2023年5月30日火曜日

2023年5月 Eメール短歌会 題詠「継ぐ、接ぐ」


赤:講評
紫:作歌者の応え
青:講評を参考に推敲した最終歌

宇津木千代

探し物日課となりてうろうろと家中歩き回り三千歩

(北里)探し物はある年齢になると生活あるあるですが、「日課」となると表現したのは面白いですね。三千歩とはかなりの迷歩です。4,5句の語調のくずれはそれを表しているようです。
(白樺)川柳的な面白みがありますね。結句の体言止めがよいです。
(深沢)探し物が早く見つかって欲しいという気持ちはありますが、詠んでいて心が温まりまる一首です。もしかしたら宝探しのようにウキウキしながら、健康状態に留意している運動療法なのかもと思いました。  (三千歩は、さすがに多すぎると思い、一千歩に直しました。)


 
探し物日課となりてうろうろと家中歩き回り一千歩  


犍陀多(かんだた)の生への欲に似てゐるやサプリメントに薬の数多

(北里)大量の薬から父のことを思い出しました。生への欲というより飲まされている感じでしたね。人間の性を題材に犍陀多の登場が効いています。
(白樺)高齢になっていく過程での不自由さが具体的に表現されていて共感を呼びます。
(深沢)初句での語彙の使い方にインパクトがある1首です。1秒でも長く生きようとするために、人間が日常生活の中での切り取りから「生」を考えさせられました。


犍陀多(かんだた)の命の欲に似てるかなサプリメントに薬の数多

*橘に接ぎ木されたる金柑は整形美人妖しき艶は

(北里)橘に金柑、そんなことが可能なのですね。右近の橘から高貴なイメージの橘が妖艶な美人とは、比喩にパンチがありますね。(千代:以前、ヒューストンに住んで居た頃、中国人の植木屋で、橘に接ぎ木された金柑の木を買って来て植えました。見事な、甘い金柑が沢山採れました)
(白樺)植木を擬人化したところが面白い切り取りと思います。
(深沢)どこの国でも美容整形は流行っているようですが、おもしろい1首を詠ませて頂きました。目を閉じると何故か金柑の甘露煮が浮かんできてしまいます。整形美人という言葉に興味がそそられます。


 
*橘に接ぎ木されたる金柑は整形美人 妖しき艶よ

北里かおる

シベリアへ渡る途中か春遅き幌加内湖(ほろかないこ)に白鳥の群れ

(千代)北海道にはとても詩的な固有名詞がありますね。それらはきっとアイヌの人たちが使っていた口語の言葉に、漢字を当てはめて読ませているのかなと、想像していますが・・・文章の中でも、歌の中でもそれらの言葉を遣うと、ほのかな詩的情緒が胸の中に沸き上がってきますね。一読し、引っ掛かりがあった言葉が途中という言葉でした。もう少し詩的な言葉がないかしら?道すがらでは?(か、は抜いてもいいのでは?(北里)なるほど、細やかな言葉感覚ですね。7語にするため「みちみち」としました。ありがとうございます。そばで有名な所で季節ではありませんが、そばを食べてきました。
(白樺)珍しい地名でロマンや季節感が伝わってくる情景ですね。
(北里)北海道は読めない地名がたくさんあります。ニュース見たかしら?熊に襲われて釣り人の方が亡くなったのは朱鞠内湖(しゅまりないこ)です。近いですが事件があったのは大きな湖です。
(深沢)彩の美しい自然の光景が目に浮かびます。一匹として取り残されていかないように願う気持ちが募る1首です。(北里)田んぼとか、あちこちに本当にたくさんいました。渡りは本能?不思議です。

シベリアへ渡るみちみち春遅き幌加内湖(ほろかないこ)に白鳥の群れ

 
父母の元に生まれて今日を生く明日は草木(そうもく)はたまた虫に

(千代)は、だと思います。発想が違うかもしれませんが、参考までに。父母在りてこの世に人とし生(あ)れて生く 次の世は虫はたまた草木(くさき と読ませると七音になりますが・・・(北里)ありがとうございます。焦点がはっきりして伝わりやすくなり、「人とし生れて」の言葉遣い上手いです。ただ思っているのは単純に明日のことなので、今日(今)と明日の対比のままとしました。
(白樺)人も草木も虫も同じくこの世を生きて死んでゆくという輪廻の思想が感じられるお歌です。もう少し細かく具体を取り入れると大きな概念も身近なものとして訴える心がでると思います。(北里)具体とは花や虫の名前でしょうか。語数の問題もありますが、自分としては漠然とした思いなので、あえて概念的にとも思います。父の命日が5/27で昨年の今頃に滝川の菜の花畑を見た時、この蝶は父や母だったりしてと思ったことを思い出しました。
(深沢)生を受け、一日一日をどう生きるか考えさえられる一首です。己の身の振り方によってどうにでも変わることとなることを示唆されているようで、現在の自分を見つめ直す良い契機となります。

 
父母の下生まれて今日を生く明日は菜の花はたまた蝶に

*いつまでも心に残る響きなり受け継がれたるウポポの調べ

ウポポ アイヌの伝承歌謡   


(千代)ウポポの言葉に惹かれますね。作歌者が誰でもいい歌になってしまいましたが・・・
(白樺)アイヌの伝承歌謡が郷愁をそそられてアメリカ原住民との共通点が沢山あることに驚かされます。
(深沢)一度も耳にしたことがなかったので、1054年に録音された音源を聞いてみました。娘のDNA鑑定で自分もアイヌの血が入っていることを知り得た時から更に興味をそそられます。アイヌ語はわからないですが、独特の響きには心惹かれるものがあり、それを継承することは大切であると感じました。(北里)アイヌの言葉は分かりませんが何とも言えない不思議な調べですね。消えてしまうには惜しい、再評価されているのが嬉しいです。

*いつまでも心に残る響きなり受け継がれたるウポポの調べ

深沢しの

もし生まれ直せることが来るならきっと孝行しますねお母さん

(千代)孝行したい時には親はなしという諺がありますが、本当にそうですね。親が生きている時には自分の家庭を守り、生きるのに精いっぱい、やがて子供も育ちあがり気持ちにも余裕を見出した時に、ふと考えると親の生きていた年齢になり、どんな思いで生きていたのだろうなどと思いを馳せると、親に何も孝行していなかった自分に気付き、本当に心傷む思いに苛まされる。この歌を読み、自分も時々両親のことを思い出し、苛まされているので、うなずける歌になりました。「あなたの子としてまた生まれ直せればきっと孝行しますね お母さん」
(北里)本当に生き直しができればね、素直な思いが語られていて共感します。森進一の歌を思い出してしまいました。今風の短歌としてはつぶやき調も良いのかもしれませもし生まれ直せることが来るならきっと孝行しますねお母さん
んが、整え方があるようにも思えます。
(白樺)親をなくしてから後悔することがだれしもあるようです。素直に歌われていますがホロリとさせる歌謡曲的な感じもします。

あなたの子としてまた生まれ直せればきっと孝行しますね お母さん

学びたい聞きたい読みたい知りたいと独り身われの朽ちぬ欲望

(千代)その欲望はとても大切だと思いますし、その欲望があってこそ、いつまでも活き活きと生きられると思うのですが、どうも独り身との結びつきがはっきりしません。歌が抽象的、観念的になってしまっているように思います。
(北里)飽くなき探求心が素晴らしい。「聞く、読む、知る」⇒「学ぶ」なので「学びたい」は後に持っていく方がすっきりするのでは。「独り身」との関連が分かりずらい様に思います。
(白樺)好奇心はいつまでももっていたいものです。

聞きたい読みたい知りたい学びたいと老いる身われの朽ちぬ欲望

駅の字に馬いる不思議問う子いて馬継ぐ昔の旅を語りて

(千代)結句は、語りてという継続の助詞で止めるのではなく、旅語り聞かすではどうでしょうか?
(北里)子供の素朴な疑問を歌にした切り口が良いですね。「いる」は「入っている」が自然だと思いますが、幼い子供の質問らしくて良いのかもと思います。「馬継ぐ」は「馬を乗り継ぐ」となりますね。「馬継」とか「継馬」という言葉もありました。結句は「語る」と終止形がすっきりすると思います。
(白樺)子供の好奇心を育てて成長を助けることはやりがいのあることと思います。漢字の細かいところに目をつけた子供はさすが。

*駅の字に馬いる不思議問う子いて馬継ぐ旅の昔を語る


白樺ようこ

そぼ濡れる山や林の息遣いに耳を傾けせつせと歩む

(千代)山や林ですが、林は山の一部分では?ここではむしろ樹木や草のとしたほうが、より具体になるのでは?
(北里)雨の後でしょうか、まさに降っているさ中かもしれません。いつもとは違う「息遣い」を感じているという点に詩があると思います。結句は「せつせと歩む」に工夫の余地があるのではと思います。
(深沢)自然の放つ音を聴きながら場を共有されているのですね。自然の中で生かされているということを気づかされる歌です

そぼ濡るる樹木や草の息遣いに耳を傾け山道歩む

スノカルミー河は二つの滝となり岩を奔りて滔々流る

(千代)ここには作歌者が居ない。顔のない歌詠みになっているように思います。
(北里)ネットで見ましたが迫力ありますね。日本語では「スノコルミー」と紹介されていました、大きな違いはありませんが。TVドラマTwin Peaks のオープニングに登場していたことで有名とか、日本でも知る人ぞ知る、とのことです。スノコルミー族というネイディブ・アメリカンの神聖な土地なのですね。興味がわきました。
(深沢)ナイアガラの滝を30mも上回る高さの壮大な滝なのですね。初句の説明があるのでスノコルミー滝だということがわかりました。直接名詞を出すことをせずに説明から始まると分かり易いですね。

滔々と岩場を奔るスノコルミーに目を奪われてしばし佇む

未来へと継ぎていかむや美しき海川山の自然の恵み

(千代)この歌も自然を讃えるキャッチ・コピーになっているように思えます。
この作歌者の一番目の歌「そぼ濡れる・・・」という歌にあるせっせと歩むという表現によって、作歌者の個性が出ていますし、雨にそぼ濡れながらひたすら歩みを進める姿が浮き彫りになり、読者が映像化できます。こういう表現をいれることによって、歌が初めてその人の独自の歌となっていくのです。
(北里)本当にそうですね。人間の手による環境破壊や異常気象など、厳しい現実が危惧されます。「いかむや」切れ字に決意が感じられます。「海川山」と漠然と表現するのではなく前の歌のように具体的に身近な場所、地名などを入れると良いのではと感じました。
(深沢)自然の恵みも中で生活が出来る幸せを、時勢代にも是非継承していきたいたいものです。

*幾千年ガイアの恵継ぎゆかむ人の世乱る星に住まいて



課題予告

6
月「里山」白樺
7
月「月旅行」深沢  

8月「馳せる」宇津木 

9月「」北里


2023年5月1日月曜日

2023年4月 Eメール短歌会 題詠「花曇り」


赤:講評
紫:作歌者の応え
青:講評を参考に推敲した最終歌

宇津木千代                                   

やうやうに春を摘み取る 裏庭に頭持ち上げ覗く蕗の薹                

(白樺)「春を摘み取る」の表現が春を待ちに待った心を伝えています。二句切れの後に一字開けたのもよいと思います。                         
(北里)古語には「やうやく」の他「やうやう」との表記もあるのですね。心待ちにしてい      た蕗の薹はやはり食べたのでしょうか。私も4個庭に出て、蕗味噌を作りました。 苦みが良いですね。歌の中ではこれから摘み取るという場面なのでしょうね。         
(深沢)写真でしか目にしたことがない蕗の薹、生命の息吹が感じられる一首です。自然を間地かで見られる環境が羨ましいです。                      

最終歌:やうやうに春を摘み取る 裏庭に頭持ち上げ覗く蕗の薹             

バックミラーに遠ざかり行く親子鹿 桜花散り敷く路横切りて               

(白樺)バックミラーに映る鹿の親子が遠ざかっていく動的な切り取りがよいと思います。
(北里)鹿は身近な存在なのですね。実際に運転しながらそんな景をバックミラーに見たのでしょう。絵になりますね。「道」ではなく「路」を選んだのには理由がありますか。「散り敷く」は散った花びらが敷き詰められている状況でしょうか。(千代:道と路の違いは様々な説明があり、これという決定的な答えは分かりません。私には、道と路を比べ、路の方がより詩的で、想像が膨らむ字であるという思いがあります。)           
深沢)上の句の切り取りが素晴らしいと思いました。バンビとお母さんと桜。ほっこりほのぼのした光景が目に浮かびます。                         

最終歌:バックミラーに遠ざかり行く親子鹿 桜花散り敷く路横切りて            

目閉じれば春の里曲(さとわ)は花曇り桜の大木花びら吹雪く             

(白樺)里曲とは人里のあるあたりという意味で さとわ は平安時代以後の誤読で、さとみ と さとわ の両方の読みがあると広辞苑にありました。唱歌の朧月夜の曲にもこの言葉がありましたね。
(北里)実家の桜でしょうか。記憶の中の情景を詠んだのですね。花曇りに望郷の思いを託したのかと。桜吹雪と言われる散り際の美しさはやはり格別ですが、散ることに寂しさを重ねたのかとも思いました。
(千代:小学校の校庭に大きな桜の木がありました。そこに大学卒業したての若い先生が私達小学4年生の担任として赴任してきました。桜の大木が花びらを吹雪かせる中を先生と一緒に遊び回った記憶が、桜と言えば甦ります。)
(
深沢)全体の色がピンクを想像させ、春の雰囲気が十分に醸し出されている1首ですね。40年以上春の桜を目にしたことがありませんが、まるで日本の桜前線の真っただ中にいる気分に浸れます。添付されていた桜の写真を見ながらいろいろな景色を思い浮かべることができました。

題詠最終歌:*
目閉じれば春の里曲(さとわ)は花曇り桜の大木花びら吹雪く        


  北里かおる                                      

くたびれたタオル捨てるを躊躇わす記憶の端端みながいた日々             

(千代:)とてもいい視点を詠んでいると思います。ただ"みな"がひっかかります。すべての人たちが逝ってしまったわけではないでしょうから、「...記憶の端々母のいた日々」とか?誰かを特定することによって、歌にもっとインパクトがあるように思います。(北里)続けて逝ってしまった両親、ワンコが念頭にあり、生活のベースとしては全てでしたので「みな」としました。歌としては絞ると締まりますね。
(白樺)くたびれたタオルという具体から派生する懐かしい人々を懐古する気持ちが伝わります。
(深沢)品の1つにも残る想い出の数々。自分は断捨離も中々できず困っています。いつ終わるかわからない有効期限のない命に、日々、残された人に迷惑をかけぬようと少しずつ整理整頓をするように心がける気持ちの背中を押してくれる1首です。
北里)断捨離はやらねばならぬリストにありますが私は向いていないみたいです。焦らずぼちぼち。                             

最終歌:くたびれたタオル捨てるを躊躇わす記憶の端端母のいた日々              

*被災地に十二支巡り花曇り帰る人あり帰らぬ人あり                 

(千代) 現在なら"被災地と十二支巡り"で多くの人たちは判断できると思いますが、もっと世代が若くなったときに意味がわからなくなる可能性があります。そこでむしろ、"福島に"と初句ではっきり出したらどうでしょう?帰る人あり帰らぬ人ありが、生きてくると思います。(北里)確かにそうですね。
(白樺)最近は世界中に被災地があるのでこの場合具体的な地名にするとより焦点が絞れるようです。(北里)双葉町のニュースが念頭にありました。桜が見事でした。
(深沢)早、12年が経つのですね。臨床感あふれる1首であると思います。

題詠最終歌:福島に十二支巡り花曇り帰る人あり帰らぬ人あり                

作り手の顔など知らぬマトリョシカ 流す血あらばみな赤いはず             

(千代:)ロシアのウクライナ侵攻と結び付けての歌と理解できますが、ここではマトリョシカの作り手を中心に詠んでいるのですか?話はそれますが、このマトリョシカは、こけしを真似して作られたのだそうですね。"こけし"は、"子消し"に通じていて、昔東北地方で、貧しいゆえに産室に屏風を逆さに置いてあったら、御産婆さんに"子を消してほしい"という意味で、無言のうちに子は消されてしまうということが、暗黙のうちに了解されていたそうです。御産婆さんはその手を切り落としたい思いで、子消しをしていたのでしょう。だから"こけし"には手がないという悲しい謂れがあるそうですね。そいうことも含めて、作者はマトリョシカを詠んだのかもしれませんね。今のロシアの若者の気持ち、戦争の意味など分からずに、戦地に派遣されて自分の尊い命をささげなければならないことの絶望感を詠みたかったのかしら?
(北里)お土産や民芸品など手が込んでいて立派な作品なのに誰が作ったのか分からないものが色々あるなと思った時、マトリョシカに心が留まりました。マトリョシカは血を流さないけれど作ってくれた人は血を流す、マトリョシカも心で血の涙を流しているかもと思いました。早く平和が戻ってほしいという願いを託しました。
(白樺)ロシアとウクライナの戦争が背景にあるお歌と思います。人間の血の色は皆な同じなのに国同士が血を流し合って戦っていることの無知と愚かしさを伝えるお歌です。
(深沢)手元にあるマトリョーシカはヒューストンに来て間もなくピアノを指導したロシア人のお子さんのご家族から頂いたものです。この歌を詠み再度、人形をまじまじと眺めてみました。マルティンが、日本の七福神の中でも豊穣の神である福禄寿の人形で、人形の中にまた人形が入っている、入れ子構造からヒントを得て工芸家に依頼して、大きさの異なる8つの木彫り人形を作り、1900年に開催されたパリの万国博覧会に出展して銅賞を受賞し名が広まり定着したものですね。綺麗な民族衣装サラファンで身を纏いスカーフで頭を巻いた、ロシアの農民の男性や女性の姿の裏にはいろいろな人生のドラマがきっとあったはずです。見かけで判断ができないことを再認識させられる1首です。

最終歌:作り手の顔など知らぬマトリョシカ 流す血あらばみな赤いはず             

深沢しの                                      

諄々と生きた証を刻むため詠まねばならぬ残された日々を                

 (千代)"詠まねばならぬ"がひっかかります。むしろ"・・・歌は詠みたし"のほう   が、似合っているように思います。                 
(白樺)諄々は難しい言葉ですね。詠まねばならぬを意思を表す助詞を使って 詠まむとして 諄々と生きた証を刻むため歌を詠まむか残された日々としてみました。
(北里)短歌は日記みたいな一面がありますね。短歌に向かう姿勢が素敵です。ストレートに短歌への思いが詠まれていていますが、それもまた良いと思います。

最終歌:諄々と生きた証を刻むため歌は詠みたし残された日々に                  

イエベ春吾を観察判断され良いか悪いかパーソナルカラー                

(千代)イエベとはYellow Base Colorのことらしいですが、誰に観察されたのか?(生徒です)良いか悪いかというのは、似合うか似合わないか、ということですか? (後者です)

(白樺)イエベ春 が分かりませんでした。観察 判断は大掴みな観念語ですので細かな具体に置き換えるなどすると歌としての余韻がでるようです。         

(北里)面白い内容を歌にしましたね。美容部員の人とかに言われたのでしょうか。イエベ春は可愛い、エネルギッシュ、若々しい雰囲気の人で、上戸彩タイプとありましたから、「良いか悪いか」だと戸惑っているような感じですが、素直に喜んでもよいのではと思いました。                                     


最終歌:イエベ春吾を観察判断され良いか悪いかパーソナルカラー              

ISS何時通過と思いつつ空を眺めて楽しむ花曇り                   

(千代)この歌は夜の光景ですか?それとも昼の光景ですか?(昼です)夜だとすれば、花曇りはないと思いますし、昼だとすれば、花曇りは薄っすらと空が曇っている状況ですから、空を眺められないと思うのですが、もしかしたら、眺めらなくても、今ここいら辺を飛んでいるのかな?という想像をめぐらしている歌ですか?               
(白樺)”ISS" をスペルアウトすると分かり易くなるのでは。               
(北里)ISSは札幌では今なら夜中の3時頃に見られるようです。通過時間は別としてISSを想像して曇り空を楽しんでいるというのは、とても良い切り取りと思います。花曇りで見えないけれど今通過中、と状況をしぼると詩情がより膨らむと思います。         

題詠最終歌:ISS何時通過と思いつつ空を眺めて楽しむ花曇り                   

白樺ようこ                                     

早朝に飛び起きリュックを点検す今日のウォーキングは坂多き街              

(千代)いいと思います。作者はよく外歩きや登山を楽しむ人なのですね。羨ましい限りです。                                
(北里)ハイキングやウオーキングなど、歩くのがご趣味なのですね。わくわく感が出ています。少し報告的な印象を受けました。                       
(深沢)日課のように健康に留意しながら趣味を楽しまれているのでしょうか。慌てて出発前の点検が行われている様子が伝わってきます。ヒューストンは起伏の無い町なので、ついついサンフランシスコを思い浮かべて読んでいました。                 

最終歌:早朝に飛び起きリュックを点検す今日のウォークングは坂多き街              

七マイル歩きて汗かく花曇り一息つきて市街を望む                    

(千代)引っかかるところは何もない歌ですが、ああそうかの歌になってしまっているように思います。                                 
(北里)下の歌にあるクイーンアンの丘からの展望でしょうか。「花曇り」を何と結び付けるか、「汗」よりは望む「市街」の景色と結びつける方が空の様子としては良いのでは。いづれにしても1万6千歩くらい歩いたのでしょうか、結構な距離ですね。
(深沢)10キロ以上歩くとは素晴らしいですね。一体何万歩になるのでしょうか。晴天であれば少し暑すぎるかもしれない中、花曇りが助け船を出してくれたのですね。健康に留意されながら短歌を詠めるとは充実された日々を送られていられますね。

 題詠最終歌: *花曇りの市街を望む丘の上歩け歩けと七マイルの道                     

手入れ良き瀟洒なつくりの豪邸を見惚れて歩くクウィーンアンの丘          

(千代)この歌も引っかかるところは何もない歌ですが、何か物足りない感じがします。
(北里)カタカナ表記は「クイーンアン」のようです。シアトルのダウンタウンの北西にある閑静なお屋敷街とのことで、ネットで写真を見ました。素晴らしい豪邸ばかりでした。確かに見惚れますね。                                
(深沢)スペースニードルにふもとから始まる丘なのですね。豪邸の前庭なども目の保養になりそうですね。                                 

最終歌:手入れ良き瀟洒なつくりの豪邸を見惚れて過ぐるクイーンアンの丘