2018年12月3日月曜日

2018年11月の短歌と合評

                                                                                                   
担当:深沢しの 
11月の題詠は「新幹線」で、今回は宇津木さんの短歌を選びました。
新幹線と言えば車窓から見える富士山、見逃すまいと適切な位置に座り、いつも構えて窓とにらめっこを重ねてきました。そんな情景をスパッと詠った歌だったのでこの1首を選びました。
 日本を訪ねる際にはJR PASSの新幹線を利用して安価で旅をさせて頂いていますが、ヒューストンーダラス間にも10年以内には新幹線が通るということで、テキサスにいてもとても新幹線に関しては興味を感じていました。ヒューストンのAMTRAKの鉄道の駅は日本の地方にももう無いよう旧式のもので、プラットホームと路面が同じ高さです。1日に電車が2回通過すれば良いほうで、時間も正確でないためいつ到着していつ発車するかもわかりません。新幹線が出来る頃には近代的なホームに変わるのだろうなと今から楽しみです。
 ヒューストンの路面電車は旧式の日本の新幹線のような形ですが、スーパーボールで人を裁くために出来た路面電車は開通した当時、最短期間で電車との事故数が全米の中でも最多でした。車社会のヒューストンでは、電車と車や人との事故が未だ絶えることがありません。新幹線の時間の正確さ、数分で行う清掃の見事さ、車内販売の食事、販売員の礼儀正しさ、駅の案内方法等、学ぶことが多い中、2020年のオリンピックでも日本において沢山の観光客も含め新幹線の利用者が増えることと思います。


原歌:東海道新幹線の車窓にも富士の山のみぞゆつたり居座る

<<合評>>
(北里)結句で、車窓では近くのものは飛んでゆくのに、遠くの景色は動かない様子を言いえていて、良い比喩と思います。「も」の使い方は難しいですね。ここでの「にも」の「も」は比べるものが、私にははっきりしないのですが、バスとか車とかの比較でしょうか。省いてもよいのではと思います。(千代)この“も”がこの歌の中心と言えば、中心なのです。31文字では理論整然とすべてを言い尽くせません。助詞や助動詞をつかって微妙な意味を表さなければなりません。読者はそこを捉えて想像を膨らませないと、歌は理解できないのではないでしょうか。俳句と短歌は違いますよね。短歌には作者の情を述べる77が加わります。ここの“も”には比べるものがない、と言うことですが、新幹線に乗っていると、窓に映るほとんどの景が飛び去って行きます。その景と動かない富士山を象徴的に対比しているのです。
(白樺) まわりは皆忙しそうで新幹線も時間に追われるように走っているが、窓から見える富士山だけがゆったりと居座っているという対照が面白い切り取りです。
深沢)富士山の豪快さをこのように結句で効果が出せることを学びました


最終歌:東海道新幹線の車窓にも富士の山のみぞゆつたり居座る






2018年11月10日土曜日

2018年10月の短歌と合評



担当:北里                                                                                                              
10月の題詠は「粒」でした。今回は白樺さんの短歌を選びました。
以前話題になった絵本『いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日』を思い出しました。命と食の関係が薄れていることが問題になっている昨今ですが、牛や豚などの動物だけでなく米や野菜も生あるものであり、その命を絶つことで人は生きている、ということを改めて思いました。食品ロスも問題になっており、特に日本は一人あたりの食料廃棄率が世界一といわれています。廃棄の量は莫大です。この歌は、命あるものへの感謝を忘れてはいけないことを、仏教行事の彼岸会を通して思ったことを詠んでいます。最終歌では「も」を加えたことで、意図する「命」の奥行き、幅が広がりました。

  原歌:ひと粒の米に命の宿るといふをろがみ食す秋の彼岸会

<合評>         
白樺ようこ
(千代)形式は整っていますし、ひっかかりなく読める歌ですが、こころに響いてくるものがないような感じがします。誰が作者であってもいい歌に思えます。        (北里)新米の美味しい時期となりました。『米一粒に7人の神様』という言葉があり、米一粒の尊さを言っていますが、それを思い起させる一首です。「命宿る」という言い方もあるのですね。「をろがみ」は「拝む」のことですが、「を」が正しい送り仮名ですか。(白樺:はい、旧かなで「をろがむ」で拝むことです。(助詞のようみ見えて「~というを」と続けて読んでしまいそうです。「彼岸会」というのがあるのですね。具体的にはとのような会ですか。興味がわきました。(白樺:ひがんえと読みます。お彼岸の法要のことで終わってから会食が続くことがあります。)
(深沢)米粒1粒も本当に大事ですね。

最終歌:ひと粒の米にも命の宿るといふ をろがみ食す秋の彼岸会

2018年10月9日火曜日

2018年9月の短歌と合評

担当:宇津木千代

今月の短歌は白樺ようこさんの歌を取り上げました。お母さまを亡くされ、様々なお母さまとの思い出が脳裏を駆け巡ることでしょう。その一つに、お母さまが幼いころ、男の子のように”スケ”を付けて呼んでいたこと、そして呼んでいたころのお母さまはまだ若くはつらつとしていたことでしょう。その笑顔が姿が、作者の眼交に顕れてくる。切ないほどのリアルさがありますね。


元歌: たわむれにヨースケと吾を呼びくれしありし日の母若さあふるる
最終歌: ヨースケと吾をたわむれに呼びし母 眼交に顕つ母は若しも

(北里)お母様を偲ぶ歌ですね。「ようこ」という名まえを「すけ」を付けて男の子風の呼んでからかったのですね。ちゃっめけのある楽しいお母様だったことがわかります。「呼びくれしありし」がちょっとまどろっこしく感じます。「呼びし母」としても良いのでは。
(千代)三句目4句目あたりが、なんとなくもたもた感じがします。削れる語は削り、簡潔に表現をすると、私流に改作してみました。「たわむれにヨースケと母は吾を呼びぬ 眼交(まなかい)に顕つ母は若しも」
(しの)両親、親せき一同から男の子に生まれてくればよかったのにと小さな頃から言われていましたが、呼び名はお嬢でした。楽しそうなお母様だったのですね。

2018年9月6日木曜日

2018年8月の短歌と合評



担当:宇津木千代

 今月の短歌として、北里かおるさんの歌を選びました。ネット検索という現代風な言葉をもって、古風な”梅干づくり”を結び付けて上手く一首をしあげました。またその梅干づくりが、ずっと母親がしてきたもので、近年梅干づくりが出来ない状態になってしまった母親。病ゆえに梅干づくりの仕方も尋ねられず、ネット検索で取り組んでいる作者の姿が髣髴と浮かび上がってきます。
 

迷うたびネット検索頼りとす初挑戦の梅干づくり

(深沢)今は便利な世の中となり、私も料理の手順も含め何でもこの頃はよく検索をします。このような便利なものが無かった時代の継承の方法が良かったのかもしれません。良く理解できます。(北里)本当に便利な時代になりました。でも、たくさん持っている料理本は捨てられそうで捨てられずにいます。梅干づくりは母が長年続けていたのですが、ここ数年漬けることができなくなり、今年は私が少量ですが挑戦しました。本当なら母に伝授してもらいたいところなのですが、残念ながらそれは無理で…ネットに助けられました。おふくろの味もネット頼みになる時代です。
(千代) 三句め・・・とすが、口語短歌には硬い感じがします。頼りにするあるいは繰り返すでは?(北里)なるほど。変えます。

最終歌:迷うたびネット検索繰り返す初挑戦の梅干づくり