今月は私自身が挑戦したく枕詞を使うというテーマを提案しました。そうでないと枕詞を使って短歌を作ることは先ずないだろうと思ったからです。しかし実際に考えてみるととても難しく提案したことを後悔するほどでした。残念ながらこのブログに取り上げるのは一首だけですが、皆さん苦労された様子が伺えました。中井さんが「枕詞の必然性がないままに使わざるを得なかった歌も多かったように思います。」と講評に書き添えておられましたがそれも頷けます。満足のいく歌ができたかどうかはともかく「枕詞」に関しての知識が増えたことだけは間違いありません。
北里さんの一首をご紹介します。枕詞といえば私の中では不動の位置を占めている「たらちねの母、、」多くの人が懐かしいような切ないような気持ちになるのではないでしょうか。最終歌では結句を結論付けず読者に想像を残すような言葉選びがされていて余韻が深くなったように感じます。
(出詠歌) たらちねの母と呼ばれることもなくも師と呼ばれしや生きる糧とす (萩)踏み込んだ内容の一首ですね。結句の“生きる糧とす”と言わないで、それを感じ取れる言葉にすると結句の重みが増すと思います。
(千代)己の内側に踏み入った、北里さんだけに作れる歌ですね。このような歌がやはり読者の心を動かすのです。ただ、残念なことに、結句で総纏めの結論を言ってしまっているのです。このようなことは、読者が想像する余地を残すべきなのです。ここまで言ってしまうと、読者はこの歌に参加できないのです。例えば「・・・・・こともなく師と呼ばれつつ20年過ぐ」とすれば、あとは読者が想像してくれます。歌はこのことがとても大切に思います。余計な自分の意見は邪魔になるのです。 (中井)「師と呼ばれし」では過去形になりますので、「母と呼ばれる」に合わせて「呼ばれゐて」としたいですね。 (白樺:作者の存在感もあってよいと思います。二度ある「も」を一つ削って「・・呼ばれることなくも」として下の句を「教師の道を生きる糧とす」としてみました。
(最終歌)たらちねの母と呼ばれることなくも師と呼ばれつつ三十五年
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