今月は中井さんの「長生き」の歌を選びました。戦後生まれのベビーブーマーで学校や就職で狭き門をくぐり、日本の高度成長期に青春を過ごしてきた団塊世代は今や高齢者といわれる時代に突入。団塊世代のおじいさん、おばあさん位までは未だ少しは年寄りを敬う日本の文化があったように思いますが、高齢者が増加する反面、若い世代の就労人口が減って、国の財政も楽ではなく、せちがらい世の中となりました。現代社会を自分自身にひきよせて、「すべしべかなりべからずや」という音の面白さと組み合わせてうまく表現できていると思います。只、最終歌の「老いを敬ふ世にあらざるを」が少し概念的な感じもしました。
原歌:長生きをすべしべかなりべからずや老人あまた吾も一員
(萩)日本は超高齢者社会に突入していると毎日のようにニュースで取り上げられています。4句目までリズムよく読めるのですが“一員”がポツンとした感じがしました。“吾も一人か”“吾も仲間か”と考えましたが、どうもしっくりきませんね。 (千代)永井陽子の有名な歌に“べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊”ありますが、この歌が念頭にあったことはよくわかりますし、それは一向に構わないとおもいます。しかし、永井さんの歌は、“べし”の活用を擬音語として使っています。中井さんは意味を持たせているわけですね? 面白いですね。ただし、結句が弱いですね。結句を平凡に総まとめをしてしまっているので、もったいないとおもう。4句と結句をもう少し推敲したらとても面白い歌になるのでは?
(北里)音のおもしろさがあり、活用を取り入れたのはとても面白いと思います。声に出すと読みずらいので、「長生きをすべきか、すべきでないか」と、シェイクスピアのハムレットのように二者選択ですんなり詠むのもよいのではと、また結句が生きるようにと思いした。 (白樺:高齢化社会を反映したお歌で現実味がありますね。「すべしべかなりべからずや」に音の面白さがありますが、意味として長生きをすべきか、すべきでないかでしたらうまく七、五音にはおさまりませんが「すべきかすべきでないか」ではないでしょうか。今、朝日新聞記者を経て文明、社会、日本文化の評論で活躍し、今年亡くなった森本哲郎の「老いを生き抜く ― 長い人生についての省察」を読んでいます。誰も避けられない「老い」についてとても考えさせられます。) (中井)現実の日本を見る時、超高齢化社会が目の前まで来ています。その方策に政府は苦慮しているわけです。表面上は長生きは良い事だと言いながら、年寄りは早く死んで欲しいというのが本音でしょう。医療費などが国を圧迫し、負の実態としてしか見ていないのですから。年金はどんどん減らされ、介護保険料は増える一方です。斎場も墓地も不足していて、不明老人、孤独死も増えています。老人が敬われるようは社会ではなくなりつつあるのです。そんな状況の真っただ中にいる団塊世代の私などは、15年後辺りになると長生きが良い事だという様な言葉は無縁となるでしょう。そんな事を想って詠んだ歌ですが、確かに下の句は余りに舌足らずで、勿体ないですね。 「すべしべかなりべからずや」これを使いたくて詠んだ歌でもあるので、これは外せません。
最終歌;長生きをすべしべかなりべからずや老いを敬ふ世にあらざるを
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