2016年3月7日月曜日

2016年1月の短歌と合評




担当:北里

                         
原歌:大き夢描きてみむか余生坂小さくなりゆく画布の余白に

1月の詠草は「夢」でした。夢には寝て見る夢と未来に向けての夢がありますので、どのような歌が出てくるのか楽しみでした。いろいろとおもしろい歌が出されましたが、今回は白樺さんの歌を取り上げます。人生を“一枚の画布に絵を描いていくようなもの”として、残りの人生を“余白”と捉えたところが面白いと思いました。人生の終わりがすなわち絵の完成となるのです。たとえ描き残しがあっても。近頃の私はというと年齢を言い訳にして後ろ向きになりがちです。晩年に入っても残された人生に大きな夢もち、それを成し遂げたいと願う前向きな姿をまぶしく感じます。自分で自分の人生をあきらめてしまったら、そこで絵筆を置いてしまったようなもの。いつまでも意欲をもって何かに挑戦し続けることが大切ですね。
最終歌は言葉がすっきりと整理され、伝えたい内容がはっきりしました。「溢るるように」という結句は躍動的で若々しく希望に満ちています。一年の始まりに明るく元気を与えてくれる一首です。

<合評>                                                       
 (千代)修飾語が多すぎて、それぞれの関係がはっきりしないのですが・・・。人生という小さくなっていく画布の余白に、思い切って大きな夢を描いてみようか?ということですか?〔白樺〕大体そうですが、これまでの人生一つのことに専念してまっしぐらに来たわけではなく、あれやこれやで曲りくねりながらでしたので、気が付いてみればだんだん先が見えてくるようになりました。でも人生はいつの時点でも夢をもって生きていくのが幸せかなと自分に言い聞かせている今日この頃です。
余生坂という言葉は、いらない言葉だと思います。「大き夢描いてみむか我の生の小さくなりゆく画布の余白に」

(中井)余生坂とは聞き慣れない言葉ですが、「この余生」ではどうでしょう?「小さくなりゆく画布の余白」では夢を描きようがないと思うので、「小さくなりゆく画布いっぱいに」としてみました。

(北里)自分の人生を一枚の絵画に擬えているのですね。「余生坂」という言葉があるのでしょうか。ここではどういった意味で使っているのでしょうか。小さい余白に大きな夢を描く、というのは物理的には矛盾しているので観念的にしかとらえられないですね。 

最終歌;大き夢描きてみたし吾の生の画布の余白に溢るるやうに

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