今月は、中井久游氏の歌を気にかかる歌として選びました。作者が自分の考えで事実かどうか分からない事柄を、事実として詠ってしまうことの危うさを指摘したいと思います。下記の歌で中井氏は、「就活に疲れ果てたる・・・・・」と詠っていますが、どうして”就活で疲れている”とわかるのでしょうか?もしかしたら事実かもしれませんが、若者の服装とか、憂鬱そうな表情とかで推測の域をでないのに、衆知の事実として歌ってしまっています。こういう歌は避けるべきです。もし詠いたいのなら「らし」「ごと」とか、推測の言葉を使ったらいいと思います。
*就活に疲れ果てたる若者がスクランブルの人混みに消ゆ
(千代)スクランブルとは、ここではどういう意味で使っているのですか?ここでの作者の立ち位置は、どこですか?第三者の若者が、どうして就活で疲れているのか分かるのですか?若者は作者の知っている人ですか?もしそうなら具体的にその関係を書いたほうが、よりリアルティーが増します。
(北里)若者の就職難は社会問題ですので、うなずける情景です。若者が何故に疲れているかは見ただけではわからないので、リクルートスーツを着たいたのかもしれませんし、「就活」として詠うには、就活と直結するような材料が欲しいような気もします。
(もも)就職をしない若者が増えるご時世、一生懸命に職を求めて進んでいる若者がまぶしく感じられました。
(いずみ)疲れ果てたる若者という表現がとても重いように感じました。若者たちの就活が大変だなぁというところでの歌なのでしょうね。
(白樺)現代社会を反映しているお歌でよいと思います。
(きぬ)都会の人混みにはありとあらゆる事柄に疲れた人々がいますから、そこにこの若者が紛れ込んで行く様子は、社会人になることの象徴のようで面白いお歌だと思います。
(中井)スクランブル交差点の角にあるビルの2階から眺めています。リクルート・スーツとその時期で判断したわけですが、想像の域を出ていません。それを説得力のある歌にするには具体性が必要ということですね。先月と今月のNHK短歌で、斎藤斎藤(千代:“さいとうさいとう”さんの“さいとう”は、苗字と名前で字が違うのです。斉藤斎藤ですので、よろしく)が見えていないものを歌に詠み込んではいけないというようなことを書いていました。想像で詠ってはいけないと・・。その意味から言うと、この歌は嘘だらけでいけないという事になるんですね。世相を詠う事の難しさを感じますが、千代さんの言わんとする事も分かるので何とかしたいところです。
最終歌 *就活に疲れ果てたる若者のニュースで語る交差点角
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