北里かおる
*公園の紅葉の中あなたとの少し離れて座る空間
(白樺) 紅葉は"もみじ"と詠むと優しく響きます。
(深沢)散歩している公園で、真横に座らず少し間隔をあけてベンチに腰掛けている様子でしょうか。自分だけの一瞬の時間が必要な時は誰にでもあります。少しもの哀しい歌に感じました。
(千代)公園は必要かしら?どこか場所の名を入れたら良いかもしれませんね。視点はとてもいいと思います。(北里)二人がいる公園という限られた場所の設定は私的には映像として欲しいなと思いました。場所の名前とは地名?それともベンチとかの具体でしょうか。
*公園の紅葉散る中あなたとの少し離れて座る空間
亡き母の愛用し皿に小さき罅使われもせず捨てられもせず
(白樺) 罅があっても皿にはお母様の想い出が滲んでいるので捨てがたいということですので"亡き母の愛し皿には罅あるも使われもせず捨てれもせず" としてみました。
(北里)「罅あるも」と「も」とすると捨てられずは意味が通じますが、使われずとはならないのでは。
(深沢)想い出深い形見の皿であるからこそ、罅が入ってしまったとは残念です。大切なお皿なので使用することも廃棄することも出来ず、手元に置いておきたい気持ちが伝わってきます。
(千代)4ん句目と結句がいいと思います。二句目、“愛用し皿に”は、“愛用した皿に”と言う意味ですか?もし、そうなら“愛用せし皿に”となります。普通、皿という体言(活用しない)を修飾するのですから、連体形になりますが、そうすると“愛用しし”と、発音しずらくなります。そこで、サ変(愛用す)活用になりますので、サ変の場合には、過去の“し”(きの連体形が付く場合には、サ変の未然形“せ”に“し”は付くという規則があります。ややこしいですが、そういうことで、“愛用せし皿に”となりますが、九音になってしまいますが。(北里)活用はなかなか身に付きません。ご指摘ありがとうございます。白樺さんのアドバイスを参考にして「愛せし」としました。(千代:どっちでもいいのですが、指摘したのは、千代:です。)
亡き母の愛せし皿に小さき罅使われもせず捨てられもせず
胃の底にたまりゆくもの この星の惨禍のニュース見聞きするたび
(白樺) 今の社会を反映したお歌で良いと思います。ニュースメディアは人を不安に掻き立てるのが目的とさえ思えるように暗いニュースで溢れています。人々の注目度によってニュースの評価が決まるのかメディア内部の人間ではないので分かりませんが必要以上にニュースをドラマ化して注目を集めるような印象を受けることがあります。
(深沢)世界に平和はなかなか訪れずことはなく、世界のどこかで不幸に見舞われる人が多数いることはとても悲しいことです。幸せに暮らすということは難しいことなのですね。
(千代)理解はしますが、二句目を「澱の溜まりゆく」としてはどうかしら?(北里)何がたまるのか言わず漠然としているのがいろいろにとれて良いと思いましたが、アドバイスのように「澱」としてはっきりさせるのもありですね。
胃の底にたまりゆく澱(おり)この星の惨禍のニュース見聞きするたび
宇津木千代
生きたまま解体される魚の目見開きたまま尾びれがはねる
(白樺) 人間の残虐さの描写で、魚を食べて生きている人間でもやはり命は命ですので人間の残虐さには目や耳を塞ぎたくなります。
(深沢)解体ショーのような場に出くわされたのでしょうか。なんだかこれから魚を食べられなくなりそうです。人間の残酷さや惨さ。魚の哀れ姿が目に浮かびます。
(北里)魚市場の場面でしょうか。「解体」はマグロのような大魚を思いますが、まだ生きてるようなのでマグロじゃないですね。何かの魚が「生き作り」にされるところでしょうか。魚ってどの魚も目を閉じてないな、って改めて思いました。誰も閉じであげないからでしょうか。(千代:解体という言葉によって残酷さを想起されることを意図して使いました。)
生きたまま解体される魚の目見開きたまま尾びれがはねる
眠れぬ夜一本の足の瑕疵眺めこの傷あの疵に想ひを馳せる
(白樺) 過去の禍だったかもしれないある出来事を足の瑕疵という具体で表現されていて作者の心理状態が想像されます。
(北里)脚を「一本」と表現するには意図が感じられます。(千代:ベットの上に投げ出された自分の足を第三者的に眺めている状況を詠みたかったのです。)またキズを漢字で使い分けていますが、こちらも意図があるのでしょうね。(千代:いろいろな種類のキズを表したかったのです。火傷、転んでコンクリートで切り裂いもの、ナイフでシャ―プに切ったキズ、その他もろもろ。キズによって思い起こされる物語)一つの体の傷から心の疵へと過去への心の旅が始まった夜なのですね。
(深沢)昔、事故などに遭われたために出来た傷なのかもしれませんね。消えることの無い傷、克明に蘇るものがあるものですね。
眠れぬ夜一本の足の瑕疵眺めこの傷あの疵に想ひを馳せる
*もみじする街中の一樹 赤・黄色, 緑を残し着飾りゐるも
(白樺) 紅葉するのは複数の樹々だと思われるので樹々ではどうでしょうか。(千代:一樹ですから、一本の木が、黄色、赤 そしてまだもみじしていない緑と三色で飾り立てられていて、とても美しい紅葉が進んでいる状況の一本の木を詠みたかったのです。)
(北里)「もみじする」と動詞化したのが新しいです。「もみじ」と仮名にしたのは、黄葉、紅葉と続くからでしょうか。緑の前は一字空けているのですね。結句の「も」は逆接でしょうか。その「一樹」は紅葉してはいるが、緑も残していて…、結句の「も」でなぞかけされました。(千代:“も”は、詠嘆です)
(深沢)まるで信号のようですね。季節の無いヒューストンからすると夢のような光景です。
*もみじする街中の一樹 赤・黄色, 緑を残し着飾りゐるも
深澤しの
限りなく殺風景な拙宅に林檎1個の華やかなる美
(白樺) 拙宅は謙遜した口語表現ですので単に"我が家"とした方が歌的です。I 個は一個で。
(北里)モノトーンの映像の中に赤いリンゴがひとつ、結句で「美」と言い切っているし現代アートのようですね。食卓のテーブルにでも一個置かれているのでしょうか。「拙宅」は「我が家」くらいで良いのでは。少し言い過ぎの感もありますが、言葉でアートへの挑戦、とも取れます。
(千代)いい視点だと思います。すこし気になるのは、短歌の中に“拙宅”という言葉をいれることです。“吾の住まい”とし、“林檎一個の添える華やかさ”としてみました。
限りなく殺風景な吾の住まい林檎1個の添える華やかさ
拙宅のほんの隙間を行き来する愛犬抱けば命に温もり
(白樺)上の歌同様に、"拙宅"を"我が家"にすると良いと思います。"命の温もり"と助詞を変えてみました。
(北里)「ほんの隙間」は「ペットドア」のことか思いましたが、そうですか。ここも「我が家」くらいで良いかも。結句は「命の温もり」が自然に思いましたが「に」に込めた思いがあるかも、とも。
(千代)結句の“命”は、作者の命ですよね?“吾の部屋の僅かな隙間行き来する愛犬抱けば命の温もる”としてみました。
吾の部屋の僅かな隙間行き来する愛犬抱けば命の温もる
*紅葉の葉君の笑顔も色づいてパット華やぐ神無月の夕暮れ
(白樺:"紅葉の葉に君の笑顔も、、"と助詞を入れてみました。"夕暮れ"は"夕"とすると7音に収まります。)
(北里)「紅葉(こうよう)に君の笑顔も色づいて」とすると「も」が活きるのでは。結句は字余りを緩和して「神無月の夕」「秋の夕暮」とか。「パッと」ですね。ただ笑顔が色づくってどういう意味?華やいだのは夕暮れ?笑顔?4句で切れるのなら一字空けるとか。
(千代)“紅葉のごと・・・・・”としてみたらどうでしょうか?
*紅葉のごと君の笑顔も色づいてパット華やぐ神無月の夕
白樺ようこ
秋彼岸みちのくの祖の墓参り泉流寺とふ古き尼寺へ
(北里)山形県酒田市の泉流寺でしょうか。ネットで見ました。歴史のある立派なお寺ですね。尼寺でもあるようですが、公式サイトには出ていませんでした。
(白樺:祖父の出身地が山形県酒田市なので祖父側の祖先の菩提寺が酒田市にあります。)
(深沢)酒田にある寺でしょうか。彼岸の墓参りをする日本の風習はいいものですね。
(千代)物語が生まれそうな情景ですね。ただ、歌としては旅行案内になってしまっているように思えます。作者独自の視点が欲しいですね。
秋彼岸みちのくの祖の墓参り泉流寺とふ古き尼寺へ
上野駅のメモリビリアとなりて建つ金のたまごの集団就職
(北里)memorabiloaはメモラビリアと表していましたす。「上野駅のメモラビリア」として何が「建つ」っているのか、と思いましたが、「上野駅」が建つ、なのですね。「上野駅は」とすると意味が分かりやすくなります。東北や北海道からの若者にとって、上野駅は故郷へつながる場所でしたね。
(深沢)集団就職のための集団就職列車の運行は21年3月でしたね。現在でも都会を目指す若者は多くいるのでしょうか。若者全部がYouTuberなどを目指している世の中のように感じるこの頃です。
(千代)ニ句目"メモラビリア"と、日本語では表記するようです。私は実際のものを見ていませんので、分かりませんが、"メモラビリア"は記念像のことを言っているのですか?辞書によると、ゆかりの記念品、遺品という意味、"建つ"ということですから、大きな像のようなものは、Monument とか、Memorialとかいうのでは?"記念碑として建つ...ではけませんか?
上野駅に降り立つ金のたまご達 記念碑となり追憶を呼ぶ
白樺さんから提供された、上野駅の記念碑の写真
*羽黒山大杉繁る参道を再び訪れむ紅葉する頃
(北里)天然記念物の爺杉が有名ですね。紅葉がまた見事であると聞きました。私も行ってみたいです。「訪(おとず)れむ」の「む」は「訪れよう」という意志と思いますが「訪(たず)ねむ」で1音減ります。結句は「紅葉の頃」で7音になります。
(深沢)自然溢れる壮大な美しい光景なのでしょうね。
(千代)あまり引っ掛かりのない歌ですね。
*羽黒山大杉繁る参道を再び歩まむ紅葉(もみじ)する頃
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