2012年10月15日月曜日

作歌上の用語のこと


短歌雑誌、角川の「短歌9月号」の中に ”作歌上の用語のこと”として佐藤佐太郎の弟子でもあった秋葉四郎は「・・・・・・・・言葉の選択に何を基準にするかは、その人の歌論によります。例えば、私は「現代短歌写生」論という歌論を持っていますから、その中に明言しているように、用語についても、知的より感覚的、奇抜より率直、華美華麗より素朴真実、複雑より単間、軽より重、冗漫より抑制を重んじます。小鳥が「歌う」より「鳴く」を重んじ、蝶が「舞う」より「とぶ」を選びます。この逆の考えもありましょう。要するにしっかりとした歌論の裏付けによってきまることです。・・・・・・・」と言っています。私達の日ごろの歌作を省みるよりチャンスです。以上のことを参考にしながら、次の作歌に取り組んでみたいですね。 

2012年10月3日水曜日

2012年9月の短歌と合評

担当:中井

この歌は四句切れと解釈した方がいいのですね。「微かにはずむ吾は裏」として、自分の声が弾んでいると解釈したのでちょっと違和感があったのですが、千代さんの説明のように相手の弾んだ声に自分もちょっと合わせたような声を出した、ということならば納得できます。
 
宇津木千代

(原歌)ある人の変死伝ふる人の声微かにはずむ吾は裏声

(萩)人間の持つ怖い一面を見るようです。″吾は裏声″は、言葉も出ない状況だ。。。と解釈していいのでしょうか。 

(千代:“裏声”とは、技巧的な発声という意味がありますが、自分も興味津々でありながら、作った同情の声を発している、ということです。相手も相手なら、自分も自分である、という人間の一面を言いたかったのです。)

 
(中井)「はずむ」は「弾む」だと思うのですが、楽しいとき嬉しいときに用いる言葉と理解しています。それからすると、この歌の場合はミスマッチだと思いますが・・・。
(千代:これは有名なエピソードですが、盤珪という乞食をしていたお坊さんがいました。ある時盲目のお婆さんが、乞食である盤珪さんの声を聴いて、「この人は只者ではない」と言います。皆はただの乞食と、思っていましたので、びっくりして、なぜか問います。その盲目の老婆は、「大概の人は、人の不幸を語るときには、その裏で喜んでいる。人の幸せを語るときには、嫉妬や羨みが声色にでている。でも盤珪さんだけは、人の不幸を言う時には、本当に悲しい声を出し、人の幸せを言う時には、本当に嬉しそうに言う。」 ということでも “はずむ” という言葉を使った私の歌意は理解出来るのではないでしょうか。これは皮肉でもなんでもなく、もし、中井さんが理解できないのであったら、中井さんも盤珪さんのように、本当に心が純粋で、世の中の人間の暗い部分を持っていない人に思えます。

  
(北里)「ねぇ、お聞きになった?」人の死が話題だというのに、その声がはずんでいる。変死ということできっと興奮していたのでしょう。それに対応する自分の声も「まぁ、何てことでしょう。」と裏声でどこか空々しい。人間の性に対する示唆にとんでいます。大変おもしろい切り口で、「変死」が効いていると思います。

(白樺)ミステリーを読むようで少し趣向のかわったお歌ですね。

 
(もも)ある人が変死したとの知らせを聞いたときに自分の声が「はずんだ」のはどうしてでしょうか。 私も芸能人の変死をニュースで知った時、「えーーー?!」と興味本位で声を弾ませてしまったことがあります。

(きぬ)衝撃的なニュースに双方共声も上ずってしまったのですね。悲しいニュースは辛いですね。

(最終歌)ある人の変死伝ふる人の声微かにはずむ吾は裏声