2023年11月29日水曜日

2023年11月 Eメール短歌会 題詠「シクラメン」


赤:講評 
紫:作歌者の応え 
青:講評を参考に推敲した最終歌



深沢しの


短絡な暮らしの中に自己愛と自己嫌悪がせめぎ合う日々


(千代)“短絡な暮らしということで、どういうことを指しているのか、理解しがたいのですが、単純ということですか?この言葉がはっきりすると、二句目から結句迄は、よく理解出来ます。

(北里)「短絡的」とは物事を深く考えずにすぐに原因と結果を結び付けてしまうこと、人であればあまり深く考えない、とありました。であれば「せめぎ合う」と言っても、それほどにはくよくよしていないのでは、と想像しました。短絡的ゆえに自己肯定と自己批判を繰り返すのかもしれませんが。私の心も浮き沈みがけっこうあるので、何とはなしに共感する歌です。

(白樺)作者の日常の心理状態を表したお歌だと思いますが、「短絡」「自己愛」「自己嫌悪」が漠然として観念的ですので小さな具体を取り入れると現実味が出て歌としてはより深まるようです。


単純な暮らしの中に自己愛と自己嫌悪がせめぎ合う日々


手作りのカードに庭の草花を押し花として亡母に贈る


(千代)結句は亡母に捧ぐでは、ニュアンスが違いますか?

(北里)「として贈る」は「にして」では。庭の草花を押し花にして、カードに貼って、それを贈った、ということだと思うので。例えばポイントはずれますが、「亡き母へ手作りカード贈らむと庭の草花押し花にする」

(白樺)「贈る」を「捧げる」としてみました。


手作りのカードに庭の草花を押し花として亡母に捧ぐ


おくりくれし人の心かシクラメン赤く激しくもえる花首


(千代)おくりくれしと、仮名で表現していますが、意味があるのですか?シクラメンという題なので、売り出していた2鉢のシクラメンを買ってきましたが、私には可憐な感じで、激しく燃えるという感じはないのですが・・・でも人によって感じ方がちがいますから・・・

(北里)初句、「贈る」と漢字を使った方が良いのでは。「花首」は詠み手のこだわりかもしれませんが、燃えているイメージからも茎ではなく「花」に注目する方がイメージが美しいと思いました。

(白樺)「おくりくれし」を「賜りし」とすると五音に収まりすっきりするようです。


贈りくれし人の心かシクラメン赤く激しくもえる花首


宇津木千代


肉牛はトラックに乗るを拒みたり前後を牽かれ押され力尽く

(北里)テレビでそのような場面を見たことがあります。生の終わりと本能で分かるのかしらね。確かにすごく脚を踏ん張って乗るのを拒んでいました。生への切り取りが上手いと思いますので、力尽きる結句の場面まで詠まず、戦っている場面だけの描写の方が活き活きした歌になるような気がします。
(白樺)昔フォークシンガーのジョーンバエズが歌った
On a wagon bound for market  There’s a calf with a mournful eye
High above him there’s a swallow  Winging swiftly through the sky……

の歌が浮かび上がりました。
(深沢)物悲しい1首です。肉牛という宿命の下に生まれてきてしまい、自分の行く末が理解できているからこそ、トラックには乗りたくないのですね。

肉牛はトラックに乗るを拒みたり前後を牽かれ押されウモーと哭く

招福の笑ひのコケシ大口を開け一年をまた過ごしたり

(北里)大口を開けている「招福のコケシ」というものがあるのですね。初めて知りました。「また」というのは倖せです。歳の暮れらしい歌です。世界中の人々もコケシにあやかり一年中笑って過ごせると良いのですが。特にガザのニュースを聞くたびに辛い思いがわいてくる日々なので。
(白樺)幸福を招く神様といえば七福神が浮かび上がりますが、コケシが大口を開けて福を呼んでいるということにおかしみを感じました。
(深沢)笑いは幸福をもたらすので、1年間笑みを絶やさない変わらぬお顔のコケシさんが羨ましいです。

招福の笑ひのコケシ大口を開け一年をまた過ごしたり

*陰鬱な冬空の下シクラメンふた鉢抱へ夫帰宅する

(北里)シクラメンの明るさで憂鬱な気分も吹き飛んだのでは。ご主人の優しさですね。温まる歌です。
(白樺)陰鬱な空と明るいシクラメンが対照的で鉢を抱えて帰宅する人の温かみが伝わります。
(深沢)冬の気が失せるような空の下でパアッと印象づける花に華やかさが溢れています。

*陰鬱な冬空の下シクラメンふた鉢抱へ夫帰宅する

北里かおる


礼服の胸ポケットに女郎花さりげなく差す白髪の人


(千代)おみなえしをなぜ女郎花と書くのでしょうかね?この漢字と白髪の対照を詠いたかったのかしら?(白樺)さりげなく女郎花(おみなえし?)を胸のポケットにさすご婦人の粋なたたずまいが浮かびます。
深沢)秋の七草とは風情があり、お洒落な着こなしをされておられる方ですね。情景が思い浮かびます。

礼服の胸ポケットにおみなえし さりげなく差す白髪の人


飛んでゆくドローンが天道虫ならば兵器に変わることもないのに


(千代)ドローンと天道虫を結び付けたのは面白い発想ですね。

(白樺)ドローンを天道虫と想像して平和を願う心を歌ったところが詩的です。

(深沢)てんとうむしは縁起がよいものとされているので、出来れば兵器ではなく空撮写真などにだけ使用して欲しいものです。

飛んでゆくドローンが天道虫ならば兵器に変わることもないのに


*戦場に今この時も命消す若者のおりシクラメン咲く


(千代)歌の意味はよく理解できますが、余りにも大きな、難しい題を三十一文字で詠うのは難しいですね。どこか一点に絞って詠うといいかな、とも思います。それから若者のおりは、終止だと思いますので、終止形はおる(をる)ですが、いるが良いのではないでしょうか?

(白樺)シクラメンは人が命を落とすことに関係なく美しく咲いている。シクラメンを象徴として全ての命は生死を繰り返していくという真実が含まれているようです。「今この時」を助詞のを使ってまさにその瞬間にという意味を表して、例えば「戦場に若者命消す時し初秋の窓辺にシクラメン咲く」も一案かと思います。

深沢)「思いが響き合う」紫のシクラメンだったのでしょうか。「綿密な判断」の白のシクラメンだったのでしょうか。戦の絶えないこの世の中、次世代には無駄に命を落としてほしくはないです。


紛争に巻き込まれたる子供らの命はかなしシクラメン咲く


白樺ようこ


*猛暑日を耐へて咲き継ぐシクラメン舗道に添へるピンクの花弁


(千代)咲き継ぐというと、咲き続く意味ではないのですね?シクラメンが、歩道ではなく舗道なのですね?シクラメンが野生の花のようにこの歌からは感じられるのですが、シクラメンって野生にもあるのですか?(白樺:誰かが鉢植えのシクラメンを道路脇に植え替えたものと思われます。)

(北里)鉢植えが一般的と思っていましたが地植えなのでしょうか。「耐えて咲き継ぐ」とは、夏の間も花が咲いていたということでしょうか。11月くらいから咲く花と思っていましたが、いろいろな種類があるのかもしれません。猛暑を生き抜いた花は強く美しく咲くことでしょうね。

(深沢)舗道の植え込みにシクラメンとはお洒落な場所があるのですね。

*猛暑日を耐へて咲き継ぐシクラメン舗道に添へるピンクの花弁


「イナホ」「トキ」郷愁誘ふ名の列車凪の日本海を広げて奔る

(千代)結句が想像出来ないのですが、どんな状態ですか?(白樺:車窓から見える日本海が水平線の向こうまで広がって飛び去っていく情景です。)

(北里)上越新幹線の名前が良いですし、結句が詩的です。ネットでみたら新幹線の表記はひらがなになっていましたので、その方がよいのでは。列車から日本海を見ながらの旅なんで素敵ですね。「名の列車」は「新幹線」でも、と思いましたが、「とき」は新幹線ではないのかな。(白樺:「いなほ」はJR東日本の羽越本線の特急で新潟~酒田・秋田を運行します。「とき」はJR東日本の上越新幹線で東京、上野~新潟を結びます。)

(深沢)日本海は波が荒いと思いがちですが、能登半島の外海と違い富山湾では波がおだやかだそうですね。富山湾の西部は湖面のように静かな日が実にたくさんあり、ひょっとしたら、日本海側がシケ気味の日の波と太平洋岸の普通の波と変わらないくらい。ですから凪なのですね。線路拡張とかあるのでしょうか。


「いなほ」「とき」郷愁誘ふ名の列車凪の日本海を広げて奔る


笛太鼓エレキも響く隅田川 百歳(ももとせ)の瀬の鎮魂踊り

(関東大震災から100年目の鎮魂の集いが隅田川岸で開かれました。)


(千代)百歳(ももとせ)の瀬の(ももとせのせの)の意味がよく分かりません。は、どういう意味で使っているのですか?(白樺:この場合の「瀬」は事に出会う時、折、場合という意味で使いました。広辞苑第五版 新村出編)隅田川の川という意味で使っていますか?もしそうなら、は、川ではありません。浅瀬とか早瀬とは使いますが・・・。むしろ流れという意味で使いますね。

(北里)祭りでは古風な笛太鼓と現代のエレキギターの合奏があったのですね。異なり反する楽器の取り合わせが面白いと思います。「笛太鼓にエレキも響く」と字余りでも「に」を入れる方が意味が通ると思います。「瀬」はなくてもと思うのと、あえて「ももとせ」と読ませたい意図がありますか。(白樺:このイベントは今年で100年目になる関東大震災から特に大きな被害を受けた下町の隅田川一帯に命を落とした人々の鎮魂祭りとして開かれました。)内容が多いので後書きをつけたと思いますので、楽器の対比の面白さにポイントを絞るのもよいかと。
(深沢)100年を記念しての集いで新しい形のものだったのですね。和洋折衷のこの集いで魂らが落ち着いてくれてくれたらよいのですが。


笛太鼓エレキも響く隅田川 百歳(ももとせ)の瀬の鎮魂踊り



題詠予告


2023

12月「凍てる」宇津木

2024

1月「光」北里

2月「月」林

3月「桃」白樺

4月「」深沢

5月「」宇津木


2023年10月 E メール短歌会 題詠「紅葉」

赤:講評 
紫:作歌者の応え 
青:講評を参考に推敲した最終歌


北里かおる


*公園の紅葉の中あなたとの少し離れて座る空間  

(白樺) 紅葉は"もみじ"と詠むと優しく響きます。

(深沢)散歩している公園で、真横に座らず少し間隔をあけてベンチに腰掛けている様子でしょうか。自分だけの一瞬の時間が必要な時は誰にでもあります。少しもの哀しい歌に感じました。

 (千代)公園は必要かしら?どこか場所の名を入れたら良いかもしれませんね。視点はとてもいいと思います。(北里)二人がいる公園という限られた場所の設定は私的には映像として欲しいなと思いました。場所の名前とは地名?それともベンチとかの具体でしょうか。


*公園の紅葉散る中あなたとの少し離れて座る空間   

   

亡き母の愛用し皿に小さき罅使われもせず捨てられもせず                    

(白樺) 罅があっても皿にはお母様の想い出が滲んでいるので捨てがたいということですので"亡き母の愛し皿には罅あるも使われもせず捨てれもせず" としてみました。

(北里)「罅あるも」と「も」とすると捨てられずは意味が通じますが、使われずとはならないのでは。

(深沢)想い出深い形見の皿であるからこそ、罅が入ってしまったとは残念です。大切なお皿なので使用することも廃棄することも出来ず、手元に置いておきたい気持ちが伝わってきます。

(千代)4ん句目と結句がいいと思います。二句目、愛用し皿には、愛用した皿にと言う意味ですか?もし、そうなら愛用せし皿にとなります。普通、皿という体言(活用しない)を修飾するのですから、連体形になりますが、そうすると愛用ししと、発音しずらくなります。そこで、サ変(愛用す)活用になりますので、サ変の場合には、過去のの連体形が付く場合には、サ変の未然形は付くという規則があります。ややこしいですが、そういうことで、愛用せし皿にとなりますが、九音になってしまいますが。(北里)活用はなかなか身に付きません。ご指摘ありがとうございます。白樺さんのアドバイスを参考にして「愛せし」としました。(千代:どっちでもいいのですが、指摘したのは、千代:です。)  

亡き母の愛せし皿に小さき罅使われもせず捨てられもせず 

胃の底にたまりゆくもの この星の惨禍のニュース見聞きするたび

  (白樺) 今の社会を反映したお歌で良いと思います。ニュースメディアは人を不安に掻き立てるのが目的とさえ思えるように暗いニュースで溢れています。人々の注目度によってニュースの評価が決まるのかメディア内部の人間ではないので分かりませんが必要以上にニュースをドラマ化して注目を集めるような印象を受けることがあります。

(深沢)世界に平和はなかなか訪れずことはなく、世界のどこかで不幸に見舞われる人が多数いることはとても悲しいことです。幸せに暮らすということは難しいことなのですね。

(千代)理解はしますが、二句目を「澱の溜まりゆく」としてはどうかしら?(北里)何がたまるのか言わず漠然としているのがいろいろにとれて良いと思いましたが、アドバイスのように「澱」としてはっきりさせるのもありですね。


胃の底にたまりゆく澱(おり)この星の惨禍のニュース見聞きするたび


宇津木千代

生きたまま解体される魚の目見開きたまま尾びれがはねる


(白樺) 人間の残虐さの描写で、魚を食べて生きている人間でもやはり命は命ですので人間の残虐さには目や耳を塞ぎたくなります。

(深沢)解体ショーのような場に出くわされたのでしょうか。なんだかこれから魚を食べられなくなりそうです。人間の残酷さや惨さ。魚の哀れ姿が目に浮かびます。     

(北里)魚市場の場面でしょうか。「解体」はマグロのような大魚を思いますが、まだ生きてるようなのでマグロじゃないですね。何かの魚が「生き作り」にされるところでしょうか。魚ってどの魚も目を閉じてないな、って改めて思いました。誰も閉じであげないからでしょうか。(千代:解体という言葉によって残酷さを想起されることを意図して使いました。)


生きたまま解体される魚の目見開きたまま尾びれがはねる


眠れぬ夜一本の足の瑕疵眺めこの傷あの疵に想ひを馳せる


(白樺) 過去の禍だったかもしれないある出来事を足の瑕疵という具体で表現されていて作者の心理状態が想像されます。

(北里)脚を「一本」と表現するには意図が感じられます。(千代:ベットの上に投げ出された自分の足を第三者的に眺めている状況を詠みたかったのです。)またキズを漢字で使い分けていますが、こちらも意図があるのでしょうね。(千代:いろいろな種類のキズを表したかったのです。火傷、転んでコンクリートで切り裂いもの、ナイフでシャ―プに切ったキズ、その他もろもろ。キズによって思い起こされる物語)一つの体の傷から心の疵へと過去への心の旅が始まった夜なのですね。       

(深沢)昔、事故などに遭われたために出来た傷なのかもしれませんね。消えることの無い傷、克明に蘇るものがあるものですね。


眠れぬ夜一本の足の瑕疵眺めこの傷あの疵に想ひを馳せる


*もみじする街中の一樹 赤・黄色, 緑を残し着飾りゐるも


白樺) 紅葉するのは複数の樹々だと思われるので樹々ではどうでしょうか。(千代:一樹ですから、一本の木が、黄色、赤 そしてまだもみじしていない緑と三色で飾り立てられていて、とても美しい紅葉が進んでいる状況の一本の木を詠みたかったのです。)

(北里)「もみじする」と動詞化したのが新しいです。「もみじ」と仮名にしたのは、黄葉、紅葉と続くからでしょうか。緑の前は一字空けているのですね。結句の「も」は逆接でしょうか。その「一樹」は紅葉してはいるが、緑も残していて、結句の「も」でなぞかけされました。(千代:は、詠嘆です)

(深沢)まるで信号のようですね。季節の無いヒューストンからすると夢のような光景です。


*もみじする街中の一樹 赤・黄色, 緑を残し着飾りゐるも


深澤しの


限りなく殺風景な拙宅に林檎1個の華やかなる美


(白樺) 拙宅は謙遜した口語表現ですので単に"我が家"とした方が歌的です。I 個は一個で。

(北里)モノトーンの映像の中に赤いリンゴがひとつ、結句で「美」と言い切っているし現代アートのようですね。食卓のテーブルにでも一個置かれているのでしょうか。「拙宅」は「我が家」くらいで良いのでは。少し言い過ぎの感もありますが、言葉でアートへの挑戦、とも取れます。

(千代)いい視点だと思います。すこし気になるのは、短歌の中に拙宅という言葉をいれることです。吾の住まいとし、林檎一個の添える華やかさとしてみました。 


限りなく殺風景な吾の住まい林檎1個の添える華やかさ


拙宅のほんの隙間を行き来する愛犬抱けば命に温もり


(白樺)上の歌同様に、"拙宅""我が家"にすると良いと思います。"命の温もり"と助詞を変えてみました。

(北里)「ほんの隙間」は「ペットドア」のことか思いましたが、そうですか。ここも「我が家」くらいで良いかも。結句は「命の温もり」が自然に思いましたが「に」に込めた思いがあるかも、とも。

(千代)結句のは、作者の命ですよね?吾の部屋の僅かな隙間行き来する愛犬抱けば命の温もるとしてみました。 


吾の部屋の僅かな隙間行き来する愛犬抱けば命の温もる


*紅葉の葉君の笑顔も色づいてパット華やぐ神無月の夕暮れ


(白樺:"紅葉の葉に君の笑顔も、、"と助詞を入れてみました。"夕暮れ"""とすると7音に収まります。)

(北里)「紅葉(こうよう)に君の笑顔も色づいて」とすると「も」が活きるのでは。結句は字余りを緩和して「神無月の夕」「秋の夕暮」とか。「パッと」ですね。ただ笑顔が色づくってどういう意味?華やいだのは夕暮れ?笑顔?4句で切れるのなら一字空けるとか。

(千代)紅葉のごと・・・・・としてみたらどうでしょうか?


*紅葉のごと君の笑顔も色づいてパット華やぐ神無月の夕


白樺ようこ


秋彼岸みちのくの祖の墓参り泉流寺とふ古き尼寺へ

(北里)山形県酒田市の泉流寺でしょうか。ネットで見ました。歴史のある立派なお寺ですね。尼寺でもあるようですが、公式サイトには出ていませんでした。

(白樺:祖父の出身地が山形県酒田市なので祖父側の祖先の菩提寺が酒田市にあります。)

(深沢)酒田にある寺でしょうか。彼岸の墓参りをする日本の風習はいいものですね。

(千代)物語が生まれそうな情景ですね。ただ、歌としては旅行案内になってしまっているように思えます。作者独自の視点が欲しいですね。


秋彼岸みちのくの祖の墓参り泉流寺とふ古き尼寺へ


上野駅のメモリビリアとなりて建つ金のたまごの集団就職


(北里)memorabiloaはメモラビリアと表していましたす。「上野駅のメモラビリア」として何が「建つ」っているのか、と思いましたが、「上野駅」が建つ、なのですね。「上野駅は」とすると意味が分かりやすくなります。東北や北海道からの若者にとって、上野駅は故郷へつながる場所でしたね。

(深沢)集団就職のための集団就職列車の運行は213月でしたね。現在でも都会を目指す若者は多くいるのでしょうか。若者全部がYouTuberなどを目指している世の中のように感じるこの頃です。

(千代)ニ句目"メモラビリア"と、日本語では表記するようです。私は実際のものを見ていませんので、分かりませんが、"メモラビリア"は記念像のことを言っているのですか?辞書によると、ゆかりの記念品、遺品という意味、"建つ"ということですから、大きな像のようなものは、Monument とか、Memorialとかいうのでは?"記念碑として建つ...ではけませんか?


上野駅に降り立つ金のたまご達 記念碑となり追憶を呼ぶ



白樺さんから提供された、上野駅の記念碑の写真


*羽黒山大杉繁る参道を再び訪れむ紅葉する頃


(北里)天然記念物の爺杉が有名ですね。紅葉がまた見事であると聞きました。私も行ってみたいです。「訪(おとず)れむ」の「む」は「訪れよう」という意志と思いますが「訪(たず)ねむ」で1音減ります。結句は「紅葉の頃」で7音になります。

(深沢)自然溢れる壮大な美しい光景なのでしょうね。

(千代)あまり引っ掛かりのない歌ですね。


*羽黒山大杉繁る参道を再び歩まむ紅葉(もみじ)する頃