元歌:黒
コメント:赤
コメントへの応答:紫
講評を参考に推敲した最終歌
コメント:赤
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講評を参考に推敲した最終歌
深澤しの
蘇るわが青春の1ページ 卵顔したモディリアー二の絵
(林) 卵顔したモディリアー二の絵を見て何を思い出されたのか興味が湧きます。
(白樺)モディリアー二の絵が作者の青春にどんな影響を与えたのかヒントになる言葉があると良いと思います。
(千代)どういう場面なのでしょうか?デイトで一緒にモディリアーニの絵を観に行ったのか?あるいは卵顔した中のいい友達が居たとか?卵顔したモディリアー二の絵に関係あることが、作者の青春とダブるわけですね?
(北里)「1」は漢数字がよいですね。結句は「絵の人」「人物画」等となるところでしょうか。何かモディリアーニの人物にまつわるエピソードがありそうですね。青春の思い出につながるヒントが一つ欲しいところです。
蘇る青春の一ページ 卵顔したモディリアーニの絵
横着になりし木々のリスたちに 懲罰としてピカーンを与えず
(林) いつもリスを観察されているのですね。微笑ましいです。
(白樺)リスの行動を横着と見ている作者。リスにもそれぞれ性格があるようで手で差し出したナッツを勇敢に手元まで取りにくるリスもいればナッツに興味がありながら人の手元まで取りに来ない臆病なリスもいます。
(千代)作者がいつもピカーンをあげているので、リスたちは自分達で餌を得ることをしなくなってしまったので、自分達で何とかしなさいと言うことですか?
(北里)野生のリスに餌をあげているのでしょうか。「懲罰」と言う言葉が厳しいですが、あえて可笑しみをねらって使ったのかなと思います。「横着」とはどういうことを言っているのか、「懲罰」に納得する具体がほしいです。
横着になりし木々のリスたちに懲罰としてビカーンを与えず
*貝の口をさらりと結ぶ君の手で ほどかれてゆく沖縄ミンサー
(林) すみません、私の想像力が足りません。
(白樺)貝の口を結ぶとは帯を結ぶということですね。下句では沖縄ミンサー織の帯がほどかれていくということで、結ぶとほどくとで反対の動作になるのでは?
(千代)いろいろ考えると、とてもエロティックな場面にも思えてしまうのですが・・・“君”というからには、この“貝の口”結びをする人は男性ですよね?その同じ手で、沖縄の綿の細帯をゆっくりとほどいていく場面
(北里)知らない人にも「ミンサー」は帯のことだと分かるように、沖縄はなくても「ミンサー帯」とするのが良いのかなと。「君」は男性とすると、帯が「ほどかれていく」のは恋愛のつやっぽい場面なのかと想像しました。
貝の口をさらりと結ぶ君の手でほどかれてゆくミンサー帯
林よしこ
*息を吐き身体(からだ)を結ぶヨガをして鳥になったり月になったり
(白樺)ヨガのポーズを身体を結ぶと表現したところが面白いですね。鳥や月はどちらも空の中を飛んだり浮かんだりしていますのでヨガをして身や心を自由自在に空に遊ばせるということをよく表現していると思います。(林)ありがとうございます。
(千代)ヨガをしている人なら“身体を結ぶ”ということが理解出来るのではないかと思いますが、ヨガをしない私には想像しか出来ませんが、ここで言う“身体をむずぶ”ということは、いろいろなポーズをとるということですか?(林)息を吐きながら体をひねったり曲げたりして色んなポーズをとります。
(北里)ヨガはyoga繋ぐ、結ぶ、という意味の言葉からきているとのことで、心と体を「結ぶ」ということでしたので、「心と身体を結ぶヨガ」という表現にすると良いのでは。呼吸が大切ということですから吸ったり吐いたりの両方ですかね。(林)そうですね。
(深沢)ヨガの意味は結ぶという意味もあるので、結ぶヨガとすると、語彙が重複していることになるのではないのでしょうか? (林)ご指摘をありがとうございます。
*息を吐き心身結び息を吸う鳥になったり月になったり
鉢植えを持ち上げ見ればミミズ達 吾に邪魔された静かな夜宴
(白樺)ミミズの目線に立って静かな夜宴をじゃましてごめんなさいと思っている作者の気持ちが優しいですね。(林)ありがとうございます。
(千代)短歌は特別な場面以外は“吾”が主人公ですから、“吾”を省くほうが、字数を他に使えます。結句と4句目を入れ替えて、・・・・静かな夜宴邪魔をしたらし などと表現できます。(林)そのようにさせていただきました。
(北里)鉢の下にミミズがいたのですね。イトミミズとかでしょうか。ミミズにしたら人間は迷惑な存在と、ミミズの立場をおもんばかっている視点に面白みがあります。宴会のあとはどこかに散っていくのでしょうか。その後が気になりました。きっと湿った場所を探して移動したはずです。
(深沢)ミミズの領域を侵してしまったのですね。初句で鉢植えとあるので、土壌を良くするためにミミズを鉢植えの中に故意的に飼育しているのかと思いました。(林)ミミズは苦手です。苦笑
鉢植えを持ち上げ見ればミミズ達 静かな夜宴邪魔をしたらし
母の日に亡き母忍び描く絵は微笑む太陽 向日葵のごと
(白樺)亡くなられたお母様への想いを絵で表現されたのですね。「太陽が微笑んでいるようだ」ではなく「太陽の下で微笑んでいる向日葵のようだ」と表現したかったのかとも思いました。一案ですが「太陽の下で微笑む向日葵」(林)ありがとうございます。これは平塚らいてうの名言「原始、女性は実に太陽であった。」から引用しました。まさに母はそんな女性であったと思いこの歌を作りました。そして実際には笑う太陽が月を照らしているイラストを描きました。
(千代)特に、亡くなってみて、初めて母親の偉大さは感じられるものですね。きっとその思いを絵に描いていたら、微笑む太陽になったのでしょうか?結句は二重の説明になってしまっているように思えますね。“微笑む太陽”と母親を既に修飾しているのですから。この歌の意味からは“忍び”は、“偲び”という字が合っていますね。(林)ご指摘をありがとうございます。
(北里)祝う母親がいな人の母の日はさみしいものがあります。漢字は「偲び」ですね。結句に「ごと」とありますから「描く絵」は肖像画ということでしょう。「太陽や向日葵が微笑む」という比喩になっていますが、「微笑む母は太陽…のようだ」、という流れの方が自然に思います。
(深沢)お母様が向日葵のような存在であったことが感じられます。
母の日に亡き母偲び描く絵は微笑む太陽 月を照らす
宇津木千代
陸ワカメ支柱の先に蔓至り行き途(ど)なくして宙を揺れゐる
(林) 陸ワカメは海藻でなく植物なんですね。栄養価が高く健康野菜だと知りました。
(白樺)ミクロ的な観察から下句の蔦の先が宙に揺れているという背景へ流れていく構成がよいと思いました。
(北里)一度育てたことがありますがとても成長がよくて勢いよく延びました。その様子がよく分かる歌です。先を摘む必要があるのかも。
(深沢)雲南百薬ですね。結句から蔓が行き場をなくしている様子がよく読み取れます。
陸ワカメ支柱の先に蔓至り行き途(ど)なくして宙を揺れゐる
むんむんとむせる若葉の森へ入り疲労は極み恋ふや枯葉の季
(林)「むんむんむせる」面白い始まり方ですね。
(白樺)全ての命が躍動する春にもう枯葉の季節を想い望んでいる作者。命の躍動が落ち着き始めて次第に枯れてゆく輪廻の自然サイクルで作者は一歩先を歩んでいるのかもしれませんね。
(北里)「若葉」は爽やかなイメージですが、「むせる」とあり、春から暑いのですね。疲労は暑さからくるのもなのでしょうか。結句の「秋を恋ふ」、という展開は実感かのでしょう。「秋の森」は涼しくてどんなにか過ごしやすいのでしょうね。
(深沢)初句と2句が新鮮に感じます。語彙の使い方が巧みなので学びがありました。若葉と枯葉の呼応が良いと思います。
注:(千代)年齢が70代、80代になるとエネルギーが衰退し、煌々と照る電気など余りに明るいと疲れます。音も柔かな音、自然も春よりも秋がやわらかく身を包んでくれます。森を歩いていて感じたことを歌にしました。
むんむんとむせる若葉の森へ入り疲労の襲ひ恋ふる枯葉の季
*日本語を知らぬ幼らにせめてもと「むすんでひらいて]の動画を送る
(林) 昔母が日本語の歌のCDを子供のために送ってくれたのを思い出しました。
(白樺)聴覚と視覚を使う言語学習はとても良い材料ですね。日本語を母国語とする作者が日本語を知らないお孫さんに少しでも日本語を知って欲しいという気持ちが伝わります。
(北里)「せめても」とあるので、子どもさんは日本語を話すことを期待されているのですね。曲名からは、なつかしさや親心のようなものを感じます。最近の幼児向けの言語教材の動画はとてもよくできていてバラエティーにとんでいて驚かされます。
(深沢)すんなり入る一首です。言語を直ぐに理解できなくても、手の動きで意味が通じるの歌なので楽しめる歌の1つですね。
*日本語を知らぬ幼らにせめてもと「むすんでひらいて]の動画を送る
白樺ようこ
ふるさとを訪れみれば飽食の文化に浸る若者闊歩す
(林) Covid が落ち着いて美味しい物食べ歩きができて人々は少し浮ついているのか もしれませんね。
(千代)結句“若者闊歩す”と、一般化して纏めてしまっている感じがします。もう少し、若者の具体の行為が挙げられると、歌がずっと読者に迫ると思います。
(北里)飽食は多くの場所で見られると思いますが、「ふるさと」「若者」と意図的に限定したのですね。具体的にいかにもと思わせるような若者が集まる場所を出すとよいのでは。
(深沢)4句目までは理解できるのですが、結句への繋がりが難しいように感じます。結句を弥いや若者などとしてはどうかなと思います。
ふるさとの飽食文化を闊歩する若者言葉はメッチャ美味しい
日本語の造語にあふれて宇宙語に聞こゆる時あり帰国をすれば
(林) 私も久しぶりに帰国したら同じ事を思います。
(千代)造語を一つ挙げて詠むと、歌がずっとよくなると思います。それから“日本語の造語にあふれて”ですが、“日本語は造語にあふれて”か、“日本語の造語はあふれて”か、“日本語が造語にあふれて”か、ではないでしょうか?
(北里)日本に住んでいてもネット用語や若者言葉など、同様に感じることがあります。帰国され違和感を感じる「造語」とはどのような言葉のことでしょうか。日本に住む私の感じ方との違いは何かなと思いました。
(深沢)世相を感じる1首です。日本では言葉を短縮させることも多いですが、耳慣れない造語も増えてきているのは確かで、多言語に聞こえうることは多いと思います。それを宇宙言としたところに面白みが感じられます。
日本語はカタチを変えて宙に舞ふ トリセツ トリテツ カスハラ クマダシ
(白樺)全ての命が躍動する春にもう枯葉の季節を想い望んでいる作者。命の躍動が落ち着き始めて次第に枯れてゆく輪廻の自然サイクルで作者は一歩先を歩んでいるのかもしれませんね。
(北里)「若葉」は爽やかなイメージですが、「むせる」とあり、春から暑いのですね。疲労は暑さからくるのもなのでしょうか。結句の「秋を恋ふ」、という展開は実感かのでしょう。「秋の森」は涼しくてどんなにか過ごしやすいのでしょうね。
(深沢)初句と2句が新鮮に感じます。語彙の使い方が巧みなので学びがありました。若葉と枯葉の呼応が良いと思います。
注:(千代)年齢が70代、80代になるとエネルギーが衰退し、煌々と照る電気など余りに明るいと疲れます。音も柔かな音、自然も春よりも秋がやわらかく身を包んでくれます。森を歩いていて感じたことを歌にしました。
むんむんとむせる若葉の森へ入り疲労の襲ひ恋ふる枯葉の季
*日本語を知らぬ幼らにせめてもと「むすんでひらいて]の動画を送る
(林) 昔母が日本語の歌のCDを子供のために送ってくれたのを思い出しました。
(白樺)聴覚と視覚を使う言語学習はとても良い材料ですね。日本語を母国語とする作者が日本語を知らないお孫さんに少しでも日本語を知って欲しいという気持ちが伝わります。
(北里)「せめても」とあるので、子どもさんは日本語を話すことを期待されているのですね。曲名からは、なつかしさや親心のようなものを感じます。最近の幼児向けの言語教材の動画はとてもよくできていてバラエティーにとんでいて驚かされます。
(深沢)すんなり入る一首です。言語を直ぐに理解できなくても、手の動きで意味が通じるの歌なので楽しめる歌の1つですね。
*日本語を知らぬ幼らにせめてもと「むすんでひらいて]の動画を送る
白樺ようこ
ふるさとを訪れみれば飽食の文化に浸る若者闊歩す
(林) Covid が落ち着いて美味しい物食べ歩きができて人々は少し浮ついているのか もしれませんね。
(千代)結句“若者闊歩す”と、一般化して纏めてしまっている感じがします。もう少し、若者の具体の行為が挙げられると、歌がずっと読者に迫ると思います。
(北里)飽食は多くの場所で見られると思いますが、「ふるさと」「若者」と意図的に限定したのですね。具体的にいかにもと思わせるような若者が集まる場所を出すとよいのでは。
(深沢)4句目までは理解できるのですが、結句への繋がりが難しいように感じます。結句を弥いや若者などとしてはどうかなと思います。
ふるさとの飽食文化を闊歩する若者言葉はメッチャ美味しい
日本語の造語にあふれて宇宙語に聞こゆる時あり帰国をすれば
(林) 私も久しぶりに帰国したら同じ事を思います。
(千代)造語を一つ挙げて詠むと、歌がずっとよくなると思います。それから“日本語の造語にあふれて”ですが、“日本語は造語にあふれて”か、“日本語の造語はあふれて”か、“日本語が造語にあふれて”か、ではないでしょうか?
(北里)日本に住んでいてもネット用語や若者言葉など、同様に感じることがあります。帰国され違和感を感じる「造語」とはどのような言葉のことでしょうか。日本に住む私の感じ方との違いは何かなと思いました。
(深沢)世相を感じる1首です。日本では言葉を短縮させることも多いですが、耳慣れない造語も増えてきているのは確かで、多言語に聞こえうることは多いと思います。それを宇宙言としたところに面白みが感じられます。
日本語はカタチを変えて宙に舞ふ トリセツ トリテツ カスハラ クマダシ
(注:取扱説明書、撮鉄、カスタマーハレスメント、熊出し)
*欄干に身を出し観てゐる三社祭いなせに結んだ鉢巻がゆく
(林) おみこしが通り過ぎて行く景色が見えます。
(千代)結句の“鉢巻がゆく”と詠んだところがとてもいいですね。“鉢巻をした男たちがゆく”と、表現しがちなところを、上から三社祭を観ていて“鉢巻がゆく”と、表現したところが、具体であり、生きている表現であり、実際に三社祭を見下ろしている状況であることが、しっかりと表現されていて、実際に観ている作者ならでは表現できないものだと思います。
(北里)「いなせ」は髪型で正式には「鯔背銀杏」というようですね。粋な若者の姿が目に浮かびます。上から見ている感じもよく出ていて、結句の比喩が効いていると思います。
(深沢)学生の頃、三社祭りで神輿をかついでいたので、懐かしく詠ませて頂きました。身を乗り出しとした方が祭りの勢いを感じさせるのではと思いました。
*欄干に身を乗り出し観入る三社祭いなせに結んだ鉢巻がゆく
*欄干に身を出し観てゐる三社祭いなせに結んだ鉢巻がゆく
(林) おみこしが通り過ぎて行く景色が見えます。
(千代)結句の“鉢巻がゆく”と詠んだところがとてもいいですね。“鉢巻をした男たちがゆく”と、表現しがちなところを、上から三社祭を観ていて“鉢巻がゆく”と、表現したところが、具体であり、生きている表現であり、実際に三社祭を見下ろしている状況であることが、しっかりと表現されていて、実際に観ている作者ならでは表現できないものだと思います。
(北里)「いなせ」は髪型で正式には「鯔背銀杏」というようですね。粋な若者の姿が目に浮かびます。上から見ている感じもよく出ていて、結句の比喩が効いていると思います。
(深沢)学生の頃、三社祭りで神輿をかついでいたので、懐かしく詠ませて頂きました。身を乗り出しとした方が祭りの勢いを感じさせるのではと思いました。
*欄干に身を乗り出し観入る三社祭いなせに結んだ鉢巻がゆく
北里かおる
繰り言は「安足間(あんたろま)行きのバスに乗る」母の御霊は帰っただろか
(林) 北海道出身のお母様だったのですね。だろうか、、、。ユニークな終わり方ですね。余韻が残る素敵な歌だと思います。
(白樺)安足間という珍しい地名に注目しました。地図でみましたらかなり内陸にはいった所ですね。
(千代)お母さまの故郷が安足間なのですか?お母さまは晩年に、きっと繰り返し故郷の安足間へ行きたいと言っていたのでしょうか?御霊は行きついて安堵して安らいでいるといいですね。(北里)母の出身は中愛別で、旭川から安足間行きのバスに乗っていたようです。最後、施設に入ってもらいましたので、「一人でも」+歌に使った言葉そのままを口にしていました。帰りたかったのは自分が住んでいた旭川の家かと思えたのですが、本当は何処に帰りたかったものなのか。自分の親の眠る故郷だったのかなと。
(深沢)北海道のことですね。お母さまは生前、そのバスをよくご利用になられていたのですね。お母様の霊はきっと無事にお帰りになられたと思います。
繰り言は「安足間(あんたろま)行きのバスに乗る」母の御霊は帰っただろか
*贈られし句集は手製結び綴 癌寛解と後書にあり
(林)お友達が癌治療をされてられ句集が送られてきたのですね。完治されていると嬉しいです。
(白樺)寛解は初めての語でしたのが、全快ということだと知りました。お友達のお手製の句集の温もりが伝わります。
(千代)“後書き”と、送り仮名が付くのが現代仮名遣いではないかしら?“あり”も、口語では終止形は“ある”。(北里)広辞苑では「後書」となっていました。どちらもありと思います。実際には送り仮名はなかったです。私の見た中にはひらがなで「あとがき」としている方が多いようです。初句に「し」を使っているので「あり」とします。
(深沢)後書の語彙でその方の近況が伺え安堵されたことと思います。語彙の重みを感じられる1首です。手作りで時間をかけて作製された句集には、病との闘いへの思いが刻まれているのでしょうね。
*贈られし句集は手製結び綴じ癌寛解と後書にあり
木工は木目に逆らい削りゆく四年置いたというクルミの木
(林) 木工をされているのですね。クルミの木は硬いですから体力がいりますね。(北里)私ではないです。ここでは木彫職人のことですが、紛らわしいので最終歌は「職人」とします。
(白樺)木工で木目に逆らって削るのと木目に沿って削るのでは表面にどういう違いが表れるのか興味をそそられました。
(千代)例えば、木目があって、下から削ったら“木目に逆らう”ということですか?私には、上からも下からも木目には逆らわないのでは?と思えてしまうのですが・・・
木目の横から削ったら“逆らう”も分かるのですが・・・。実際に見ているであろう作者の説明をお願いします。(北里)「木目に逆らって切る」などと見ることのある表現です。厳密には木には表側と裏側がありますが、いずれにしても「巡目(繊維に倣うように進む向き)」と「逆目(繊維に食い込んでいくような向き)」があり、図にするとわかりやすいのですが、木目は弧を描きながら斜めに入っていますので、削りやすい方向とその反対は削りずらい方向があるのです。上とか下とかではないのです。普通は巡目で加工すると奇麗ですが、木彫職人のこだわりで、あえてササクレが起こりやすい性質に挑んで逆目を生かして作品を作ることがある、ということで、そこに注目した一首です。
(深沢)木の持つ特徴を生かしての削り方なのでしょうね。年月を寝かせたクルミの木から作られる作品の見るのが楽しみになる1首ですね。職人技が言葉で表現されていて良いと感じました。
職人は木目に逆らい削りゆく四年置いたというクルミの木
課題予告
7月「花火」林
8月「」深澤
9月「社会詠」白樺
10月「滑稽の歌」宇津木
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