担当:北里 原歌;そがいより射しくる月の鋭き光 暗きわぬちの秘な照らしそよ
(千代:結句の「な・・・そ」は、禁止を表します。「・・・・しないで」ということです。) 宇津木さんの歌を取り上げます。前回、自分が担当した折も、宇津木さんの歌を取り上げ、その時は、「歌作りにおいて、古い言葉の個性を生かすか、読み手の理解を優先するか、難しい選択だ」と書きました。そのときは「しみらに」という言葉の意味がわかりませんでしたが、おもしろい言葉を一つ学んだと思い楽しくなりました。この歌は「わぬち」がわかりませんでしたが、今回は語感から意味を推測することができました。上代語に触れると、知らない言葉なのになぜか親しみを覚えます。まだひらがながなく漢字をあてていた万葉の時代、「恋」は万葉仮名では「孤悲」と表現されていたとか。興味がわきます。自分では上代語を使って詠えませんが、上代語に触れるのは楽しいと思います。学びの機会でもあり、解説もためになりました。
<合評>
(萩)“暗きわぬち”は“わぬし”(二人称の人代名詞。対等以下の者に、 親愛の気持ちをこめて用いる。おぬし。おまえ。)ではありませんか?辞書には“わぬち”という言葉はありませんでした。「な…そ」は、今はそっとしてあげてくださいませんか、、と穏やかな禁止を表しているように感じました。(我裡(わぬち):自分の心の内側:と短歌ことばで読ませています。部屋裡(へやぬち)とかいろいろ読ませます。“杳い“を「とほい」と読ませたり、”顕つ“を「たつ”と読ませたりしていることに通じますね。ようするに、万葉集とか古今集とかの上代の読みが残っているわけです。万葉集などでは調子を整えるためか、例えば舟の楫(かじ)を五音にするためか“か”だけにして読ませたりしています。意味より言葉の調子を大切にしたのでしょうね。でも漢字ですから、意味は通じますね。我裡(わぬち)は、今でも時々見かける使い方です。“へやぬち”という表現を美智子皇后の歌の中で読んだ記憶があります。しばらし、古語を使った歌をつづけるかもしれません。古いといえば古いのですが、現代の中でも古語を生かして、現代の歌としてどれくらい詠え、通じるのか、試したいのです。分かりづらいところもあるかと思いますが、私の試みご容赦ください。これからは説明を加えます」 (萩;説明を読んでよくわかりました。そういえば以前に漢字で「我裡」を使った歌を読んだことがありました。最終歌のように漢字の方が分かりやすいです。ふだん使わない言葉や見慣れない言葉は忘れてしまうことが多いので、こういう場でできる限り身につけたいです。) (中井)「そがい」は後ろを意味する言葉でしょうか。それでしたら「そがひ」が正しいのでは?(千代: ご指摘の通りですね。また間違えました。)「窓外」のことではないですよね。「わぬち」は「吾の内」でしょうか。古語でしか詠えない歌だという気にさせ、和歌の醍醐味を味わえる歌ですね。 (北里) 隠しておきたい秘密(具体的には分かりませんが)を月の光で露わにしないでほしいという内容を、上代語を使って美しく詠っていると思います。ときに、月の明るさは驚くばかりです。「そがい」は聞きなれない言葉ですが、「背向」と漢字にすると意味が伝わりやすいように思います。「そがい」と読まれない懸念があれば、送り仮名をふるのはどうでしょうか。「わぬち」はやはり古典の言い回しかと思いますが、「我内」なのか「我地」なのか、または他の漢字になりますか。 (千代:萩さんへの注釈をご覧ください) (白樺:古風な万葉調のひびきのお歌ですね。暗い心の秘密とは・・想像が膨らみます。)
最終歌;背向より射しくる月の鋭き光 暗き我裡の秘な照らしそよ