西行が明恵の夢の中で次のようなことを打ち明けたと、白洲正子は書いています。「この歌、即ち是れ、如来の真の形体なり されば一首詠み出でては、一体の仏像を造る思ひをなし 一句思ひ続けては 秘密の真言を唱ふるに同じ 吾 此の歌によりて 法を得ることあり」 ずっと以前、円居短歌会の歌集で書いたことがありますが、なぜ日本には”道”とつく、いわゆる習い事があるのか、私達は歌道の道を共に歩いているわけですが、欧米や他のアジアの国々のように宗教が生きる指針となっていないからではないか。その代わり”華道””茶道””書道”などと道の付いた多くのものがあり、その道を歩むことで、自分を律し、磨き生きる指針としているのではないか、というような内容だったと思うのですが、上記の西行の”作歌”の態度を読むと、まさしく仏道の具体的な表出が、歌そのものになっているように思えるのですが、如何思いますか?もちろん、今、短歌は10人居れば10通りの作歌観があるとは思いますが、小手先で作っている歌と、命を吹き込んで詠っている歌とは読者に与える感動は違ってくると思います。自分の歌を評価する時に、”この歌は百年後にも生き残るだろうか”という基準で見よと、よく師に言われましたが、それほどの歌は一生をかけても一首できればいいですね。
西行が生きた十二世紀は、現代と比べて宗教というものがまだ生きる指針として強く人々の間にあったと思います。一方、歌道、華道、茶道というものは、その当時ごく少数の貴族や僧侶などの上層階級だけにかぎられていたので、その他の一般人は、はたしてどの程度それらを生きるよろどころにできたかと疑問です。あくまでも私見ですが、近代、現代の日本では宗教観というものが薄れてきているように感じます。その見返りに現代一般人は歌道、華道、茶道等を、ある人々は楽しみとして、もっと真剣な人々は生きるよりどころをみつけるためにそれらの道を歩んでいるのではないでしょうか。しかし、華道、茶道等はそれ自体に宗教性というか自然観のようなものが中心にあるので、それ自体が宗教といえなくもありません。漢学者で歌人の太田青丘の「短歌開眼」に次のようなくだりがあります。「うまい歌、表現技巧のことは、短歌も文(あや)であり芸曲(テクニック)である限り、意を用ふべきはいふまでもないが、これに溺れて、こころにひびかぬ歌、いのちに触れぬ歌に奔走してゐるだけではならない覚悟をしなければならない」は、上記のトピックスの内容にも共通するものでしょう。
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