2014年10月31日金曜日


担当:北里                                                                            原歌;向島の萩のトンネルくぐり行けば晩夏の陽射しのゆうらり透ける                                                                      
10月はオノマトペを題詠としましたが、出題しておきながら自分で思っていたより大変で苦戦しました。中井さんには「オノマトペのある短歌」ということでインターネットから歌をいろいろと紹介して頂きましたが、その時の中井さんのコメントに、“実際にあるものをそのまま使ったのでは創作として芸がないということがわかる”とありました。同感です。メンバーのみなさんは果敢に挑戦していたと思います。   今回は白樺さんの歌を取り上げました。自分の中でオノマトペが一番しっくりきましたし、「ゆうら透ける」という表現がきれいだと思いました。「萩のトンネル」は白樺さんがメールしてくれた写真で初めてみましたが、本当にトンネルになっていて驚きました。「時」はひらがなにした方が見た目、「晩夏」にスムーズにつながるように思いましたが、どうでしょうか。オノマトペを効果的に使うとなると本当に難しいもので、宇津木さんにはオノマトペに関する河野裕子の講演記録、萩さんには川野里子さんのエッセイからオノマトペに関する一節を紹介して頂き、それもまた良き学びの機会となりました。
<合評>                                                        (萩)後半がいいと思います。“くぐり行けば”ですが少し説明的な感じがするので“くぐる時”ではどうでしょうか。また4句と結句を入れ替えて“、、、くぐる時ゆうらり揺れる晩夏の陽射し”とするとより結句として納まりがいいように思いました。                                                              (千代)最初、“萩のトンネル”とあったので、そのような名前が付いたトンネルがあるのかと思いましたが、“萩”という花のトンネルのことですね?萩はトンネルを作るほど背が高いのですか?“萩の群(むら)々過ぎゆけば”では、違いますか?                                                                                                (中井)萩のトンネルって良いですね。私も宮城野萩が大好きです。「行けば」の「ば」は無い方がいいのと、「陽射しの」の「の」も無い方がゆうらりのリズムに乗りやすいと思います。「向島の萩のトンネルくぐり行く晩夏の陽射しゆうらりと透け」敢えて言いさしの形にして、余韻を・・・。                                                                 (北里「くぐり行けば」の)字余りが気になります。「萩のトンネル」とは素敵ですね。萩は秋のイメージですが、実際に晩夏に咲いていたのでしょうね。「ゆうらり透ける」がいいと思います。
最終歌;向島の萩のトンネルくぐる時晩夏の陽射しゆうらり透ける

2014年10月1日水曜日

2014年9月 短歌と合評

担当;萩洋子

今月は私自身が挑戦したく枕詞を使うというテーマを提案しました。そうでないと枕詞を使って短歌を作ることは先ずないだろうと思ったからです。しかし実際に考えてみるととても難しく提案したことを後悔するほどでした。残念ながらこのブログに取り上げるのは一首だけですが、皆さん苦労された様子が伺えました。中井さんが「枕詞の必然性がないままに使わざるを得なかった歌も多かったように思います。」と講評に書き添えておられましたがそれも頷けます。満足のいく歌ができたかどうかはともかく「枕詞」に関しての知識が増えたことだけは間違いありません。
北里さんの一首をご紹介します。枕詞といえば私の中では不動の位置を占めている「たらちねの母、、」多くの人が懐かしいような切ないような気持ちになるのではないでしょうか。最終歌では結句を結論付けず読者に想像を残すような言葉選びがされていて余韻が深くなったように感じます。

(出詠歌) たらちねの母と呼ばれることもなくも師と呼ばれしや生きる糧とす          (萩)踏み込んだ内容の一首ですね。結句の“生きる糧とす”と言わないで、それを感じ取れる言葉にすると結句の重みが増すと思います。                                                                        (千代)己の内側に踏み入った、北里さんだけに作れる歌ですね。このような歌がやはり読者の心を動かすのです。ただ、残念なことに、結句で総纏めの結論を言ってしまっているのです。このようなことは、読者が想像する余地を残すべきなのです。ここまで言ってしまうと、読者はこの歌に参加できないのです。例えば「・・・・・こともなく師と呼ばれつつ20年過ぐ」とすれば、あとは読者が想像してくれます。歌はこのことがとても大切に思います。余計な自分の意見は邪魔になるのです。  (中井)「師と呼ばれし」では過去形になりますので、「母と呼ばれる」に合わせて「呼ばれゐて」としたいですね。                                                                                                                                  (白樺:作者の存在感もあってよいと思います。二度ある「も」を一つ削って「・・呼ばれることなくも」として下の句を「教師の道を生きる糧とす」としてみました。

(最終歌)たらちねの母と呼ばれることなくも師と呼ばれつつ三十五年