2023年6月27日火曜日

2023年6月 Eメール短歌会 題詠「里山」

赤:講評 
紫:作歌者の応え 
青:講評を参考に推敲した最終歌


宇津木千代

幼子の帰りし後にふと見ればフイギユアリンはみな後ろ向き

(北里)ここではお孫さんでしょうか、飾ってあった人形を全部後ろ向きにして帰った、という内容に可笑しみがあります。小さい子の考えることは分かりませんね。切り取りが楽しいです。リヤドロやマイセンなどの陶磁器製の人形は「フィギュリン」となっていました。ディズニーものの紹介で「フィギュアリン」と表記されていましたが、発音の問題でしょうか。カタカナ表記は「フィギュリン」となるのでは。
(千代:英語圏では日本のような分け方はしていないようです。フィギュアリンもフイギュリンも同じスペルですし、発音記号もフィギュアリンに近いですね。フィギュリンは和製英語かもしれませんが、どなたかはっきりした答えを持っている方は教えて下さい。この歌の場合は、小さな毛皮で造った猫とかウサギ、粘土製の犬とかリヤドロの人形、その他の小いさな人形などがふくまれていますので、いつも使っているフィギュアリンという形式にします。)

(白樺)お孫さんのいたずらでしょうか。ちゃめっけが面白い切り取りですね。
(深沢)なぜそれらを皆、後ろ向きにしていくのでしょうか。小さな子供の考え方から学ぶことはとても多いのですが、帰りたくないという意志表示なのかもしれないですし、まだすぐに戻ってくるねと意味かもしれません。表現力を行動に表しているのかもしれません。笑みが浮かぶ一首です。


幼子の帰りし後にふと見ればフイギユアリンはみな後ろ向き

おさな子の片への靴下残されてその小さきに驚かされぬ

(北里)こちらもお孫さんの歌でしょうか。片方だけ置いて行ったのですね。小さいものは皆可愛い、ですね。改めての気づきが良いと思います。
千代:置いていったのではなく、母親が洗濯後、ドライヤーから取り出す時に片方の靴下を忘れたのでしょうね)

(白樺)お孫さんへの愛情が小さな靴下という具体で伝わってくるようです。
(深沢)幼子なので身体もまだ小さいのは当たり前なのですが、普段の生活で周囲に小さな子がいない時は、なかなか子供のことについて気がつかないものです。先日、親類の6カ月になった赤子を抱いて遊んでいた時にその手や足の小ささに驚かされました。当たり前から得られる気づきを詠むこともいいのだなと勉強させられました。


おさな子の片への靴下残されてその小さきに驚かされぬ

*吾の祖先(おや)の奥つ城どころ松風冴ゆる里山に在り

(北里)万葉集などの古典の歌のような印象です。「奥つ城」はお墓のことなのですね。初めて聞く言葉でした。ゆかしく風情の感じられる歌です。
(白樺)長らく生まれ育った祖国を思う気持ちはいつまでも消えません。
(
深沢)ご両親は静かな場所から見守って下さっておられるのですね。綺麗な歌です。

*吾の祖先(おや)の奥つ城どころ松風冴ゆる里山に在り


北里かおる


廃線の幸福駅に立ち寄ればキハ22と出会う倖せ 


キハ22キハはディーゼルエンジンの列車のこと、22はその型で寒冷地用 (ちなみに私と同じ歳)


(千代)結句のように「倖せ」と結論付けたい気持ちはよく分かりますが、やはり結論付けるのは歌としては問題ではないでしょうか?例えば「嬉しき出逢い」とか?(北里)そうですよね。言いたいことよく分かります。この度は「幸福駅」に掛けてちょっと意図的に使ってみました。漢字を「〝幸」(さち)にして取り入れるならどうでしょうか。

(白樺)「幸福駅」と結句の「倖せ」の 語呂が合うところが面白いですね。私事になりますがキハ22は乗ったことはありませんが母の従兄弟にあたる人が北海道で機関士をしていましたので列車を操縦していた時のことや鉄道の仕事での苦労話を書いた思い出の冊子をその人が亡くなった後で読んでひと昔前の鉄道に思いを馳せたことが浮かんできました。(北里)鉄道マニアではありませんが、子供の頃乗っていた汽車なので、懐かしいです。

(深沢)列車が北里さんと同じ歳とは奇遇ですね。何が理由で配線になってしまったかわかりませんが、駅の名からしてもそこを訪れるだけで数々の幸福感を得られる場所であるということがわかります。幸せのお裾分けを頂けた1首でした。(北里)民営化以降、北海道は採算が合わない路線が次々に廃線になりました。今でも北海道は赤字路線ばかりです。幸福駅、かつて歌の影響で大流行りでした。切符はずっと大切に持っていて色あせていたのが記憶にあります。


廃線の幸福駅に立ち寄ればキハ22と再会の〝幸


*里山に白き花火のごとく咲く大花独活と束の間の夏


(千代)意味は理解出来ますが、「と」で繋がっている4句目と結句の繋がりがはっきりしません。参考までに「里山に花火のごとく咲き誇る大花独活よ 束の間の夏を」(北里)私が花独活「と」束の間の夏を過ごす、という意味での「と」でしたが。分かりずらいのですね。

(白樺)大花独活は珍しい読み方で「オオハナウド」と読むことをGoogleで調べてみてから分かりました。「ごとく」を削って花を直接花火にしてしっまても、より詩的になると思います。例えば「里山に白き花火となりて咲く大花独活の束の間の夏」(北里)直喩とするとすっきりするようです。ありがとうございます。

(深沢)オオハナウドの花はまさに花火を想像させてくれます。夏の情緒あふれる歌ですね。


*里山に白き花火となりて咲く大花独活の束の間の夏


天仰ぎ紫黒の液果結びをり衝羽根草の祈りの姿


(千代) をりは古語で、口語ではおるです。少し崩して言えばいるです。以下写真を転載しましたが、この黒い部分が液果なのですか?トマトやオレンジのように汁の沢山含んだ果実なのでしょうか?ツクバネ草は初めて見る草ですが、祈るような形の草なのでしょうか?(北里)中心の黒いのが「液果=実」です。実の大きさは1cmくらいで液果状です。葉は披針形で十字に開いて空を向いているので、祈りのクロスを連想しました。飛躍し過ぎでしょうかね。「いる」が自然でしょうか?

(白樺)衝羽根草(ツクバネソウ)をよく観察してその咲く姿を祈りに例えたところがよい切り取りと思います。向日葵のように花は上を向いて咲くのでしょうか。(北里)花は上を向いています。葉も外花被片も4枚で上を向いています。

(深沢)紫黒の液果からはジャムなどができるのでしょうか。衝羽根草の実はユニークな形状ですね。2つの2つ植物のを1つの歌に織り込むことの難しさを学べた1首です。(北里)ツクバネソウという名で、お正月に羽根つきの羽根に似ているのでその名があるそうです。「実」は私は食べたことはありません。人が食べる話は聞かないです。中国の漢方では、根茎は乾燥させて煎じて飲むと膝の痛みに効くとのこと。


天仰ぎ紫黒の液果結びいる衝羽根草は何を思うや


深沢しの

洗濯を飲める水でするのかと途上国の男の言葉が刺さる


(千代)結句言葉が刺さると、結論付けない方がいいと思う。読者は刺さるという言葉なしにも、それぞれ十分感じ取れると思うので、作歌者が結論付けてしまうと、その範疇で読者は理解してしまい、歌が広がらなくなってしまうと思います。「洗濯を飲める水でもするのか」と途上国から来た人の言う だけで十分読者はその意味を理解するのでは。

(北里)考えさせられる歌です。結句が良いですね。2句目「飲料水」とすると7音になります。途上国を具体的に書くと長すぎる国名なのかしら。具体があるとよりリアルではと思いました。

(白樺)「途上国」は途上国に住んでいない人が使うと上からの目線となるので、例えば「洗濯を飲める水でするのか?」と水の乏しき国の人問ふ


「洗濯を飲める水でするのか」と途上国の男の言葉が刺さる 


蜘蛛の編むたて糸よこ糸仕掛けあり吾が歩くはたて糸の上


(千代)どいう仕掛けなのかしら?謎めいた歌ですね。でも読者はいろいろ考えを巡らし、自分なりの結論を出すでしょうね。

(北里)蜘蛛の糸の張り方に仕組みがあるとは知りませんでした。4句目「吾歩くのは」で7音になり整います。素敵な切り取りと思います。私は蜘蛛の縦糸と横糸の違いが分からないので、なぜ詠み手が縦糸を歩くのか、その意図が謎ではあります。

(白樺)人はお互いに助け合い協調しながらも、それぞれのやり方で生きているということを蜘蛛の編み方になぞらえているお歌でしょうか。色々と想像できます。


蜘蛛の編むたて糸よこ糸仕掛けあり吾歩くのはたて糸の上


*里山に響く銃声3頭目檻に暴れしイノシシ哀れ


(千代)銃声が響いたのですから、イノシシは手負いのイノシシか、殺害されたイノシシかですよね。檻に入って暴れるイノシシをYoutubeで観たことがありますが、それは餌に釣られて檻の中に入り、檻がバタンと下りてしまって、出られなくなり暴れ回る姿でした。3頭という数は必要ないですし、結句の哀れという結論もいらないと思います。少し、作歌者の意図とはちがうかもしれませんが、参考までに、一点に絞ってみました。

「里山に銃声響き倒れたるイノシシの吾を見る虚ろなる目」とか

(北里)こちらも切り取りが良いと思います。3は漢数字になるのではと思います。2句で切れて一字空けると良いかも。「三頭目」が捕らえられ全部で3頭が檻の中、ということなのですしょうか。イノシシ狩りは捕える時に殺すのではなく捕えてから殺すのでしょうか。ここでは駆除ですか。札幌は熊が市内あちこちの人家近くに出没し問題になっています。

(白樺)人間に迫害されるイノシシが哀れで胸が痛みます。結句を具体化すると余韻がでます。


*里山に銃声響き倒れたるイノシシの吾を見る虚ろなる


白樺ようこ

風薫る風待月の窓辺にはモックオレンジの咲き匂ふ白


(千代)例えば、窓辺には宵闇にとか闇の中とかすると、白が対照的になり、現代の世相の中に灯りを点している姿のようにも拡大解釈できます。そしてこの歌の意味と個性を表せ,ただ通り一遍の歌ではなく、もっと奥深い歌になるのではないかと、思いました。

(北里)風待月は旧暦の6月なのですね。「風が薫る」ように吹いているけど「風を待っている月」なのだ、というのが可笑しみなのでしょうか。オレンジと言う花名で、咲いたら白、という点も面白いです。バイカウツギのことのようで、ネットでみたら白くて素敵でした。香りも良いようですね。

(深沢)枝が垂か可憐な雰囲気な花も暑さで風を待っているのでしようか。ヒューストンは100度以上が続いているこの頃です。先週シアトルを訪れた友人がとても寒かったと言っていたので、そちらも気温が上昇し始めているのですね。お気をつけください。


風薫る風待月の宵闇にモックオレンジの咲き匂ふ白


*里山に農の活気をもたらさむと意気込む若人の顔の明るし


(千代)新たな発見とか、個性をあまり感じられません。何か作者ならではの発見と表現が欲しいところですね。

(北里)特番によると北海道の酪農が岐路に立たされています。せっかく搾った牛乳を廃棄しなければならなかったり、飼料高騰で子牛が売れないとか。それで乳製品は条約にに縛られて輸入はしている。若者の存在は貴重、農業のの未来が明かるいのなら良いのですが、願うばかりです。

(深沢)農業を営んでいく若い方々が増えたのですね。自給自足をする方も増えてきていると認識しています。好きなことを見つけ自分も楽しくなり周囲にも希望を与えられるとは幸せな生き方です。下の句が元気を与えてくれます。


*里山に農の活気を届けむと意気込む若人の顔の明るし


椎茸とアスパラガスを購ひて初夏を詰め込み市場を歩く


(千代)初夏を詰め込むという表現に、個性を感じます。

(北里)旬の物が手に入った嬉しさが伝わってきます。詰め込むのはどこに?買い物かご?(白樺)私の近所では毎日曜日にテントをはった市場があります。そこまでは徒歩で30分程なので買ったものはリュックに入れて歩きまわりました。「椎茸、アスパラガス⇒購ふ」=「初夏⇒詰め込む」、と言い換えになっていて説明的に感じたので、「採り立てのアスパラガスと椎茸を買ひて市場の初夏をゆく」とし

てみました。

(深沢)いろいろなレシピが浮かぶ野菜の組み合わせですね。スーパーマーケットよりも市場で購入する方がやはり鮮度が違いますね。買い物を楽しまれている様子が想像できる1首です。

 

椎茸とアスパラガスを購ひて初夏を詰め込み市場を歩く



課題予告


7月「月旅行」深沢 

8月「馳せる」宇津木 

9月「髪」北里

10月「もみじ」白樺

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