担当:北里
10月の題詠は「粒」でした。今回は白樺さんの短歌を選びました。
以前話題になった絵本『いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日』を思い出しました。命と食の関係が薄れていることが問題になっている昨今ですが、牛や豚などの動物だけでなく米や野菜も生あるものであり、その命を絶つことで人は生きている、ということを改めて思いました。食品ロスも問題になっており、特に日本は一人あたりの食料廃棄率が世界一といわれています。廃棄の量は莫大です。この歌は、命あるものへの感謝を忘れてはいけないことを、仏教行事の彼岸会を通して思ったことを詠んでいます。最終歌では「も」を加えたことで、意図する「命」の奥行き、幅が広がりました。
原歌:ひと粒の米に命の宿るといふをろがみ食す秋の彼岸会
<合評>
白樺ようこ
(千代)形式は整っていますし、ひっかかりなく読める歌ですが、こころに響いてくるものがないような感じがします。誰が作者であってもいい歌に思えます。 (北里)新米の美味しい時期となりました。『米一粒に7人の神様』という言葉があり、米一粒の尊さを言っていますが、それを思い起させる一首です。「命宿る」という言い方もあるのですね。「をろがみ」は「拝む」のことですが、「を」が正しい送り仮名ですか。(白樺:はい、旧かなで「をろがむ」で拝むことです。(助詞のようみ見えて「~というを」と続けて読んでしまいそうです。「彼岸会」というのがあるのですね。具体的にはとのような会ですか。興味がわきました。(白樺:”ひがんえ”と読みます。お彼岸の法要のことで終わってから会食が続くことがあります。)
(深沢)米粒1粒も本当に大事ですね。
最終歌:ひと粒の米にも命の宿るといふ をろがみ食す秋の彼岸会
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