担当:宮下 もも
8月は、「生きる」という題詠で作歌した。自分でこの題詠を出しておきながら、
いざ歌を作ってみたら大失敗してしまった。それは、「生きる」を具体的に使えず、観念的な短歌になってしまったからだ。 しかし、円居短歌会の会員方は、上手にこの題詠を活かし、佳い歌がたくさんあったと思う。その中で、とりわけ私の心に迫ってきた歌がある。
携えて生き行く人も無き吾に炎帝の朱のひかり刺しくる
深沢 しの
世の中には結婚している人、していない人、したい人、したくない人、別れた人など、
様々だ。 しかも、その結婚にまつわる形態は、恐らく人の数ほどあるのだと思う。
「炎帝」は夏の神様。作者は暑い夏の真っただ中にこの歌を思いついたのだろう。
カフェかどこかに一人座っていたのかもしれない。目には道行く人が映っていたかはわからない。 ただ心の中に、はっきりとした思いがあったのだ。
「携えていくひとのなき自分・・・」
何といってもこの歌の魅力は、自分自身をしっかりと見つめ、それをさらけ出して歌ったところであり、さらには 多くの人がこの歌の心理に共感するところにある。 自分をさらけ出すとは、言うは易し行うは難しで、まさに勇気のいる行為。短歌として世に出せば、誰彼の目に触れるのだから。結婚していても一人ぼっちの人、結婚していなくても寂しくない人、結婚の形式にこだわらない人、同性を愛する人など、一昔前とは時代が変わった。 でも、時代を超えてもなお変わらない人間のこころが、この歌の魅力であろう。
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