担当:北里
12月の詠題は「積もる」でした。原発の問題は深刻で歌にするのはつらく難しいと感じていますが、社会詠としてこういった歌も積極的に詠っていかなくてはいけないという思いがあり、中井さんの一首を選びました。現在もなお多くの方々が震災や原発の問題で苦しんでおられる現状の中、つい先日も原発周辺の除染作業で生じた土壌や落ち葉を川に流すなど、一部業者の手抜きが問題になり、憤りを感じました。
中井さんの最終歌は、読み仮名を省いたことでとてもすっきりしました。「瘡蓋」は傷が治るに従ってできるものではありますが、この歌の場合、瘡蓋のもつイメージを「時の間の瘡蓋」として表現したことで、上手く言い得ていると思います。
中井久游
(原歌)野積みさる除染の土のあてどなく時間(とき)の間(はざま)に瘡蓋(かさぶた)となる
(萩)こちらも読み仮名は必要ないと思います。“瘡蓋”は治るに従ってその上に生じる皮で、目に見えての改善が期待されるような言葉だと思いますが、除染の土は現状では二進も三進もいかない状態なので“どうにもならない、未来が見えない”というニュアンスの言葉の方がいいかと思いました。誰もが持っている早く解決してほしいという願望を前面に出すために“瘡蓋”としたのかもしれませんが。
(千代)“野積みさる”の“さる”は、“される”の古語として使ったのですか?この受身などの場合は、古語も口語も同じなのでは?“時間”と書いて“とき”と読ませるより“時”でいいのでは。特に“時”の“間”は、時間なのですから。“間”も苗字なら“間(はざま)組”などありますが、“間”は、“あはい”か“ま”と読みますから、“時の間に”で十分だと思います。もし“はざま”を使いたいのなら“狭間”でいいのでは?(中井)「さる」は、常用漢字表にない音訓として「為る」として「動ラ下二」で「される」と同じ「する」の受身形として辞書にありました。時間(とき)の間(はざま)は、おっしゃる通り“時の間に”で十分ですね。
(北里)本当にこの問題はどう処理されるのでしょうか。米軍基地のことも同様に、みんな自分の所だけは安全であって欲しい、人間心理として分かりますが、今の日本、痛み分けがなさすぎるように思います。「時の間の瘡蓋」となって欲しくないです。良い切り口だと思います。
(もも) これは、放射能で汚染された土のことを詠んでいるのですね?
(白樺:現在の大問題をうまく社会詠にしたお歌でよいと思います。除染されたといっても放射能は気が遠くなるほどの時間が経たないとなくならないと聞きます。汚染土はただ一箇所から別の一箇所へと移動されただけなのです。その点を「時の間に瘡蓋となる」という表現でうまく捉えられていると思います。)
(いずみ:心痛みます。まだまだこれから…長い時間をかけて少しずつ…再生…瘡蓋はいつになったら元のようになるのでしょうね。人間の皮膚のように…。)
(きぬ)瘡蓋とは上手い表現ですね。「時間の間」の部分がピンと来ませんでした。どういう意味を詠われているのでしょうか。
(最終歌)野積みさる除染の土のあてどなく時の間に瘡蓋となる
(最終歌)野積みさる除染の土のあてどなく時の間に瘡蓋となる
追伸:先日、「生き抜く 南三陸町人々の一年」というドキュメンタリー映画」を見ました。東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を、大阪毎日放送が、地震発生の28時間後から1年にわたって撮影し続けたもので、深く胸に迫るものがありました。機会があればぜひ一度見てください。
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