今月取り上げたい、これという特徴ある歌がなかったのですが、白樺さんの題詠歌を選びました。題詠の題材が面白かったのです。私の恩師は88歳で亡くなりましたが、病に倒れる2年前までは、あちこちと会合や講演に出歩いたり、本を書いたり休む閑なく何かをしていました。「もう少しゆっくりなさったら」という周囲の言葉に、いつも応えていた言葉は「いずれ永遠にゆっくりできるよ」ということでした。白樺さんの歌は、久しぶりに恩師を思い出させてくれました。講評を経て、推敲し、白樺さんが最終歌を提出されましたが、すでに”憩い”という言葉が墓石に彫り込んであるものを詠んだのなら、なぜ結句が疑問符で終わっているのでしょうか。この墓碑を造った人は、当然”終の棲家”としたのでしょう。そこで、私は、自分の墓碑を考えていて、「そうしようかな?」ということだったと、解釈したわけです。「・・・なさんとするらし」なら、他人の墓碑をみて詠んだ、ということがよく分かるのですが・・・。
*憩いとふことば墓石に刻みゐて終の棲家となさむとするや (萩)もう既に〝憩う“と刻んであるのですね。〝憩うということば”は少し説明的な感じがするので「墓石に憩うと刻み~~」というような始まりではどうかと思いました。
(千代)まだ墓石に刻んでいないわけですよね?これから刻むわけですね。「刻みゐて」は、おかしいです。例えば、「墓石には憩ひとふ言葉刻み置かむ終の棲家の表札として」
(中井)これはアメリカの異邦人(日本人)のお墓なのでしょうか。墓石に彫った言葉に自分の心を投影している様子がとてもよく出ていると思います。
(北里)日本では「終活」というのがちょっとしたブームです。生きている内から死んだ後のこと考えることは大切なことだと思います。自分は死んでアメリカの地に葬られることが考えられませんでしたので、この歌には覚悟のようなものを感じます。墓石の言葉としての「憩い」はもちろん英語でなのでしょう。(もも)「憩い」という言葉が墓石に刻んであり、その家が今生最後の住処だという意味だと思うのですが、これは主語が無いところを見ると主語は「吾」だと理解しました。
(千代)まだ墓石に刻んでいないわけですよね?これから刻むわけですね。「刻みゐて」は、おかしいです。例えば、「墓石には憩ひとふ言葉刻み置かむ終の棲家の表札として」
(中井)これはアメリカの異邦人(日本人)のお墓なのでしょうか。墓石に彫った言葉に自分の心を投影している様子がとてもよく出ていると思います。
(北里)日本では「終活」というのがちょっとしたブームです。生きている内から死んだ後のこと考えることは大切なことだと思います。自分は死んでアメリカの地に葬られることが考えられませんでしたので、この歌には覚悟のようなものを感じます。墓石の言葉としての「憩い」はもちろん英語でなのでしょう。(もも)「憩い」という言葉が墓石に刻んであり、その家が今生最後の住処だという意味だと思うのですが、これは主語が無いところを見ると主語は「吾」だと理解しました。
(白樺) “憩”という言葉はもう墓石に刻んであります。しかしそれは、私自身の墓石ではなく、まだ健在の日本の親類の人のものです。早々と十年以上も前に墓石にこの言葉を刻んでいたようです。あの世で憩うことを夢見ながらも現世でも趣味の写真撮りに歩きまわっているようです。
*憩ひとふ言葉墓石に刻みゐて終の棲家となさむとするやも
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