担当 深沢
今月は宇津木千代さんの歌を選らばせてもらいました。
コロナ禍のため自粛が長引き、自宅で心の休まりどころと言えばレスキューした小型プードルです。自分にとっては2匹目の雄犬となりますが、優しい犬ですが一歩外に出ると献身的に自分を必死に守ってくれます。男性に虐待されて家族から捨てられた過去があるのに、今では警戒心もとれ私を信頼してくれています。
動物と人間の関係は言葉に表せない部分も多くあり、野生の鹿の親子であればなおさら、子供を危険な場所にさらしてはいけないという母性本能が強くなり警戒心が一層高くなります。
同じ場所で人間に見られていることは感じているはずなのに授乳を中断しない母鹿、見ている人間は鹿の親子に危害を加えることはないということを悟ったのでしょう。作者と目が合っても授乳を継続する母鹿の強さと人間をへの信頼に心が和まされました。
(原歌)立ちしまま授乳をしゐる母鹿の目と裏庭の吾の目が合ひぬ
(北里)警戒心の強い野生の動物が人間の目の前で授乳をするというのは、めったに見られない光景かと思います。鹿は人間に見つかっても直ぐには授乳を止めなかったのでしょうか。それともすぐその場を去ったのでしょうか。目が合ったという一瞬を切り取っていて臨場感がありますね。その後の情報が入るとその場の緊張感がさらに伝わるように思います。(千代:歌は一旦作者を離れたら、後は読者のものになる、ということが言われています。その歌はもちろんある程度熟練した歌でしょうが、歌には想像の余地が必要かと思います。31文字ではもちろんすべて言い尽くせませんので、読者も想像を駆使して読まなければならないと思います。想像の余地のない歌は面白みがないのではないでしょうか?・・・と言いつつ、この鹿は毎日家の周りに子供二匹を連れてやってきます。私の書斎の窓の前にある小さな空き地は昼寝の場所になっているらしく、そこにどっかりと親子だ座り込みます。鹿の去った後には、ウサギやらリスやらが来て遊びます。長い間私は見惚れています。この日は、パティオの椅子に座っていた私にしばらく気付かなかったのでしょうね、突然気付いたようですが、動かないまま授乳続けていました)
(白樺)一瞬のほほえましい状況の切り取りでよいと思います。鹿と人間、母親同士で心が通い合ったのかもしれませんね。裏庭に作者が居て鹿も裏庭に居たのでしょうか。
(深沢)吾が は省いても良いと思います。目と目が合った時間とか場所を入れても良いのではないでしょうか。自然に囲まれていて羨ましい限りです。(千代:ここは工夫したところで、“裏庭の吾の目”というところ、吾は省けません。こう表現することで、鹿が人家の近く、あるいは裏庭で授乳している、ということを読者が理解できると思います。)
(最終歌)立ちしまま授乳をしゐる母鹿の目と裏庭の吾の目が合ひぬ
0 件のコメント:
コメントを投稿