2015年10月5日月曜日

9月の短歌と合評

担当:白樺

今月は中井さんの歌をとりあげました。

雨に打たれ葡萄の房が汚れゆく なし崩される民主の条理 

理由は下の句の「なし崩される民主の条理」が少し引っかかったからです。
上の句ではきわめて具体的に事象を捉えていていますが、下の句で汚れてゆく葡萄を介して作者が表そうとしている理念が大掴みに概念的に言い切られているだけで心に訴えるというまでには至らないのが残念に思えます。雨に打たれ洗われるのではなく逆に汚れてゆくということは環境汚染等の社会現象の問題を提起して読者の批判に訴えようとしているようにみえます。太田青丘の「短歌開眼」の理念と具象の節で「・・・全と個の関係は、短歌における理念と具象の関係に押し広げて考へることもできようかと思ひます。すなはち理念は具象を俟ってその内容を充実し、具象は理念の裏付を得てその迫力を充うすることができます。・・・イデオロギー歌(理念歌・観念歌)が案外空疎な響きに終わり・・・自己の理念をいかに個々のものにおいて確かめ具象化するかに努力しなければならないわけです。」
このことはすべての短歌作者にとって大きなチャレンジであると思います。

(萩) 前半と後半は一見関係がないようにも思えますが、もしかして雨に濡れて泣いているのは国民かもしれませんね。安部政権はもう少し国民の声に耳を傾ける必要がありそうです。                                
(千代)なし崩しにされた民主のテーゼとはなにかを表現したほうが、読者を現実に引っ張り込む効果があるような気がします。「雨に泣く」という表現は、どうも感傷が勝るような気がします。ところで、なし崩しにするのは誰ですか?政府それとも民主党自体?                            
(北里)原発で被災した葡萄畑のことかと思いましたが、「民主のテーゼ」とあるので、ここでの「葡萄」には特別な意味合いを持たせていて、何かの比喩なのだとうと思います。そこから先は・・・。きっと葡萄が何か分かる人には意味深い歌なのだと思います。                                                       (白樺:「民主のテーゼ」と「汚れた葡萄の」関連性がよく分かりませんでした。



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