2022年5月29日日曜日

5月の短歌と合評

担当:白樺ようこ

今月は宇津木さんの歌を選びました。

原歌:土なかで育まれたる茗荷の芽紅色の先ちよこんと見せる

最終歌:土なかで育まれたる茗荷はちよこんと見せる紅色の芽を

原歌と最終歌を比べてみますと、最終歌では上の句の三句目と結句に「は」と「を」の助詞が付けられています。助詞を付けることにより、意味的にはよりはっきりしましたが、散文的になってしまった感じもあります。歌としては上の句を体言止めにして一旦下の句と切り離すと落ち着きが出るようです。例えば「土なかで育まれたる茗荷の芽 ちょこんと見せる紅色の先」 原歌では「ちょこんと見せる」の結句が茗荷の芽が土から顔をのぞかせている可愛らしい状況が飛びこんきますが、最終歌では紅色の芽が強調されています。


(北里)芽の先は緑がかっているのではと思いましたが、紅いものもあるのですね。1,2句は茗荷にかかって説明となり、茗荷の育ち方を知らない人は理解が深まると思いますが、水栽培とかもあるのであえて表現しているのかと思えてきたりしました。(千代:茗荷の栽培はいつも失敗していました。ところが一昨年頂いた茗荷を湿っぽい家の陰に植えましたら、根付いて、茗荷が3個とれました。そこで今年は、ずっと雨ばかりで、寒さが続いていたのですが、ここ二、三日ようやっと少し暖かくなりました。そんな気候の中、茗荷の芽はまだかまだかと毎日毎日庭に下りて観ていましたら、ある日、小豆色の芽(やがて緑に変化します)が黒い土を破って、ちょこんと頭を持ち上げたのを見つけました。何という嬉しさ!生きとし生きるものの、特に生まれたての命を見るのがこんなにも感動的だとは、若い時には気付きもせず、過ごしていました)

(深沢)好物の茗荷がここではなかなか手に入りません。「ちょこんと見せる」が可愛い様子を物語っています。茗荷の色合いを表すのに的確な芽紅色という色があるのですね。(千代:茗荷の芽で、切ります。)

(白樺)「育まれし」と「育まれたる」の違いは?下の句を「ちょこんと見せる紅色の先」とすると茗荷の芽の先の紅がより鮮明に飛びこんでくるようです。(千代:たりは、長い間その状態が継続していた、という意味があります。は、過去の一時を表します。)


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