河野裕子
河野裕子の絶詠は「
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」であるが、この歌は死の前日に詠まれたものだそうだ。歌が命、命が歌にまでなっている。5,7,5,7,7に潜む魔。まるで息をはくように、口から出る言葉が韻をもち、リズムに乗っている。全身心がこれ短歌になっているすごさを感じないわけにはいかない。日本にいる私の歌の先輩は、いつも「歌をやめてはだめよ。何が何でも続けなさい」と言い続けている。そして「私の晩年にもし歌がなかったら、どんなにつまらない晩年になっていたことでしょう」とも言っている。歌に潜む魔力は何なのだろうか。忙しいから、気分が乗らないから歌はできない、というような私たちレベルではない。詠まずにはいられない、命があるのであろう。私ももっと自分の命レベルで歌と取り組んでいきたい。
詩歌でも小説でも生と死のはざまを底に抱いたものは、心に訴える力のようなものを感じます。先達が言い残した「歌はすなわち生きることである」というのもうなづけます。何も見えなく、聞こえなく、感じなく、考えなくなればそれは死んだも同然ですからね。とえらそうに言っても、私が今生きているもどってこない一瞬一瞬を大切にと頭で分かっていても、つい時間がのらりくらりとすりぬけていってしまうようなこともあります。短歌を詠むことは、今生きているということを思い起こさせてくれて、自分と真正面に向き合わせてくれるものと思います。
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