2024年2月23日金曜日

2024年2月 Eメール短歌会 題詠「月」


原歌:黒
コメント:赤
コメントへの応答:紫
講評を参考に推敲した最終歌


宇津木千代

腹立ちは哀しみとなる 言行の異変は夫の病と知りて

(白樺)作者の気持ちが素直に詠われていて良いと思います。
老齢化に伴って起こるもろもろの精神的、身体的病がヤングケアラーや老老介護等の社会的現象を生み出していく中で、身近な現象としての切り取りが社会詠ともいえるお歌です。従来の韻律、上の句で5、7、5として纏めてから下の句7、7へと続くのとは異なって上の句の2句で切れてから一字開けて下の句で5、7、7へと続く構造に注目しました。
(北里)私も親の介護をしましたので、詠み手の辛く複雑な気持ちがズドンと伝わってきます。その思いを短歌に落とし込んで、自分と向き合っておられる、日々の生活から生まれる歌は実景があり良いと思います。
(林)言葉にならない悲哀を歌で表現することができるのは素晴らしいです。
どうかご自愛下さい。
(深沢)真実を知ることは哀しいことです。腹立たしさも哀しみも相手に通じないことは歯痒いと思いますが、病であれば致し方がないことなのですね。
 

苛立ちは哀しみとなる 言行の異変は夫の病と知りて
 
暗闇に逃れんとする言の葉を急ぎレシートの裏に書き付く 

白樺)一瞬のひらめきはすぐ消え去ってしまうのですぐ書き留められるようにメモをいつも手近に用意しておくことは短歌に限らず何かを創作する者の必要不可欠なツールとも言えますね。作者は言葉のひらめきが消え去ってしまうことを「暗闇に逃れん・・」と表現しています。レシートでもなんでも手近な紙に書きつけることができてひとまず安心。
(北里)せっかく降りてきた言葉が消えてしまう経験、あるあるで共感を覚えます。これくらいは覚えていられるという過信はもうありません。近くにあった紙がたまたまレシート、いう切り取りが可笑しみあり、臨場感あり、です。
(林)私も見習いたいです。
(深沢)状況が良く理解できます。自分もナプキン、レシート、クーポン等に言葉を書き留めることが多いです。初句はものごとを忘れかけている言葉を書け言葉風に使用しているのでしょうか。(千代:せっかく閃いた言葉がどこかへ消えて行ってしまった状況、脳の画面に映っていた言葉が真っ黒な画面になって、どこかへ消えてしまった状況です。) 

暗闇に逃れんとする言の葉を急ぎレシートの裏に書き付く 
 
*窓越しに夜を覗けば外の面(とのも)には月影そそぎ異界のいざなふ
 
(白樺)幻想的な風景で綺麗に歌われています。
(北里)月の光の美しさに惑わされて、何かに化かされそうな夜の雰囲気がよく出ていると思います。「外の面」は古典的表現で情緒がありますが、初句、2句から、省略できると思いました。結句の「いざなふ」の前の「の」はどういった働きなのでしょうか。「へ」の意味でしょうか。(千代:窓越しの件ですが、“覗く”ということで、何か狭い枠か穴のような小道具が必要です。そのための窓です。覗くという感覚が、余計に異界を髣髴とさせます。“異界の” の “の”は格助詞で、主語を作るか、連体修飾語を作ります。この場合は主語を作っています。“異界がいざなふ”とか“異界はいざなふ”とかと、同じ意味です。
(林)この異界の景色がどんな感じか 見たくなります。(千代:夜運転していてよく分かるのですが、昼間の光景とはまったく違って映ります。その上、月光がそそいでいたりすると、全く昼間の世界とは違う世界、異界を感じます。)
(深沢)絵画のように、その姿を様々な形に変えていく月影のある外の模様は、さぞかし興味がわくでしょう。
 
*窓越しに夜を覗けば外の面(とのも)には月影そそぎ異界のいざなふ

林よしこ

*満月を内に迎える週末は 凍てつく冬も春の夜桜

(千代)内にという意味が分かりません。週末を入れる意味?凍てつ凍てつくという言葉を入れたらという言葉はいらないですね。それにという言葉を入れてしまったら、春の夜桜と、矛盾しませんか?
(白樺)寒い冬でも早咲きの桜が咲いているので心は暖かということでしょうか。桜というと春を連想させますの春を削って例えば、「・・凍てつく夜に寒桜咲く」
(北里)「内」の意味によって解釈が変わりますが、「自分の心の中」と取りました。満月になるのが嬉しくて外は寒くても心は春の気分ですよ、桜も咲くよ、と。豊かな気持ちになります。「週末」は時間の幅があり、これから月が満ちるまでの思いを詠みたいのかもしれませんが、満月を見ている今の心境として詠むと臨場感が出ると思います。
(深沢)太陽、地球、月が前へならえをしている満月の日は、心と身体も変わるので、夜桜はきっと見応えがあるのでしょうね。

*満月を内に迎える月輪観 寒桜咲く吾の暗闇に

幸せは遠くにあると思いきや吾の中に在り足るを知る今

(千代)メーテルリンクの青い鳥に似ていますね。また、確か仏教で、誰かの歌か?仏を求め求めて行ったら、自分の中にあったというような文があったような気がします。仏教用語だと思いますが、「知足」という言葉もありますね。まあ、それはともかく、この主旨を歌にする場合は、そのまま詠ってしまったら、現代短歌にはならないので、具体を詠んで読者が、ああ作者は、本当の幸せとは身近に在るものだと言いたいのだなと感じ取れるような57577の表現をしないと、感動の薄い歌になってしまいます。抽象的、観念的概念をそのまま歌にしないで、もっと頭から具体の中に下りてきて、心身で感じ取れるものから言葉を選んでいくといいと思います。
(白樺)ある境地に達した作者は幸運。具体を取り入れて幸せという気持ちをそれとなく伝えることができると歌としてより深みが出ると思います。
(北里)メーテルリンクの『青い鳥』と龍安寺の蹲に刻まれている「吾唯足知」(釈迦の教え)を思い浮かべました。私にはそうありたいと願う心境です。結句の内容を具体的に表現すると、より共感を生むのではないかと思いました。
(深沢)自分とは無関係と思たっところ、一番近くに幸せがあることに気づかれたのですね。そのことを歌に出来るとは素晴らしいです。今、自分が生かされるいるだけで幸せだと思います。

幸せは遠くにあると思いきや吾の中に在り 鏡の前で微笑むわたし

お供へに果物送り受けし姉 風邪引いておりシンクロ二シティ

(千代)「送り受けし」ということは、作者が送ってお姉さまが受け取った、ということですか?シンクロニシティ(共時性)は、お姉さまと作者が同時に風邪を引いていた、ということですか?何か一つに主旨を絞り、一度詠んだ歌を推敲することが大切です。そして、自分の主旨を読者に伝えたいために、必要でない言葉を消していく練習をするといいですね。この歌で、作者は何を詠いたいのですか?
(白樺)「送り受けし」を作者を主語として「お供えの果物届けし姉の元
・・」結句の「シンクロニシティ」は作者もお姉さまも同時に風邪ひいていたということでしょうか。
(北里)面白い切り取りです。思いが通じていたのですね。一字あけるとすれば「シンクロニシティ」の前が有効では。例えばですが「お供えに果実送れば姉なんと風邪ひいており シンクロニシティ」
(深沢)姉妹関係がきっとよろしいのですね。もしかしたら気持ちは双子なのかもしれませんね。

お供えに果実送れば姉なんと風邪ひいており シンクロニシティ

北里かおる

正されぬさみしさもあると語る人 言われぬことに怖さもあると

(千代)もしかしたら、師が一生懸命にアドバイスをあげても、聴く耳を持たないか、あるいは右の耳から左の耳に抜けて行ってしまうだけの生徒に、最後はお手上げで何も言われなくなるということもありで、「正されぬさみしさ」ということは理解出来ますし、何にも注意してくれないことの怖さもあるということはまた理解出来ます。Give Upされてしまうことですから。(北里:ここでは人から正されなくなることを言いたかったですが、どちらの側にも取れますね。裏には言えなくなっている自分の姿も。最終歌は理屈っぽさを減らしてみました。以前、奈良岡朋子さんがインタビューで芸のことで言われなくなることの「怖さ」を話していたのが印象に残っています。)
(白樺)「語る人」の心理は色々想像できます。上の句は反応が無いということで、暖簾に腕押しということでしょうか。なぜ言われぬことに怖さがあるのか分かりませんでした。(北里:年を取ったりキャリアを積むと周りから思っていることを言われなくなること、を念頭に詠みました。伝わりづらい内容でしたね。)
(林)きっと素晴らしい才能をお持ちの方なのですね。
(深沢)正されているうちが花なのかもしれません。(北里:特に親もいなくなって、最近よくそう思います。)

気兼ねなく正してほしいと話す人 言われぬことは淋しきことと
 
節分に出されし菓子の名を聞けば「おかめ饅頭」割れば紅餡 

(千代)紅餡とは白豆で作った餡で染めるのだそうですね?食べたことが無いのですが・・・言いたいことは?(北里:茶道では菓子との出会いも楽しみです。席中で菓子の名をお尋ねしますが、銘が「おかめ饅頭」で紅餡でした。「おかめ」の顔は縁起が良いとされ、節分では「福は内」の「福」として招福の縁起物、鬼面と共に節分飾りに用いられますが、それが饅頭に。茶道での菓子はまず目で、銘を聞いて耳で(季節感を意識した銘がある)、そして舌でと三段階の楽しさがあります。)
(白樺)川柳的な面白みがあるお歌です
(林)節分は福は内ですから紅餡なのですね。(北里:「お多福饅頭」というのもあるそうです。)
(深沢)おかめの顔の形をした金時豆で作った餡を使用した饅頭ですね。ほっぺが桃色で、とても可愛らしい旬の和菓子ですね。(北里:この時は面の形だけで絵のないものでしたので、想像しながら。それも楽しい。)

節分に出されし菓子の名を聞けば「おかめ饅頭」割れば紅餡
 

*暮れやらぬ薄墨色の空高く月を見つける わたくしの月 

(千代)結句のわたくしの月とは、とてもいい独自の表現ですが、ちょっとかしこまり過ぎているような気がします。わたしの月を” “は、強調でも詠嘆でもいいと思いますが、としたらどうでしょうか。(北里:自分だけが見つけた月のように感じ、ちょっと特別感を出したくてあえて丁寧語にしてみたものの、私も気になっていました。確かに仰々しくありますね。見たままを詠むことにします。)
(白樺)結句の前に一字開けて月が強調されています。
(林)わたくしの月-なんだかとっても素敵な表現ですね。
(深沢)薄墨色はあまりいい色ではないのにそれを自分の月と言っている胸のうちは。哀しいことでもあったのでしょうか。哀しい歌に感じます。

 *暮れやらぬ薄墨色の空高く月を見つける 片割れの月

白樺ようこ

*冬衣まとひて浮かぶ満月を招じ入れたく窓開け放つ

(千代)ここで表現している冬衣とは、何のことですか?4句目と結句はとてもいいと思います。(白樺:満月は年に1213日ありますが、冬の満月は春夏秋とはまた趣が異なって周りの冬の空気感をまとっているようです。)
北里)「冬衣」をまとっているのは満月、詠み手?(白樺:満月です。)「浮かぶ」とあるので満月のことでしょうか。月も冬の衣服を着ているという発想は新鮮で面白いです。北国では冬に窓は開放つこと不可、羨ましいです。仮に詠み手の厚着なら語順を変える方が良いと思います。「満月を招き入れたく冬衣しっかりまとい窓開け放つ」とか。
(林)冬の夜に窓開け放つという大胆な行為-それ程美しい満月だったのでしょうね。
(深沢)真冬に勇気のある歌ですね。冬のどんよりした雰囲気は、昼間でもついつい気分が落ち込んでしまいます。そのような中、満月を招きたいという気持ちが分かる気がします。

*冬衣まとひて浮かぶ満月を招じ入れたく窓開け放つ

初滑り目指すは道のり八マイルわれを鼓舞する白きトレイル

(千代)私達が、この円居短歌会(E メール短歌会)を通して、研鑽し表現力を増していくには、もちろん言葉での表現力を増していく(デジタル新聞を始め、様々な本などで学ぶ、優雅な古典的な日本語、新しい日本語を学ぶこと、分からない表現があったら、辞書を引き、インターネットで調べたり)ことと同時に、表現を表面的、観念的でなく、もっと深く、心身で体感できたことを言葉にすることが大切だと思うのです。そういう意味で、この作品はとても綺麗に描かれてはいますが、作者が誰であってもいい作品になってしまっています。歌はたとえ表現が稚拙であっても、その人しか詠めない表現があると、心惹かれるものがあります。
(北里)初滑りへの期待感満載ですね。内容は良いので、語順を整理しては。例えば「初滑り目指すは白きトレイルよ 吾鼓舞しつつゆく八マイル」とか。「目指すは」「われを鼓舞する」ともに「白きトレイル」に掛かるのかとは思いましたが。
(林)スキーを楽しまれているのですね。勢いを感じます。
(深沢)役10キロが初滑りとは、調子の良い幸運が目前に見えている感じがします。ウインタースポーツの醍醐味を感じます。

息切らし汗かきひたすら滑る道 目路の限りに続くトレイル

そこかしこ春の息吹を聴きながら緑地を縫ひてハイキングする

(千代)春の息吹を聴きながらと、一見とても綺麗な表現ですが、特徴がない表現になっています。特徴をだすには、作者が春の息吹を聴いた、ということですから、ではいったいその息吹は、どんな音がしていたのかを表現すると、作者独自の歌が詠めると思います。
(北里)春の野辺の散策が、とても気持ちがよさそうです。私の住む所はまだ雪に閉ざされていますので、待ち遠しい情景です。
(林)私もウキウキしてきます。
(深沢)明るく楽しそうな一首ですね。雪を避けて草地を探す楽しみも感じられます。

名も知らぬ野草の蕾の底ひより湧き上がりくる春の音を聴

深沢しの

読み返すみつをの「道」は暗澹たる己の道に光芒を放つ

 (千代)相田みつをの「道」には様々な道の詩がありますが、きっとそれらの「道」を読むことによって、今は暗澹たる自分の道に光を当ててくれるのでしょうか?相田みつをの詩「道」が、苦しい自分の現在の立ち位置に光を当ててくれるのですね。すくなくともそこに救いが見えるのがいいですね。
(白樺)まだみつをの本は読んでいませんが作者の道が暗澹たるということでしょうか。結句の助詞をとって「光芒放つ」とする7音になりスッキリします。
(北里)辛い時に心の拠り所となり読み返すものがあるというのは救いですね。みつをさんの言葉には本当に心に響くものがたくさんありますね。あの独特の字体も味がありますね。
(林)明確で素敵な歌だと思いました。

読み返すみつをの「道」は暗澹たる己の道に光芒放つ

あの頃に還れるものなら帰りたい「神田川」を聴き胸が騒ぎぬ

 (千代)神田川という、具体の歌を出し、その歌詞に触発されて、若いある時期を想い出している作者の姿が見えます。いいと思います。
(白樺)神田川というのは歌なのですね。東京生まれ東京育ちにとっては懐かしい響きがあります。
(北里)歌を聞いて蘇る記憶というものがありますね。「神田川」に潜む時代の雰囲気がよく分かります。今でも思い起こせば「胸騒ぐ」人の存在が切なく迫ってくるのですね。
(林)「神田川」切ない歌でしたね。私もあの頃よくフォークソングを聴いていました。

あの頃に還れるものなら帰りたい「神田川」を聴き胸が騒ぎぬ

臨月とおぼしき母とおかっぱの子が楽しげに語らっている

(千代)作者にもおそらく、同じような日があって、還らぬその一時を、妊婦の母と娘の姿をみて、切実に懐かしんでいる気持ちが伝わってきます。
(白樺)おかっぱの子は多分作者の小さい頃でしょうか。昔の写真を眺めて懐かしく思っている作者が浮かびます。
(北里)「おかっぱ」という表現は懐かしく、もしかしたら記憶の中の情景かと思いました。ほっこりとしていてやさしさが絵になる母子二人です。どのような場所でだったのかしら。場所のイメージが入ると「楽し気に」の代わりとなるかも。
(林)何気ないひとコマが生き生きと見えてきます。

臨月とおぼしき母とおかっぱの子が楽しげに語らっている


3月「桃」白樺
4月「ランドセル」深沢
5月「」宇津木
6月「」北里
7月「」林


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