担当:深沢
元歌 *赤茄子を詠ひて茂吉 新たなる短歌の域を押し広めたり
最終歌 *赤茄子に出会ふたびごと暗黙の中に茂吉の歌の顕ちくる
宇津木さんの歌の中に出てきた茂吉の歌「赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり」は茂吉の処女作歌集『赤光』に収められているものです。なぜこの歌に興味を引いたかというと、夏にトマト作りに挑戦したからです。
現代風にこの歌を訳すと「トマトが捨てられ腐っているところがあり、そこから幾程もない歩みをして、それが妙に心にかかっている」となります。
トマト(赤茄子)が腐って捨てられたところを見てから、どれほど私は歩いてきただろう。どれほども歩いていないことよ……。この歌をあえて散文に訳すとこのような意味にもなるでしょう。
トマトを漢字で書くと蕃茄(ばんか)小金瓜(こがねうり)唐柿(からがき、とうし) 珊瑚樹茄子(さんごじゅなす) 赤茄子(あかなす)の5つの表記があります。赤茄子は、その形と色に着目してそのように呼ばれています。
一体、斎藤茂吉はいつトマトを初めて食べたのでしょうか気にかかりました。茂吉が赤茄子と詠んだ大正二年頃は、きっと横目でみていただけでしょう。
「さ庭べにトマトを植ゑて幽かなる花咲きたるをよろこぶ吾は」『つゆじも』と詠んだ時は大正6年から11年であったので、この時点でもきっとトマトは食べていなかったはず。
大正10年から13年までウイーンとミュンヘンに留学していた時は、さすがにトマトを食べていたことでしょう。留学中の歌がまとめられている『遠遊』の中に「寺々もいそぎまはりて郊外はトマト畑にほそ雨ぞ降る」とあります。
<合評>
(北里)トマトをあえて「赤茄子」と使うからにはそこに理由や意図がないと意味がないと思いますが、私には難しいことで単にトマトの言い換えで使いました。その点、この歌は見事に成功していて素晴らしいと思います。茂吉の赤茄子の歌は新しい手法の歌としてその影響など含めすでに色々な人が解説しているので、後半は自分にひきつけて詠むと良いのではと思いました。(千代:赤茄子に出会うたびごと暗黙の中に茂吉の歌の顕ちくる と詠んでみました)
白樺: 茂吉の赤茄子の歌はまだ読んでいないですが探してみます。
(深沢)茂吉の赤茄子を参考にして今月の題詠にしてみました。茂吉のことを引き合いに出して頂け嬉しくなった一首です。
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