2013年10月30日水曜日

十月の短歌と合評



担当:北里

今月は宇津木さんの歌を取り上げます。10月の題詠は「葡萄」でした。

原歌;花も実も付けず葡萄の木十余年今年もしみらにしらっと葉揺らす

宇津木さんの原歌にある「しみらに」という言葉は、今ではあまり使われいない言葉です。私も最初「しみらに」の意味がわかりませんでしたので、辞書を見ました。言葉一つが分からずに歌が理解できないというのはさみしいことだと思いますが、その言葉の意味が分かると目の前がパッと開けた感じがしましたし、「しみらに」という言葉には何とも言えない味があり、その言葉が醸し出すものが歌にインパクトを与えているように感じました。最終歌は分かりやすくなりましたが、「しみらに」という言葉がなくなってしまい、ちょっと残念な気もします。歌作りにおいて、古い言葉の個性を生かすか、読み手の理解を優先するか、難しい選択だと思いました。
                                                       (萩)声に出して読むと前半が少しリズムが詰まった感じがしました。少し言葉の順序を替えて〝十余年花も実もつけぬ葡萄の木 今年も終日しらっと葉揺らす″と考えました。(千代:そうですね、何となくリズムがよくない、と思っていました。しみらに は、ここでは、葉がびっしりと、という意味につかっています。葉ばかり茂らせて、育てている私の気持ちも知らず、実を付けない葡萄を非難しています。もともと“しみらに” の “しみ”には、葉がびっしりと繁る、という意味があります)

 (中井)実を付けない葡萄、どうしたことでしょうね。7年目の我家のデラウェアはたっぷりと実を付けてくれました。「葡萄の木」と言わずとも「葡萄」で十分に伝わると思います (千代:ここは、木が問題なので、木は、入れたいところですね。ところで、葡萄には特別な肥料が必要なのですか?)

(白樺:「しみらにしらっと」がよく分かりませんでした  (千代: 萩さんへの返答を参考にして下さい。 でも、言葉が古いですかね?考えてみます。) 

(北里)実も花もならないブドウとは、きっとそういう種類なのではないかと思います。「しみらにしらっと」がよくわかりませんでした。

(もも)「しみらに」は、調べてみると「連続して」という意味なのですね。花も実もなき葡萄の木・・・とつなげてもいいかなと考えてみました。

最終歌;十余年花も実もつけぬ葡萄の木 今年もしらっと繁き葉揺らす

2013年10月6日日曜日

九月の短歌と合評

 担当:白樺


今月の一首は泰いずみさんの以下の歌を選びました。

刺し子さす時の間こそは吾の癒し閉ざされし壁に風穴の開く

 
この歌を選んだ理由は、自分の心象風景を短歌にするのはなかなか難しく、心の中をはきだして歌にするということは勇気がいることと思ったからです。
いずみさんのこの歌は「閉ざされし壁に風穴の開く」という表現で素直に自分の気持ちをはきだしています。初句の「刺し子さす」で、作者はきっと手芸やものづくりが好きな人ではないかと想像もできます。同時にこの作者の日常生活において何らかの圧力や困難があり、
それでも自分自身の為に楽しめる時間がもてているということにいくばくかの安らぎを読者は共有できます。
生活詠はとかく表面的になりがちですが、心の底を素直に歌にするということにチャレンジされたところがよかったと思います。

萩)気分転換できる何かは絶対に必要ですね。〝刺し子さすひと時だけは癒やされて~“と考えました。
(千代)少なくとも“刺し子”という、心を鎮めることのできることがある、ということは救いですね。                   
(白樺:最初の句と同様に作者の存在感があってよいと思います。下の句と上の句がはっきりしていて詠みやすいです。)                                                                     
(北里)目の付け所がいいですね。無心になって何かに打ち込むとストレスも吹き飛ぶような気持ちになれますね。「時たつを忘れて刺し子さす吾の心に癒しの風の吹きいる」としてみました。                        
(中井)とても気持ちが伝わって来る歌です。「時の間こそは吾の癒し」良いのですが、ゆったりした時の感じを出したいので「時の間(はざま)に癒されむ・・・」としたら軽すぎますか?                             
(もも)上の歌のあとにこの歌なので、状況がよりわかりました。「刺し子するときはわが身を癒すとき閉じた心に開いた風穴」などと考えてみました。