宇津木千代
やうやうに春を摘み取る 裏庭に頭持ち上げ覗く蕗の薹
(白樺)「春を摘み取る」の表現が春を待ちに待った心を伝えています。二句切れの後に一字開けたのもよいと思います。
(北里)古語には「やうやく」の他「やうやう」との表記もあるのですね。心待ちにしてい た蕗の薹はやはり食べたのでしょうか。私も4個庭に出て、蕗味噌を作りました。 苦みが良いですね。歌の中ではこれから摘み取るという場面なのでしょうね。
(深沢)写真でしか目にしたことがない蕗の薹、生命の息吹が感じられる一首です。自然を間地かで見られる環境が羨ましいです。
最終歌:やうやうに春を摘み取る 裏庭に頭持ち上げ覗く蕗の薹
バックミラーに遠ざかり行く親子鹿 桜花散り敷く路横切りて
(白樺)バックミラーに映る鹿の親子が遠ざかっていく動的な切り取りがよいと思います。
(北里)鹿は身近な存在なのですね。実際に運転しながらそんな景をバックミラーに見たのでしょう。絵になりますね。「道」ではなく「路」を選んだのには理由がありますか。「散り敷く」は散った花びらが敷き詰められている状況でしょうか。(千代:道と路の違いは様々な説明があり、これという決定的な答えは分かりません。私には、道と路を比べ、路の方がより詩的で、想像が膨らむ字であるという思いがあります。)
(深沢)上の句の切り取りが素晴らしいと思いました。バンビとお母さんと桜。ほっこりほのぼのした光景が目に浮かびます。
最終歌:バックミラーに遠ざかり行く親子鹿 桜花散り敷く路横切りて
目閉じれば春の里曲(さとわ)は花曇り桜の大木花びら吹雪く
(白樺)里曲とは人里のあるあたりという意味で ”さとわ” は平安時代以後の誤読で、”さとみ” と ”さとわ” の両方の読みがあると広辞苑にありました。唱歌の朧月夜の曲にもこの言葉がありましたね。
(北里)実家の桜でしょうか。記憶の中の情景を詠んだのですね。花曇りに望郷の思いを託したのかと。桜吹雪と言われる散り際の美しさはやはり格別ですが、散ることに寂しさを重ねたのかとも思いました。
(千代:小学校の校庭に大きな桜の木がありました。そこに大学卒業したての若い先生が私達小学4年生の担任として赴任してきました。桜の大木が花びらを吹雪かせる中を先生と一緒に遊び回った記憶が、桜と言えば甦ります。)
(深沢)全体の色がピンクを想像させ、春の雰囲気が十分に醸し出されている1首ですね。40年以上春の桜を目にしたことがありませんが、まるで日本の桜前線の真っただ中にいる気分に浸れます。添付されていた桜の写真を見ながらいろいろな景色を思い浮かべることができました。
題詠最終歌:*目閉じれば春の里曲(さとわ)は花曇り桜の大木花びら吹雪く
北里かおる
くたびれたタオル捨てるを躊躇わす記憶の端端みながいた日々
(千代:)とてもいい視点を詠んでいると思います。ただ"みな"がひっかかります。すべての人たちが逝ってしまったわけではないでしょうから、「...記憶の端々母のいた日々」とか?誰かを特定することによって、歌にもっとインパクトがあるように思います。(北里)続けて逝ってしまった両親、ワンコが念頭にあり、生活のベースとしては全てでしたので「みな」としました。歌としては絞ると締まりますね。
(白樺)くたびれたタオルという具体から派生する懐かしい人々を懐古する気持ちが伝わります。
(深沢)品の1つにも残る想い出の数々。自分は断捨離も中々できず困っています。いつ終わるかわからない有効期限のない命に、日々、残された人に迷惑をかけぬようと少しずつ整理整頓をするように心がける気持ちの背中を押してくれる1首です。
(北里)断捨離はやらねばならぬリストにありますが私は向いていないみたいです。焦らずぼちぼち。
最終歌:くたびれたタオル捨てるを躊躇わす記憶の端端母のいた日々
*被災地に十二支巡り花曇り帰る人あり帰らぬ人あり
(千代) 現在なら"被災地と十二支巡り"で多くの人たちは判断できると思いますが、もっと世代が若くなったときに意味がわからなくなる可能性があります。そこでむしろ、"福島に"と初句ではっきり出したらどうでしょう?帰る人あり帰らぬ人ありが、生きてくると思います。(北里)確かにそうですね。
(白樺)最近は世界中に被災地があるのでこの場合具体的な地名にするとより焦点が絞れるようです。(北里)双葉町のニュースが念頭にありました。桜が見事でした。
(深沢)早、12年が経つのですね。臨床感あふれる1首であると思います。
題詠最終歌:福島に十二支巡り花曇り帰る人あり帰らぬ人あり
作り手の顔など知らぬマトリョシカ 流す血あらばみな赤いはず
(千代:)ロシアのウクライナ侵攻と結び付けての歌と理解できますが、ここではマトリョシカの作り手を中心に詠んでいるのですか?話はそれますが、このマトリョシカは、こけしを真似して作られたのだそうですね。"こけし"は、"子消し"に通じていて、昔東北地方で、貧しいゆえに産室に屏風を逆さに置いてあったら、御産婆さんに"子を消してほしい"という意味で、無言のうちに子は消されてしまうということが、暗黙のうちに了解されていたそうです。御産婆さんはその手を切り落としたい思いで、子消しをしていたのでしょう。だから"こけし"には手がないという悲しい謂れがあるそうですね。そいうことも含めて、作者はマトリョシカを詠んだのかもしれませんね。今のロシアの若者の気持ち、戦争の意味など分からずに、戦地に派遣されて自分の尊い命をささげなければならないことの絶望感を詠みたかったのかしら?
(北里)お土産や民芸品など手が込んでいて立派な作品なのに誰が作ったのか分からないものが色々あるなと思った時、マトリョシカに心が留まりました。マトリョシカは血を流さないけれど作ってくれた人は血を流す、マトリョシカも心で血の涙を流しているかもと思いました。早く平和が戻ってほしいという願いを託しました。
(白樺)ロシアとウクライナの戦争が背景にあるお歌と思います。人間の血の色は皆な同じなのに国同士が血を流し合って戦っていることの無知と愚かしさを伝えるお歌です。
(深沢)手元にあるマトリョーシカはヒューストンに来て間もなくピアノを指導したロシア人のお子さんのご家族から頂いたものです。この歌を詠み再度、人形をまじまじと眺めてみました。マルティンが、日本の七福神の中でも豊穣の神である福禄寿の人形で、人形の中にまた人形が入っている、入れ子構造からヒントを得て工芸家に依頼して、大きさの異なる8つの木彫り人形を作り、1900年に開催されたパリの万国博覧会に出展して銅賞を受賞し名が広まり定着したものですね。綺麗な民族衣装サラファンで身を纏いスカーフで頭を巻いた、ロシアの農民の男性や女性の姿の裏にはいろいろな人生のドラマがきっとあったはずです。見かけで判断ができないことを再認識させられる1首です。
最終歌:作り手の顔など知らぬマトリョシカ 流す血あらばみな赤いはず
深沢しの
諄々と生きた証を刻むため詠まねばならぬ残された日々を
(千代)"詠まねばならぬ"がひっかかります。むしろ"・・・歌は詠みたし"のほう が、似合っているように思います。
(白樺)”諄々”は難しい言葉ですね。”詠まねばならぬ” を意思を表す助詞を使って ”詠まむ”として ”諄々と生きた証を刻むため歌を詠まむか残された日々”としてみました。
(北里)短歌は日記みたいな一面がありますね。短歌に向かう姿勢が素敵です。ストレートに短歌への思いが詠まれていていますが、それもまた良いと思います。
最終歌:諄々と生きた証を刻むため歌は詠みたし残された日々に
イエベ春吾を観察判断され良いか悪いかパーソナルカラー
(千代)イエベとはYellow Base
Colorのことらしいですが、誰に観察されたのか?(生徒です)良いか悪いかというのは、似合うか似合わないか、ということですか? (後者です)
(白樺)”イエベ春” が分かりませんでした。”観察” ”判断” は大掴みな観念語ですので細かな具体に置き換えるなどすると歌としての余韻がでるようです。
(北里)面白い内容を歌にしましたね。美容部員の人とかに言われたのでしょうか。イエベ春は可愛い、エネルギッシュ、若々しい雰囲気の人で、上戸彩タイプとありましたから、「良いか悪いか」だと戸惑っているような感じですが、素直に喜んでもよいのではと思いました。
最終歌:イエベ春吾を観察判断され良いか悪いかパーソナルカラー
ISS何時通過と思いつつ空を眺めて楽しむ花曇り
(千代)この歌は夜の光景ですか?それとも昼の光景ですか?(昼です)夜だとすれば、花曇りはないと思いますし、昼だとすれば、花曇りは薄っすらと空が曇っている状況ですから、空を眺められないと思うのですが、もしかしたら、眺めらなくても、今ここいら辺を飛んでいるのかな?という想像をめぐらしている歌ですか?
(白樺)”ISS" をスペルアウトすると分かり易くなるのでは。
(北里)ISSは札幌では今なら夜中の3時頃に見られるようです。通過時間は別としてISSを想像して曇り空を楽しんでいるというのは、とても良い切り取りと思います。花曇りで見えないけれど今通過中、と状況をしぼると詩情がより膨らむと思います。
題詠最終歌:ISS何時通過と思いつつ空を眺めて楽しむ花曇り
白樺ようこ
早朝に飛び起きリュックを点検す今日のウォーキングは坂多き街
(千代)いいと思います。作者はよく外歩きや登山を楽しむ人なのですね。羨ましい限りです。
(北里)ハイキングやウオーキングなど、歩くのがご趣味なのですね。わくわく感が出ています。少し報告的な印象を受けました。
(深沢)日課のように健康に留意しながら趣味を楽しまれているのでしょうか。慌てて出発前の点検が行われている様子が伝わってきます。ヒューストンは起伏の無い町なので、ついついサンフランシスコを思い浮かべて読んでいました。
最終歌:早朝に飛び起きリュックを点検す今日のウォークングは坂多き街
七マイル歩きて汗かく花曇り一息つきて市街を望む
(千代)引っかかるところは何もない歌ですが、“ああそうか”の歌になってしまっているように思います。
(北里)下の歌にあるクイーンアンの丘からの展望でしょうか。「花曇り」を何と結び付けるか、「汗」よりは望む「市街」の景色と結びつける方が空の様子としては良いのでは。いづれにしても1万6千歩くらい歩いたのでしょうか、結構な距離ですね。
(深沢)10キロ以上歩くとは素晴らしいですね。一体何万歩になるのでしょうか。晴天であれば少し暑すぎるかもしれない中、花曇りが助け船を出してくれたのですね。健康に留意されながら短歌を詠めるとは充実された日々を送られていられますね。
題詠最終歌: *花曇りの市街を望む丘の上歩け歩けと七マイルの道
手入れ良き瀟洒なつくりの豪邸を見惚れて歩くクウィーンアンの丘
(千代)この歌も引っかかるところは何もない歌ですが、何か物足りない感じがします。
(北里)カタカナ表記は「クイーンアン」のようです。シアトルのダウンタウンの北西にある閑静なお屋敷街とのことで、ネットで写真を見ました。素晴らしい豪邸ばかりでした。確かに見惚れますね。
(深沢)スペースニードルにふもとから始まる丘なのですね。豪邸の前庭なども目の保養になりそうですね。
最終歌:手入れ良き瀟洒なつくりの豪邸を見惚れて過ぐるクイーンアンの丘
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