2013年7月1日月曜日

2013年6月の短歌と合評

担当 中井

 今月は、宇津木千代さんの歌を取り上げてみたいと思います。
題詠のお題は「初夏、はつ夏」

原歌:「七歳の記憶の中をもとほろふ 初夏の葬列、カナカナの声」


 様々な工夫のみられる歌で、「もとほろふ」という言葉の使い方、四句の前の一字空け、その後の読点の挿入、結句の片仮名表記」、とても表現力の豊かなものとなっています。

 「もとほろふ」という聞きなれない言葉でしたが、知ってみれば「さまよへる」という言葉にはない、何か謎めいた拠り所のなさを醸し出していることばのような気がします。
 また、その後の一字空けは、その拠り所のなさに余韻を与えていて、三句切れも効いていると思います。
 下の句の読点の挿入も、スッと流れてしまうのを防ぐ効果があり、作者にありありとその記憶の情景が浮かんでいる様子が伝わってきます。
 結句も、蜩(ひぐらし)と言わずに片仮名の「カナカナ」という言葉を使ったことで、その淋しげな感じが一層際立っています。字面といい、カナカナの音といい、日本語はその言葉の意味だけではないものをも表せるという特徴を最大限に活かしていると思います。

 また、「に」と「を」の使い方について、漠然と感じていた事が実際に理論で説明して頂いて良く分かりました。自動詞と他動詞の区別がつかないようなこともあるでしょうが、そんな時はちゃんと辞書を引くべきだという事でしょうね。

(萩)「もとほろふ」の言葉選びもいいと思います。初めてのお葬式の場面がカナカナの声と共に鮮明に残っている七歳の記憶、、お葬式という七歳の子には少し怖いような場面が想像できます。「カナカナの声」は旧字体「カナカナの聲」にしてもいいと思いました。
(もも)7歳の頃の、どなたかの葬列の記憶なのですね。夏の日のカナカナと啼く虫の声が今も作者の胸に聞こえてくるのですね。
(中井)「もとほろふ」という言葉を知りませんでした。調べたら、「徘徊ろふ・廻ろふ」。動詞「もとほる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「もとほらふ」の変化した語とありました。「記憶の中を」より「記憶の中に」の方がしっくりくるような気がしますが、如何でしょうか。 
  (千代:“に”と“を”の使い分けで、意味がどう変化しすると思いますか? 難しいところで、私にもどちらが適当かはっきりしませんが、感じでは“を”は、動作の対象ですから、“もとほろふ”の対象が“七歳の記憶の中を”となりました。また、“を”には強調の意味もありますね。“に”は、いろいろな選択肢の中から、“七歳の記憶の中に”というふうに考えられますが・・・意味としてはどう違うと思いますか? “に”の方が柔らかで短歌的かしら?みつけました。以下のことを読んで下さい。・・・「自動詞」か「他動詞」かという観点でみると、自動詞は直接目的語を取りえませんのでそれの起こる対象舞台を「に」で指定し、他動詞は直接目的語を「を」で指定します。例えば、「当たる」は自動詞なので「に」を使い「窓に当たる」となり「たたく」は他動詞なので「窓をたたく」となります ・・・ということになりますと、“もとほろふ”は、自動詞ですから、“に”が正しいですね。
                                                     
(北里)ドラマか映画で見たワンシーンを思わせる歌です。実際に経験したことはありませんが、イメージがわきます。葬儀は初夏とはいえ「カナカナの声」からは暑さを感じます。一字分開けたり読点を付けたことの意図を知りたいと思います。 
(千代:これは思い出と繋がるもので、私のは “暑さ”の象徴は油蝉です。「・・・“カナカナ”は、蜩(ひぐらし)のことです。梅雨明けのころから鳴き出し、真夏も朝夕などの涼しいときに鳴きついできた蝉ですが、季語としては〈秋〉のものです。明るい日差しの下で鳴くほかの蝉には無い、森の奥から響いてくる声の ...」とGoogleにありました。確かに季語は秋ですが、カナカナは初夏にも鳴くと思います。私の実家の裏は小高い山が秋川町の多摩川まで続いていました。今はすべて開発されてしまいましたが・・・。その山から梅雨上がりの夕方、涼しい風とともにカナカナの声が聞えてくると、何がなし哀しさが胸の底から湧き上がってきた記憶があります。ただ、ここでは象徴的に、幼い頃の哀しみの源泉とも言えるものを詠いたかったのです。ですから、初夏の美しい白色を含む緑と、清澄な影は、私には喜びや希望ではなく、カナカナとともに淡い哀しみの記憶の一つです。葬儀は5歳で亡くなった幼い弟の葬儀です。)
 
(いずみ:カナカナの声を聴くとき 七歳のころに遭った葬列が思い出される。人間の記憶って不思議ですね。私は日だまりを見ると祖母が静かに縫物や編み物を楽しげにしていた姿が甦ってきて幼いころに(私もしてみたいなぁ)と思っていたことが鮮明に思い出されます。どんな時も面倒くさいと言ったことばを一度も聴いたことがなく 大好きな祖母でした。)                     
(白樺:「もとほろふ」は「回る,徘徊する、うろつく」を意味する古語(自動四)ですね。下の句の体言止めの具体がとてもよいと思います。読点「、」も効果的です。)                           (きぬ)幼い時の思い出は、断片的で何かの意味を象徴しているかのように鮮やかですね。どうしてその時の記憶が蘇ってきたのかは分かりませんが、情景が脳裏を廻る状態がよく分かります。

最終歌:「七歳の記憶の中をもとほろふ 初夏の葬列、カナカナの声」

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