深沢しの
短絡な暮らしの中に自己愛と自己嫌悪がせめぎ合う日々
(千代)“短絡な暮らし”ということで、どういうことを指しているのか、理解しがたいのですが、“単純”ということですか?この言葉がはっきりすると、二句目から結句迄は、よく理解出来ます。
(北里)「短絡的」とは物事を深く考えずにすぐに原因と結果を結び付けてしまうこと、人であればあまり深く考えない、とありました。であれば「せめぎ合う」と言っても、それほどにはくよくよしていないのでは、と想像しました。短絡的ゆえに自己肯定と自己批判を繰り返すのかもしれませんが。私の心も浮き沈みがけっこうあるので、何とはなしに共感する歌です。
(白樺)作者の日常の心理状態を表したお歌だと思いますが、「短絡」「自己愛」「自己嫌悪」が漠然として観念的ですので小さな具体を取り入れると現実味が出て歌としてはより深まるようです。
単純な暮らしの中に自己愛と自己嫌悪がせめぎ合う日々
手作りのカードに庭の草花を押し花として亡母に贈る
(千代)結句は“亡母に捧ぐ”では、ニュアンスが違いますか?
(北里)「として贈る」は「にして」では。庭の草花を押し花にして、カードに貼って、それを贈った、ということだと思うので。例えばポイントはずれますが、「亡き母へ手作りカード贈らむと庭の草花押し花にする」
(白樺)「贈る」を「捧げる」としてみました。
手作りのカードに庭の草花を押し花として亡母に捧ぐ
おくりくれし人の心かシクラメン赤く激しくもえる花首
(千代)“おくりくれし”と、仮名で表現していますが、意味があるのですか?シクラメンという題なので、売り出していた2鉢のシクラメンを買ってきましたが、私には可憐な感じで、“激しく燃える”という感じはないのですが・・・でも人によって感じ方がちがいますから・・・
(北里)初句、「贈る」と漢字を使った方が良いのでは。「花首」は詠み手のこだわりかもしれませんが、燃えているイメージからも茎ではなく「花」に注目する方がイメージが美しいと思いました。
(白樺)「おくりくれし」を「賜りし」とすると五音に収まりすっきりするようです。
贈りくれし人の心かシクラメン赤く激しくもえる花首
宇津木千代
肉牛はトラックに乗るを拒みたり前後を牽かれ押され力尽く
(北里)テレビでそのような場面を見たことがあります。生の終わりと本能で分かるのかしらね。確かにすごく脚を踏ん張って乗るのを拒んでいました。生への切り取りが上手いと思いますので、力尽きる結句の場面まで詠まず、戦っている場面だけの描写の方が活き活きした歌になるような気がします。
(白樺)昔フォークシンガーのジョーンバエズが歌った
On a wagon bound for market There’s a calf with a mournful eye
High above him there’s a swallow Winging swiftly through the sky……
肉牛はトラックに乗るを拒みたり前後を牽かれ押されウモーと哭く
招福の笑ひのコケシ大口を開け一年をまた過ごしたり
(白樺)幸福を招く神様といえば七福神が浮かび上がりますが、コケシが大口を開けて福を呼んでいるということにおかしみを感じました。
招福の笑ひのコケシ大口を開け一年をまた過ごしたり
*陰鬱な冬空の下シクラメンふた鉢抱へ夫帰宅する
*陰鬱な冬空の下シクラメンふた鉢抱へ夫帰宅する
北里かおる
礼服の胸ポケットに女郎花さりげなく差す白髪の人
礼服の胸ポケットにおみなえし さりげなく差す白髪の人
飛んでゆくドローンが天道虫ならば兵器に変わることもないのに
(千代)ドローンと天道虫を結び付けたのは面白い発想ですね。
(白樺)ドローンを天道虫と想像して平和を願う心を歌ったところが詩的です。
飛んでゆくドローンが天道虫ならば兵器に変わることもないのに
*戦場に今この時も命消す若者のおりシクラメン咲く
(千代)歌の意味はよく理解できますが、余りにも大きな、難しい題を三十一文字で詠うのは難しいですね。どこか一点に絞って詠うといいかな、とも思います。それから“若者のおり”は、終止だと思いますので、終止形は“おる”(をる)ですが、“いる”が良いのではないでしょうか?
(白樺)シクラメンは人が命を落とすことに関係なく美しく咲いている。シクラメンを象徴として全ての命は生死を繰り返していくという真実が含まれているようです。「今この時」を助詞の”し”を使ってまさにその瞬間にという意味を表して、例えば「戦場に若者命消す時し初秋の窓辺にシクラメン咲く」も一案かと思います。
紛争に巻き込まれたる子供らの命はかなしシクラメン咲く
白樺ようこ
*猛暑日を耐へて咲き継ぐシクラメン舗道に添へるピンクの花弁
(千代)”咲き継ぐ“というと、”咲き続く“意味ではないのですね?シクラメンが、歩道ではなく舗道なのですね?シクラメンが野生の花のようにこの歌からは感じられるのですが、シクラメンって野生にもあるのですか?(白樺:誰かが鉢植えのシクラメンを道路脇に植え替えたものと思われます。)
(北里)鉢植えが一般的と思っていましたが地植えなのでしょうか。「耐えて咲き継ぐ」とは、夏の間も花が咲いていたということでしょうか。11月くらいから咲く花と思っていましたが、いろいろな種類があるのかもしれません。猛暑を生き抜いた花は強く美しく咲くことでしょうね。
*猛暑日を耐へて咲き継ぐシクラメン舗道に添へるピンクの花弁
「イナホ」「トキ」郷愁誘ふ名の列車凪の日本海を広げて奔る
(千代)結句が想像出来ないのですが、どんな状態ですか?(白樺:車窓から見える日本海が水平線の向こうまで広がって飛び去っていく情景です。)
(北里)上越新幹線の名前が良いですし、結句が詩的です。ネットでみたら新幹線の表記はひらがなになっていましたので、その方がよいのでは。列車から日本海を見ながらの旅なんで素敵ですね。「名の列車」は「新幹線」でも、と思いましたが、「とき」は新幹線ではないのかな。(白樺:「いなほ」はJR東日本の羽越本線の特急で新潟~酒田・秋田を運行します。「とき」はJR東日本の上越新幹線で東京、上野~新潟を結びます。)
(深沢)日本海は波が荒いと思いがちですが、能登半島の外海と違い富山湾では波がおだやかだそうですね。富山湾の西部は湖面のように静かな日が実にたくさんあり、ひょっとしたら、日本海側がシケ気味の日の波と太平洋岸の普通の波と変わらないくらい。ですから凪なのですね。線路拡張とかあるのでしょうか。
「いなほ」「とき」郷愁誘ふ名の列車凪の日本海を広げて奔る
笛太鼓エレキも響く隅田川 百歳(ももとせ)の瀬の鎮魂踊り
(関東大震災から100年目の鎮魂の集いが隅田川岸で開かれました。)
(千代)百歳(ももとせ)の瀬の(ももとせのせの)の意味がよく分かりません。“瀬”は、どういう意味で使っているのですか?(白樺:この場合の「瀬」は事に出会う時、折、場合という意味で使いました。広辞苑第五版 新村出編)隅田川の川という意味で使っていますか?もしそうなら、”瀬“は、川ではありません。浅瀬とか早瀬とは使いますが・・・。むしろ”流れ“という意味で使いますね。
(深沢)100年を記念しての集いで新しい形のものだったのですね。和洋折衷のこの集いで魂らが落ち着いてくれてくれたらよいのですが。
笛太鼓エレキも響く隅田川 百歳(ももとせ)の瀬の鎮魂踊り
題詠予告
2023年
12月「凍てる」宇津木
2024年
1月「光」北里
2月「月」林
3月「桃」白樺
4月「」深沢
5月「」宇津木
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