2015年3月1日日曜日

2015年2月 短歌と合評

担当;萩 洋子

今月は宇津木千代さんの一首を取り上げました。世界中の多くの人たちが驚愕した人質殺傷事件にやり切れない思いが随所に感じられます。結句の取り方は読者によって二通りに分かれるという意見があり作者もそのように言っていますが、言葉の表面だけではなくもっともっと深いところを見なくてはならないし、それを感じる心と目をを持ちたいです。この一つの事件だけでなく戦争や食べ物さえ手に入らず飢えて死んでいく人々、初等教育さえ受けられない人たちに無関心ではいけないのだということにこの一首は警鐘を鳴らしているかのようです。僅か31文字ですが鋭く現代社会を象徴していると思います。

*「血が凍る」・・・人質殺傷の戦慄と脱力感に・・・錦織を観る                   
(萩)どんなに悲惨なことが起きていても実際にその場にいない私たちの日常はこういうことなのですよね。人質殺傷事件のニュースの直ぐ後に楽しそうに集う若者たちのニュースが流れたりするのですから。いいと思います.                                                                                            (中井)最初、初句と結句のかい離を・・・で強引に繋げているようにしか読めませんでしたが、何度も読んでいる内にこの歌の凄さが伝わってきました。例えば『「血が凍る」人質殺傷 戦慄と脱力感に 錦織を観る』としてみましたが、当たり前過ぎでしょうか?皆さんはどう思われますか?     (北里)時を得た社会詠ですが、こういう話題を歌にするのはとても難しいですね。結句への転換は、受け取る側の気持ちを二分すると思います。私は錦織選手の試合を観戦することでしか、とりあえず気を紛らわすことはできない、と解釈しました  (千代:たしかに、萩さんと北里さんとでは、結句のとりかたが違っていますが、それはそれでいいのではないでしょうか。短歌すべてを作者の意図したとおりに読まれなくても、時には作者がびっくりするくらいに内容を膨らませて読者が理解してくれることもありますので、興味深いことですね。ここでは私の意図は北里さんの解釈に近いですが、萩さんの解釈にも一理があると思います。)                                                                                                                          (白樺:上の句はシリアで起こったイスラム国による人質事件のことでしょうか。恐ろしい出来事と全く反対な出来事とを結句で対比させる事で残虐な行為に対してやる術もない作者の諦めのような気持ちが伝わるようです。「」・・・の使用が新しい試みですが「」の中は作者自身の呟きでしょうか?千代:そうですね、「つぶやき」というよりも、人間にそこまでの残虐性があるのか、という戦慄に思わず感じた思いでした。“・・・”の使用は、言葉にならない思いを表したもので、全くの自分の思い付きでしたが、何かの冊子に出ていた高野公彦の歌に一箇所「・・・」が使われているのを見つけました。)

最終歌;「血が凍る」・・・人質殺傷の戦慄と脱力感に・・・錦織を観る


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