今月はユーモアがテーマ詠で、北里さんの歌一首を選びました。短歌を詠むほとんどの方々はユーモアを交えた短歌を詠むことは少ないと思いますが、時々はユーモアを含んだ歌を詠んで見ることも、歌の視野を広めることに役立つと思います。この歌を選んだ理由は、「短歌」という雑誌が7月号で「省略と飛躍」をテーマとして、歌の省略と飛躍によって、読者に様々な想像を掻き立たせられる。言い尽くさないことで、歌にもっと膨らみをもたせ、読者をより歌に惹き付ける大切さを説いています。北里さんのこの歌にはそういうものがあります。円居短歌会の会員は、北里さんが日本で教師をしている、と知っていますが、第三者の読者は知りません。場面はどこなのか、詠っている対称は誰なのか、作者は?などといろいろな疑問が湧き、想像を掻き立てるものがあるのは確かです。生徒という言葉を入れれば、すぐ作者は教師か、すくなくとも教育関係の仕事に携わっている人と理解できます。しかし、生徒という言葉がなければ、いろいろな場面が想像できます。一族郎党が集まった場面で子供たちが背比べして、親戚の大人に訊いている場面、ピックニックの場面、その他様々。さて、どう推敲するかは、作者が決めること。推敲によって歌がより生きてくるか、鈍るかは選んだ言葉一つにもよったり、語順によったりもします。
代わる代わるどちらが高いか聞いてくる たかが背の順されど背の順
(萩)私は作者が教師であることを知った上で読んでいるので状況がよく理解できますが知らない人にもよく分かるように学校ということが分かるようにしてはいかがでしょうか。その方が後半が生きてくると思います。“たかが背の順されど背の順”は常套句ですが、この歌では子どもたちの心情を言い当てていると思います。 (千代)ここで私は、考えてしまいました。私達は北里さんが教師であることを知っています。もし、第三者が読んだ時のことを考えれば、“生徒”という語を入れた方が分かりやすいか、とも思ったのですが、7月号「短歌」に、“省略と飛躍”という小論で、場所や対象、時などは読者の想像に任せる、ということ(後ほど、スキャンして皆様に配ります)で、なるほど、と思いました。必要不可欠な最低限の情報は入れて、後は読者に任せる、ということでこの歌を考えれば、この歌はこのままで、読者のさまざまな想像を掻き立てるものがあるように思いました。 (中井)ユーモアというよりも微笑ましくも愛らしい歌ですね。子供たちの生き生きした心情が良く伝わってきます。
(白樺:小さい子供のほほえましい情景が浮かびます。たしか「背比べ」という唱歌がありましたね。)(北里)読み取って頂いているように、生徒が背比べの判定を私に求めてくる場面を歌にしたのですが、私は、 この歌が山口先生の「省略と飛躍」に値するのか否かという点で、自信がありません。(資料、ありがとうございました。読みました。)最終的に、今回は分か
りやすさを優先しました。生徒にとっては生徒同士だけでなく、私との背比べも関心ごとで、よく私と並んで友達にどちらが高いか聞いたりもしています。私の 背を抜くと大喜びです。ユーモアという視点からは物足りない気がします。
最終歌;背の高さ比べて真顔の生徒たち たかが背の順されど背の順
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