担当 中井
今回は、恐縮ですが自分の歌を取り上げてみました。と言うのも、幾つかの問題点を指摘されたので改めて読み直してみることも意味が有るのではと思った次第です。
誤解を招く表現を避けながら、想像力を掻きたてる歌を詠うのは難しい。ましてや、実体験でないものを説得力のあるものとして詠うには相当の力量が必要になるのだという事を実感しました。また、言葉は簡単だが奥が深い歌というのは、とても難しいものの様です。
主体をどこにもっていくか、吾との関係性が曖昧のままでは歌として成立しない。その辺りの事をもう少し勉強する必要が有りそうです。勿論、私がです。
千五百年もの永きにわたって受け継がれてきた短歌(和歌) は、日本の近代化と歩調を合わせるように変容を見せ、近代から現代に至って多様な表現を試行しながら今に至っています。昭和の風物・習慣さえ消えていこうとしている中で、未だにその根幹を崩さずに生き永らえている事に感動を禁じ得ません。
ジセダイ短歌とかケイタイ短歌とかいう呼び方で親しみを持ち、若い人の間にも広がりを見せているのを見るにつけ、この五、七、五、七、七の三十一文字の韻律の形式が如何に日本人の体質に合ったものであるかが分かります。
文字の種類、語彙の多様性、オノマトペの豊かさ、古語・雅語の存在、文語と口語の二面性などと言葉を操るセンスや細やかな情感。四季の豊かさや花鳥風月に象徴される自然の移ろいや様々な災害の中で、生きる上で濾過し熟成・醸成して創りあげてきたものが日本人の心というものなのでしょう。それらの発露として、短詩系の制約を持った短歌という形式は、日本人の心にぴったりと合うものなのでしょう。 題詠 お題「星」
提出歌
*わだつみのいろこの宮のかたはらに六億年を海星し生きむ
(千代)古事記の海幸彦・山幸彦の物語に六億年という年月があるのですか?それともただ「長い長い年月」を言いたかったのですか?青木繁の絵「わだつみのいろこの宮」に海星が絵がかれているのですか?その海星を擬人化して「む」は、意志ですか?それとも推量?御伽噺を詠みたかったのですか?この歌の意味がよく理解出来ません。
(中井)ゴキブリが二億年生き続けているように、海星は六億年生き続けている生物です。「わだつみ」は海を「いろこの宮」は古事記から採ったもので、直接は青木繁の絵とは関係が有りませんが、そう取られることは否めないので再考します。「生きむ」の「む」は、意思ではなく単なる推量として使いましたが、「らむ」が正しいようですね。
(千代)推量の助動詞“らむ”は、動詞の終止形に付きます。“生く“が終止形ですから、「生くらむ」でないとおかしいです。ただし、ラ変の動詞には連体形に付きます。
(白樺: 古事記の物語を背景にしたお歌ですね。「海星」は「ひとで」の漢名とありましたが、最初は分かりませんでした。「海星し生きむ」の助詞の使い方ですが、強調の助詞の「し」と意志の助詞「~む」の組み合わせで海星を擬人化しているのですか?
(中井)「し」は、強調を表しています。六億年も生き続けている海星を強調したかったのです。
最終歌 *「わだつみの深き浅きにひっそりと六億年を海星し生くらむ」
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