと


無から有 如何に産み出す雷を暗き空には雨雲重く


(千代)無から有を生み出す証として、雷を挙げているのですか?そしてその雷はどうして生まれるのか?を問うているのですか?余りに抽象的な思索を詠うのは、難しいですね。作者にとって大切な思索や哲学をそのまま詠むのではなく、日常の中での動作や、草木、動物などに託して詠うといいと思います。
(白樺)思索的で難しいお歌の印象を受けました。大きな観念を作者自身に即した具体で表現できると歌の深みや余韻が増すようです。

(北里)初句の後半角開けていますが、「」❝❞等を付けるのが良いのでは。倒置があり3句切になっていますが、主語がないので「如何に生まれる雷は」なのでは。科学的には雷は無から生まれるわけではありませんが、歌としてはおもしろいと思います。

(深澤)とても難しい一首です。雷発生のしくみを詠っているとは思いませんが。


「無から有」産み出す人に憧れて女神の助け待ちわびる


の息子それぞれ違う団子達どうか幸あれ三兄弟


(千代)要するに我が子達の幸せを願っている母の歌ですね。しかし、歌は直接そのことは詠わずに、例えば、俵 万智の歌「制服は未来サイズ入学のどの子もどの子も未来着ている」何にも幸せを願っているような直接的な表現はないけれど、制服、入学、未来などの言葉からその願いは察せられる。出来れば、歌を詠む時には考えることを止めて、感じたことの核、直感を大切にして表現を工夫していくといいと思います。

(北里)息子さん達を団子に例えて願う幸とは何かしら。バックにあると思われる「団子3兄弟」の歌詞を振り返ってみましたが、特別な意味はなく、単に末永く仲良くね、ということでしょうか。歌では一つの串に団子三つでしたが、この歌からは三本の味違いの団子の串を想像しました。

(白樺)息子さん達を団子達と表現したところが面白いですね。兄弟といえどもそれぞれ違う個性を持ちながらも一本の串で繋がっている家族の繋がりが伝わります。

(深澤)日本の和菓子屋さんに手作りの三色団子を作って頂き食べたばかりで、お子さんを団子に例えて詠まれているので、楽しく拝見させて頂きました。団子なので四六時中一緒にいて、離れられないほど距離が近いが故の悩みもあるのかなと思いました。


吾の息子それぞれ違う色持ちて皆集まりし私の為に


宇津木千代


陽も薄き鎮もる森にシャクナゲの花語で語る精と出遭ひぬ

(林)メルヘンぽく まるで夢の中の風景を見ているようです。

(白樺)下の句が詩的で良いと思います。

(北里)メルヘン、童話の世界観ですね。シャクナゲの花語とあるので花がそれぞれの種類ごとに花語をもっているという発想でしょうか。シャクナゲの精が自分の花語で話したのですね。メルヘンが生まれるような美しいシャクナゲを見たのでしょう。

(深澤)花に話しかけるときちんと応えてくれるという話を聞くので、エネルギーで質問に対するイメージを本来伝えてくれていると思います。花語のできる精とは想像を絶するふんわりとしたイメージがあり、夢心地になれる一首です。(千代:この歌は、森の中で出会った私の不思議な感覚を詠んだものです。時々蕨の時期に森の中へ入りますが、一生懸命に蕨を摘む私の背後で誰かに見つめられているような感覚に襲われ、振り向くと野生のシャクナゲが一本、弱弱しい姿で、何かを語り掛けているような感じを受けたのです。薄暗い森の中から逃れようのない自身の運命を訴えかけているような、そんな感じでした。その感覚を歌に詠んで花語という言葉で表現しました。


陽も薄き鎮もる森にシャクナゲの花語で語る精と出逢ひぬ


今更に愛とふ語彙はなけれども情けはありて解く夫の髪


(林)表現が極めてストレートですが素敵な作品だと思います。

(白樺)具体動作で長年連れ添った夫婦愛が伝わります。

(北里)老々介護が話題になる昨今。髪をとかしてあげる行為は十分に愛の形と思います。情けも愛情の一部と思いますが、詠み手には明確な一線があるのでしょう。愛と情け、語彙と行為の対比させるという発想がおもしろいと思います。

(深澤)愛情を解体して、違いが明確に示されているような気がします。「愛」が本能的なエネルギーで、「情」がご主人との関係性を特別視しているからこそ生まれているものなのでしょう。長年の生活を垣間見ることのできる一首だと思います。


今更に愛とふ語彙はあらねども情けはありて解く夫の髪


初夏の樹々くきやかに影落としふと身を襲ふ耐へがたき悲哀


(林)確かに夏のきつい日差しは年を重ねると心身共にに応えます。

(白樺)「くきやか」という語はあまり使わない言葉ですが「鮮やかではっきりしているさま」という意味ですね。初句は「はつなつ」と読むと5、7、5、7、7の韻律に収まりますが「しょか」と読むと韻律が大きく崩れて朗詠すると滑らかにいきません。上の句の視覚に訴える背景とは対照的に結句の作者の心を襲った「悲哀」に想像が及びます。(千代:はつなつ と読ませたいのですが、読者がそう読んでくれるかは疑問ですね。そこで表現方法を変えてみました。)

(北里)季節の鮮明な移ろいに急に激しく心揺さぶられた場面かと。悲哀にこめたあれこれ、今のことか、明日のことか。漠然とした不安を感じながら生きている日々に、夏の光ではなく「影」に人生の悲哀と感じていることが詩的だと思います。(千代:そうですね、漠然とした人生の悲哀ということで、何があったからではなく、生きることそのものの悲哀というか、ちょっと説明しがたいですが、そよ風に揺れる木々の葉のくっきりとした影を見ている時に湧き上がる悲哀と言いましょうか・・・そんな感覚を詠みたかったのです。)

(深澤)「くきやか」という言葉を知りました。結句の悲哀という言葉に、作者の計り知れない心中が想像されます。


*はつ夏の樹々くきやかに影落としふと身を襲ふ耐へがたき悲哀


深澤しの


「生きる」とは如何なることか繰り返し自問する日々一人暮らし


(千代)10人居れば10通りの「生きる道」があるわけですが、形而上的なことをそのまま詠むのは難しいですね。

(林)真摯に凛と生きておられるお姿が目に浮かびます。

(白樺)観念的な印象ですので、日々における細かな具体を取り入れると歌として想像が膨らみます。

(北里)「生」という重たい課題を日々意識しながら生活している方なのですね。隣に人がいても心は独りということはありますが、結句に現状の寂しさが凝縮されています。テーマが大きいので、日常の小さな行為からの視点で詠うと、また味わいが出るのではないかと思います。

「生きる」とは如何なることか繰り返し自問する日々一人暮らし


紫のライラックの花が実を結ぶ 頃に部屋着も夏服となる


(千代)頃には取って結ぶころで、丁度5字になりますから。

(林)ライラックの花が実を結ぶとは初めて知りました。

(白樺)季節感がありますが上の句の韻律が大きく崩れているのが気に掛かりました。

(北里)ライラックの花ではなく実に注目し、季節の移ろいを夏服にたくして詠んでいるのが素敵と思います。ライラックといえば紫、白もありますので、紫を強調したかったのかと思いますが省略できるのでは。句がまたがってはいますが「頃」の前の半角空けは必要ないでは。「部屋着も」の「も」は?出かけるときも夏服になっていくので、例えば「吾の庭のライラックに実が結ぶころ夏服となる部屋着に街着」とか。


紫のライラック結ぶ頃 部屋着も街着も夏服となる


騒音に耐える夜中の一室でヘッドセットし静けさを待つ


(千代)理解しやすいし、リズムも良い表現ですね。

(林)作者はどちらにおられるのでしょうか? ヒントがあれば想像し易いと思いました。

(白樺)夜中に騒音に満ちている場所とは?

(北里)旅先のホテルの一室とかでのことでしょうか。昔ビジネスホテルでそんな経験をしたことがありました。今は携帯電話がありますので、色々と気をまぎらすことができますが、「耐える」にはが辛すぎる状況のようです。


騒音に耐える夜中の一室でヘッドセットし静けさを待つ


白樺ようこ


鯉のぼりの空を見上げて口ずさむ甍の波と雲の波 の歌


(千代)良いと思います。願わくばどこかに作者ならではの表現が入れば、歌がもっと惹かれると思います。他の人達が気付かなかった表現にチャレンジしてみて下さい。

(林)日本では今も鯉のぼりを見かけるのですね。懐かしい景色です。

(北里)郷愁の思いがにじむ一首です。結句の半角空けが気になります。(白樺:タイプミスです。)歌のタイトルは「鯉のぼり」ですから「鯉のぼりの歌」となるところか「~の歌詞」となるか。(白樺:歌のタイトルは忘れて歌詞だけを覚えていました。)「口ずさむ」とあるので結句の「歌」は省力できるかとも。最近はご近所で鯉のぼりを見かけるのは幼稚園くらいで残念です。

(深澤)端午の節句を祝う鯉のぼりを見かけることは稀です。字足らずになりますが、結句の「・・の歌」省いてもよいかもしれません。


鯉のぼり「甍の波と雲の波」皆で歌ひし昭和の校庭


*醜きこと耐へて追はむか今日ひと日の楽しきことや美しきこと


(千代)醜きことを、例えば耐へていし言い争いの仕舞いには今日の美しさ楽しさ
求めんとか?

(林)今日に集中し楽しく生き抜く覚悟が感じられます。

(北里)ニュースでは目や耳をふさぎたくなるような事件が多い日々、良い面を見て生きていくという気持ちは精神の安定のためには大切ですね。見つけた「楽しきことや美しきこと」を具体的に短歌にすると読み手の共感を引き出せて良いのでは。

(深澤)日々耳にするのは、不安を掻き立てるような内容のものばかりですね。抽象的な語彙よりも具象例があるともっと分かり易いかもしれません。


*耐へていしメディアの流す世の不安 追ひて探さむ美しきこと


*初夏の庭蚊の襲撃に耐へながら草をむしりて半日の過ぐ


(千代)よく理解出来る歌ですし、リズムも良いですね。でも、母残せし とか、廃屋にせじと草むしるとか、作者でなければ分かりえない気持ちとか、そういう表現があるとよりよい歌になると思います。
(林)作者が自然と戦うという強い意志をお持ちだと伝わってきます。逞しいですね!

(北里)蚊は命にかかわる蚊媒介感染の病気がありますので、「襲撃」レベルなら半日も耐えては危険と思いました。短歌としては蚊を相手の草取りの大変さに潜む可笑しさがねらいなのかと思いました。(白樺:お隣が仏教寺院なのでお供えの花瓶に水が残っていて蚊の天国になっているようです。最近蚊が媒介する感染病の薬ができたと聞きましたが少し不安になりました。)

(深澤)テキサスの蚊はテキサスサイズでバカでかいので、襲撃にあいながら草むしりをするのは到底困難な技です。動物も蚊からは保護しなければなりません。アレルギー反応を起こさずに蚊の予防もしながら草むしりをして頂きたいです。


*初夏の庭蚊の攻撃に耐へながら草をむしりて半日の過ぐ



課題予告


6月「結ぶ」北里

7月「花火」林

8月「」深澤

9月「社会詠」白樺

10月「」宇津木


0 件のコメント:

コメントを投稿