2023年8月28日月曜日

2023年8月 E メール短歌会  題詠「馳せる」

赤:講評 
紫:作歌者の応え 
青:講評を参考に推敲した最終歌


 北里かおる

 好きなだけ伸びていいよと言えなくて胡瓜の新芽摘んでしまいて 

 (千代) 結句“しまいて”は、促音になるはずで、“しまって”が普通使われます。先日も新聞記事で、犬が認知症になり、夜中になき止まないので、近所から苦情がたくさん来て、老いた未亡人の方はその犬が唯一の肉親のように可愛がっていたので、殺処分はとても出来なくて、獣医師に声帯を取って貰ったという哀しい記事を読みましたが、ある意味この歌にも通じるものを感じました。結句は“しまった”“しまう”“しまいぬ”とかが入れ替えられるかな?(北里)過去形は「しまいし」になるのかと思ったりしましたが、「しまいぬ」になるのですね。口語で統一します。
(千代:過去形の終止形は“しまいき”です。“し”は過去の連体形です。“しまいぬ”の“ぬ”は、完了形です。 (白樺)本当は胡瓜の葉をもっと伸ばしたかったのだが間違って新芽を摘んでしまったのか、あるいは他の胡瓜の実を大きくするためにわざと新芽を摘んだのですか?伸びていいよ言いたかったのだが新芽を摘んでしまったのでという意味でしたら、三句目を「・・伸びていいよと言いたくも・・」結句を「・・摘んでしまいぬ」ではどうでしょうか。 (深沢)きっと正枝のために双葉を摘まれてしまったのでしょう。自分の思いと違う行動に出て閉まったことを詠まれてたのですね。

好きなだけ伸びていいよと言えなくて胡瓜の新芽摘んでしまった 

 *皆のいたあの日へ思い馳せながらもう一つ灯す線香花火 

千代)四句目“灯す”でもいいのだとは思いますが、私の感覚ですと“灯す”は静かな中で、静かに火が揺らめきながら点く、という感じなのですが、線香花火ですと“灯す”という感じではなく“点ける”という感じですが、如何でしょうか?北里)確かにそうですね。 
白樺)夏の風物詩の線香花火とお盆の時期でもあり先祖を思う気持ちが伝わります。 
(深沢)線香花火は、火をつけてから火の玉が落ちるまでに燃え方が違い、繊細さや儚さがきわ立つ中、表情豊かですね。幼少の頃から彼岸花を想像させてくれていました。花火をするということはこの数十年無いので懐かしく昔を偲びました。
北里)蕾⇒牡丹⇒松葉⇒散り菊 氷玉の移ろいの名前です。 

 *皆のいたあの日へ思い馳せながらもう一つ点ける線香花火 

 炎天の静寂破りサイレンは馳せてゆくなり一陣の風 

千代)一首題詠はあるので、サイレンが馳せるよりも、走るとしてはどうでしょうか?「・・・・サイレンは一陣の風残し走り行く」と。(北里)そうですね。「走る」で十分ですね。「一陣の風」は通り過ぎてしまうので、残らないのではと思います。いずれにしても、結句は付け足した感じが気になっていました。
(千代:ここで使っている一陣の風は、救急車が通り抜けることによって、起こされた風のことでしょ?わたしはそう取りましたが・・・すると“風を残し”でもいいのでは? (白樺)外は炎天下で静まりかえっている中を風を切って救急車?のサイレンが通り抜けていく情景。「炎天下の静寂破り・・」ではどうでしょうか。北里)正しくは「炎天下」ですよね。自分としては「炎天の静寂」と、焼け付く空を前に出したかったので、微妙なニュアンスの違いに悩みました。 (深沢)救急車、消防車、パトカーなどのサイレンが通り過ぎていく様子が、今夏の酷暑の中でよく詠われていると思います。 

 炎天下静寂破るサイレンは一陣の風吹き抜けるごと 

 宇津木千代 

 チャップリンのサイレントムービー観るに似て 会話なき病む夫との食卓 

 北里)人には分からない介護の心情を垣間見る歌です。白黒の音無き世界を見せることで、字余りでリズム崩れますが、苦しい胸の内が伝わってきます。チャップリンということで喜劇に見立てているのが切ないです。「病む夫との会話なき食卓」がすんなりきますが、「会話なき夫」を強く言いたいのかもしれません。「観る」も省略可能ですが、自分たち二人を客観的に観ている自分がいて、詠み手にとっては大切な一語なのだと思います。(千代:まさしく、そういうことです) 白樺)夫婦の食卓を囲む情景をチャプリンの無声映画に例えたところが面白いと思います。長年連れ添ったご夫婦は言葉に出さなくとも「ああ、うん」でどこか通じ合うことができるのでしょうか。どちらかが病で特に会話が少ない食卓に悲哀が漂います。 (深沢)心の痛む1首です。食を共にする人が側にいるのに、無言で会話の無い食卓であるとは何と哀しいことでしょう。読み手に1語1語が沁みる歌だと感じます。
 
チャップリンのサイレントムービー観るに似て 会話なき病む夫との食卓 

  家中の寝静まるを待ち躍り出すAB型の吾のBタイプ

(北里)面白い切り取りです。血液型占いはアメリカ人はあまり関心がないと聞きますが、日本人は好きです。B型といえばマイペースなイメージが強いですが、調べたら、迷うより先に行動、夢中になる、常に前へ前へ、などが挙げられていました。「タイプ」ではなく「血」が躍り出す、とするとよりはっきりするのではと思ます。「吾のBの血は(や)」とか…。千代:血という言葉をあまり使いたくなかったのですが、三句目に“躍り出す”とあるので、吾のBの血が とした方がいいかもね) (白樺)作者の血液型はAB型なので臨機応変にA型とB型を使い分けているところが面白いですね。 (深沢)自分自身をよく観察されておられるのですね。愉快な切り取りなので自分の血液型についてももっと調べて、行動が伴っているかを考えたくなりました。

家中の寝静まるを待ち躍り出すAB型の吾のBの血が 

 *夕焼けに惹かれ車馳す アクセルを踏み込み明日を追ひかけようと 

 (北里)「車馳す」と「アクセルを踏む」は合わせて「夕焼けにアクセル踏み込み車馳す」とすると「馳す」がより生かされて良いのでは。結句の「追いかける」行為が「惹かれ」る気持ちを表しているので、なくても良いかと思います。(千代:この歌は二段階になっています。まず、夕焼けに惹かれて車を駆り、そうだ明日を追いかけようとアクセルを踏み込むのです。最初からアクセルを踏み込む分けではないのです。) (白樺)「明日を追ひかけ」が詩的です。題詠が「馳す」なので「車馳す」なのでしょうが、「アクセルを踏み込み」と重複しているような感じです。「夕焼けに惹かれアクセル踏み込みて明日を追ひかけ馳せてゆく」とか。 (深沢)自然の中での綺麗な夕焼けだったのでしょう。そのままアクセルを踏めば未来があるという思いで、踏み込んだことを詠まれたことと思います。 

 *夕焼けに惹かれ車馳す アクセルを踏み込み明日を追ひかけようと 

 白樺ようこ 

 *灼熱の八月の空のふるさとに思いを馳せる原爆記念日 

 (千代)初句を二句目と入れ替えて、“思い”を憶ひとして、「八月の灼熱の空のふるさとに憶ひを馳せる原爆記念日」としてみました。ただ初句から四句までが、原爆記念日を修飾する連体修飾語となり、散文的になってしまいますね。  (北里)式典をTV視聴し私も黙祷しましたが、遠くアメリカの地にても思いは同じなのですね。「八月の空」で切って後ろの「の」は省略すると良いのでは。詠み手の頭上にも故郷へつながる青空が見えてきます。先日、ロンゲラップの人々の苦しみを、TVで初めて知りました。かつての核実験でも多くの人の人生を狂わせているのですね。胸が痛くなりました。 

  *八月の原爆記念日巡り来て憶ひを馳せるふるさとの空へ 

 八月の亡父の命日巡りきて戦に散りし命と重ぬる 

 (千代)結句が連体形で終っていますね。終止形は“重ぬ”ですが、連体止めにしたのには意味がありますか?(白樺:文法の間違いです。)

八月の亡父の命日巡りきて太平洋戦争(いくさ)に散りし命と重ぬ 

注:”太平洋戦争”は朗詠する時は ”いくさ” と詠みたいと思います。) 

 ハイキング時速二マイルに追いつけと息切らし歩むニア山麓 

 (千代)結句はレニアのタイポ?(白樺:タイプミスです。)時速二マイルを出しているのは何なのですか?(白樺:ハイキンググループのハイカー達です。) (北里)1時間で約3キロを進むのは、早歩きを続ける感じなのでしょうか。追いかけているのは、人ですか、それとも雲かしら、ちっと謎かけされた感じです。人だとしたら競争でもないのになぜ追い付かなければならないのか、ゆっくり歩いてレニア山麓まで、でもよいのでは、と考えてしまいます。白樺:グループでの山歩きは速すぎても遅すぎても自分勝手の速度で歩くと道別れしているところがあるので道に迷ったり、最悪の時は遭難したりすることがあるのでお互いに見失わない程度の距離を保って歩くのです。) (深沢)何を追いかけられているのでしょうか。健康のため楽しむためのハイキングなのですが、これは競技の1部であり4,そのために追いかけようとされているのでしょうか。

ハイキング時速二マイルに追いつけと息切らし歩むレニア山麓 

 深沢しの

 仲良しの証のごとく連弾に揺れる二つのポニーテール 

 (千代)いいですね。このごろの視点、感性が自然に表現されていてとてもいいと思います。 (北里)愛らしい切り取りです。連弾の二人の少女のポニーテールがゆれているのが目に浮かびます。「証のごとく」が良いと思います。 (白樺)下の句の具体的な描写が良いと思います。 

 仲良しの証のごとく連弾に揺れる二つのポニーテール 

 性格の詰め替えパックがあるならば優しさがかなり減ってきており 

 (千代)この歌の視点もいいですね。「性格の詰め替え予備があるならば交換時なり 優しさ減りぬ 」としてみました。 (北里)こちらも楽しくて面白い切り取りです。詰め替えパックを取り換えることに言及する必要があると思うので、「が」をとって、「優しさの詰め替えパックあるならば取り替え急務かなり激減」とか。 (白樺)上の句「・・パックがあるならば」の仮定的表現を「性格の詰め替えパックの優しさはひとつふたつと減ってくるなり」としてみました。 

優しさの詰め替えパックあるらば取り替え急務かなり激減 

 湯の中でふと口ずさむミルクムナリ エイサーの基本に思いを馳せる 

 (千代)基本ということで、言いたいのは、沖縄の歌と踊りの発祥のことですか? (北里)「ミルクムナリ」は、ほとんどの人は知らないと思うので注をつけると良いのでは。ネットで見ましたが、見ごたえがあり、切れが良くて、とても素敵でした。エイサーをなさるとは、行動範囲が広いですね。「エイサーの基本」はネットを見ると隊形のことなどでしたが、この歌では何のことなのかしら。「湯の中」は省略しても良いと思うので、その字数で読み手にも、もう少し分かるような内容を加えると良いと思います。 (白樺)「ミルクムナリ」は沖縄の踊りですね。ミルクムナリは観たことがありませんのでインターネットの動画で観てみました。勇ましい踊りですね。踊りの動作とか音の特徴が歌で表せると良いと思います。 

 *エイサーの太鼓響きて盆来る 思いを馳せるミルクムナリ






2023年8月4日金曜日

2023年7月 Eメール短歌会 題詠「月旅行」


赤:講評
紫:作歌者の応え
青:講評を参考に推敲した最終歌


宇津木千代

  便 に満 ちて 便 り 盲  
                                                                                                                                はなわ  ほきいち

(深沢)三重苦のヘレンケラーが心の支えとしてきた方で、障害を克服し、希望を持ち生き、努力する意義を人々に教えたのですね。
携帯の指紋認証が顔認証になり、コロナ禍でマスクをしているときは不便でした。便利になることが本当にいいことではなく、不便だからこそ自分事にできるのですね。
(北里)塙保己一さんの「暗くなると書物が見えないとは、目が見えるとはなんと不便なものか」という言葉が土台になっている歌ですね。ヘレン・ケラーは両親に「塙保己一を手本にしなさい」と言われていたようです。偉大な人なのですね。最近は「不便益」が注目されているとのこと。色々と勉強になりました。作者はどのような場面で便利が不便と感じたのでしょうか。
(
白樺)目が見えない故に見えるものもある、不便さが便利になることもあるということを塙保己一という人物を通じて伝わるお歌です。

便 に満 ちて 便 り 盲  

病状を夫の係り医に告げるべく和英辞典をめくる夜さりに

(深沢)医学用語はやはり難しい部分がありますね。すうーっと詠んで理解できる1首だと思います
(北里)例えばチクチクなのかズキズキなのか、自分の病状を日本語で説明するのでも大変なのに他の人の、それも英語で、となると、本当に一仕事ですね。語順ですが、「かかり医に夫の病状告げるべく」が自然では。「かかりつけ医」は漢字で「掛り付けの医者」なので「掛りつけ医」でしょうか。ひらがなで「かかり医」で良いようです。(千代:日本語では係り付け医なのですね。舌がこんがらかってしまうようなので、ファミリードクターとして、夫を省きます。私自身のことでもいいわけですから)
(白樺)母国語圏以外に住んでいると何かと言語上のもどかしさを経験することがあります。医療関係など特に気を使うこともありますね。

病状をファミリー・ドクターに告げるべく和英辞典をめくる夜さりに

*幼き日マンガの中に夢見たるよもやの月旅行 うつつとなりぬ

(深沢)科学は進歩を遂げ、民間企業でも月に人間を送れるのですね。こういうことは、やはりお金が全てを左右する でしょうか。少し悲しい現実です。
(北里)鉄腕アトムもビックリですね。ただ庶民には高値で手が出ません。前澤さんの12日間の宇宙滞在費用は一人50億円と言われています。それでも世界からは600人くらい応募があり、日本人も20人くらいいるそうです。「よもや」は副詞になっていましたが「の」をつけて使うことができるのですね。(千代:よもやの起こりえないとかの言葉が省略して使われています。歌ではよく言葉が省略されて表現されていますが、そこは読者が補って読んで理解をすることが通常です)

(白樺)月に幻想世界を広げた昔も遠のいて月旅行が一般人にも可能な時代となりました。人間の尽きることのない好奇心は目を見張るばかりです。

*幼き日マンガの中に夢見たるよもやの月旅行 うつつとなりぬ

北里かおる

*黒猫と箒にのって月旅行サマンサお願い鼻ピクピクで

(千代)魔法使いの少女サマンサが大活躍した時代を生きていないので、よく物語は分かりませんが、サマンサが鼻をピクピクすると、何か魔法が使われて、願いが現実化するのですか?(北里: そうです。「奥様は魔女」のサマンサです。見たことないですか?放送時間が遅く、小学生だったので見せてもらえなかった思い出が。再放送を何度か見ました。日本では再放送されています。またニコール・キッドマンがサマンサ役で映画にもなり見ました。鼻をピクピクさせて魔法をかけますが、私にとっての月旅行はまだそのくらい夢物語の感覚なのです。ドラマの最初にそんな漫画の映像があったような)
(深沢)とても愉快な切り取りで、永続を懐かしく思いました。宇宙服も宇宙船もコンピューターもいらず、鼻の操作で月旅行に行けるのなら、私も鼻を動かします。
(白樺)結句のオノマトペが面白いですね。箒に乗って月まで連れて行ってとサマンサに作者がお願いしているのでしょうか。(北里: そのつもりでしたが、分かりずらいようですね。この度は想像していただくことでご勘弁を)

*黒猫と箒にのって月旅行サマンサお願い鼻ピクピクで

(千代)ブランコは英語でSwingなので、ここでは、ただ漕げば(すいんぐすれば)というよりも名詞扱いにして、スイングに乗ればとしてはっきりさせたらどうでしょうか?結句は名詞止と木漏れ日ゆれると、どちらにブランコでスイングした感じがでるでしょうね?(北里: スイングには色々な意味がありますが、ジャズの演奏ではリズム独特の「揺れ」を言います。演奏者が、時に聴き手も、リズムをとる揺れです。外来語化し「スイングする」と使います。「札幌シティジャズ」の夏のイベンドで「パークジャズライブ」というのがありました。)
(深沢)COVIDの時はZOOMのクラスで生徒がダンス部を作った時に顧問をしていたので、週1回ダンスを習いに行っていました。殆どの踊りがKPOPの踊りでしたが、何か質問があった時に答えられな千と困ると思い、楽しみながら踊っていました。現在もダンスのクラスにも行きますが、スイングはまだ躍ったことがないので興味深く詠ませて頂きました。嘸かし綺麗な情景でしょうね。(北里: 踊っておられるとは素敵ですね。ここではスイングダンスのことではないのです。)
(白樺)ジャズに合わせて体を動かして(スウィング)している情景で木陰の涼しさも伝わってくる動的な切り取りですね。

公園の緑の下にジャズを聴くスウィングするればゆれる木漏れ日

ますますに指の指紋の薄くなる新聞めくるその指先も

(千代)インターネットでの情報だと、歳をとっても指紋が薄くなることはないようですが、指にある脂が出なくなって紙などがめくれにくくなるようです。(北里: 携帯は顔認証ですが、iPadは指認証で、それが出来なくなって何年にもなります。乾燥でしょうね。医学的には指紋がなくなることなく、薄くなっても修復するとのこと。感覚的には加齢のような気がします。お茶の炭を手で洗う度、指紋消えそうになります。痛くてオロナインをずっと塗っていました。)
(深沢)水分や油脂の減少からでしょうか。指紋自体は加齢による劣化は殆どないと聞いたことがあります。利き手でない方の指を使用してくださいね。(北里: 指先の力が落ちているのでしょう、とにかく物をよく落とします。薄いものは指先の間からすべり落ちていく感じで、それが指紋が薄くなったからかも、という思いと重なるのです。)
(白樺)その指先もということで薄くなるのは指の指紋以外にもあるのでしょうか。あるいは指先自体も薄くなるということですか。(北里: どの指も指紋が薄くなる感覚がありますが、特に単なる紙ではなく「新聞」と言う情報媒体をめくる「その指先」という意味で、そこを強調しての結句でした。新聞を読む意欲も薄らいでいる昨今なので、自戒の思いも込めましたので、「も」はやめて絞り込みの表現に直しました。)

ますますに指の指紋の薄くなる新聞めくるその指先は

白樺ようこ

*月旅行できる世代も憧るるやも兎の餅つく満月見上げ

(千代)やもは、疑問や反語に用いますが、どちらの意味で使っていますか。(白樺:疑問の意味で使いました。)疑問にしろ反語にしろ、全体の意味に矛盾があるように思えるのですが・・・作者はどのような意味をこの歌に含ませたかったのですか?(白樺:月の表面に着陸できる時代になったけれども昔から人々の日常生活を潤わせてきた非現実的なものへの憧れから生み出される情緒とか想像力というものが保たれていくのだろうかという素朴な疑問です。)
(深沢)日本や中国では、月の海はウサギに見えるそうですが、ヨーロッパではカニ、アメリカでは女性の横顔に見えるようです。やはりウサギが食べ物に困らないように餅をついている、望月を見ることが、実際に月面着陸するよりかは情緒がありいいのかもしれませんね。
(北里)月へ旅行できる時代になっても人は満月を見てウサギに憧れる、かも、という内容でしょうか。「世代」がどの年代の人を指しているのか、このままだと誰が何に憧れるのか分かりづらいです。「やも」は言い切って良いのでは。

*月旅行できる時代も憧れるやも兎餅つく満月見上げて

日本名の残る林道ぬいて行く日系移民の生活(たつき)を偲び

(千代)ぬいて行くですが、古語ではぬひて行くだと思います。また、現代仮名遣いではぬっていくと、促音になりますね。古語での表記としては、を大文字にしてぬつて行くとなると思うのですが、如何でしょうか?
(深沢)日本名をそのまま表現しても良いのではないでしょうか。文字数が合わなかったのかもしれませんね。この林道はシアトルにあるのですか。(白樺:シアトルからフェリーで行けるベンブリッジ島にあります。大戦前から日系移民の多く住んでいたところと聞きます。)
(北里)日系移民の生活とは?林道と生活の結びつきが良く分からないです。何か具体があると良いのでは。林道の名前はどんな日本名?ネットで見たけど見つからなかったのですが、名前を出した方が伝わると思います。「縫いて行く」「抜いて行く」?(白樺:戦前から日系移民が農業に携わっていた土地でその後他の土地へ移ったのか今は公園のように森林になっていますmoritani-preserve

モリタニの名をつぐ林道ぬひて行く日系移民の生活(たつき)を偲び

心良き陽射しと潮風身にうけてフェリーで渡るベンブリッジ島めざし

(千代)表記ベンブリッジは、Ben Bridgeですから、Bainbridge島はベインブリッヂと表記されるはずです。心良しの表記は心好しで、意味は心に悪意がないことや、心が良いということで、気持ちがいいという意味の表現では心地よきとか、快き(こころよき)となると思います。歌そのものは、個性をあまり感じられません。誰が作ってもいい歌になってしまっている感じです。
(
深沢)心良き陽射しとは羨ましい限りです。ヒューストンは酷暑で車のダッシュボードでクッキーが焼けます。風を受けて心地よく時間が流れる様子が伝わってきます。
(北里)ベンブリッジ島への大型のフェリー、ネットで見ました。35分のクルーズ、気持ちよさそうですが、観光で行かれたのでしょうか。通勤している人もいるのですね。日系アメリカ人の歴史もあるとのことでした。上の句とかかわりがあるのかしら。「めざす」先の何かが見えると良いと思いました。

心地よき陽射しと潮風身にうけてフェリーで渡るベインブリッヂ島めざし

深沢しの

大切な人はつぎつぎいなくなり求めるほどに消える陽炎

(千代)三句目で居なくなると切って、一字空けて四句五句を付けたら如何でしょうか?
(北里)私も身近な人を送ることが続き、自分の残りの人生を考えることが多くなりました。「陽炎」に儚いものを追い求める姿が詩的です。両親とはゆっくりと別れの会話が出来なかったので、話せなかったことを色々思います。
(白樺)7月、8月は仏教では亡き人々を供養するお盆の季節です。目には見えなくなったけれども有縁、無縁の魂は今もずっと引き続がれて存在しているという法話を聞いてきました。


大切な人はつぎつぎ居なくなる 求めるほどに消える陽炎


道端の名もしれぬ草山野草 都会にあってはほそぼそひっそり
(千代)言わんとする意味は全体的に捉えられますが、草山野草 の意味が分かりません.(深沢:雑草と表現したくなかったので)例えば、田舎では名も知れない野草でも青々と堂々と道端を占めて生きているが、都会では・・・というように比較を用いて歌を詠むと、もっと意味深な、考えさせる歌になると思います。

(北里)「草、山野草」と両方を言いたかったのでしょうか。山野草は都会の道端には生えないのではと思いますが。単に「名も知れぬ草花」で良いのでは。
(白樺)下の句で「ほそぼそひつそり都会の道端に」としてみました。

道端の名もしれぬ草山野草 都会にあってはほそぼそひっそり

そんな日も来るかと己奮わせて 確率僅か月旅行かな

(千代)結句を、月旅行希(のぞ)む

(北里)月旅行はアメリカにいるとある程度現実味を帯びた話なのですね。自分が月旅行などとは、少しも感じられない自分としては夢があって羨ましい限りです。「奮う」は「勇気を奮って」「心を奮って」などと使い、ここでは「己を奮い立たせて」となるのでは。実現するか否か「確率」でまとめた使い方がおもしろいです。
(白樺)「確率僅かな月旅行へと」してみました。

そんな日も来るかと己奮わせて 確率僅か月旅行希(のぞ)む


8月「馳せる」宇津木 
9月「髪」北里
10月「もみじ」白樺
11月「シクラメン」深沢