2022年2月7日月曜日

2022年1月の歌

 担当:白樺ようこ

今月は北里さんの歌をとりあげました。


原歌:白昼の住宅街に北キツネ堂々とゆく姿たくまし

最終歌:白昼の住宅街に北キツネ何か銜えて悠然とゆく


北キツネを街に目撃した作者はその様子を主観的に 堂々とゆく姿たくまし” と直接的に表現しています。作者の気持ちは理解はできますが、説明的になってしまい歌としてのイメージが弱くなってしまいました。一般的に説明的表現は、読み手への印象が間接的になります。主観の具体化、形象化ということを工夫すると歌により深みが出て読者の感動が増します。

最終歌では下の句がクローズアップ的手法で少し焦点が絞られましたが、まだ曖昧さが残っているようです。印象の鮮明化をより工夫されるとよいお歌になると思います。


千代)結句で結論を出してしまっているので、読者にはああそうかの歌になってしまうのではないでしょうか?結論は読者が出すもので、結論がでていると歌にふくらみがなくなってしまいます。それに堂々とで、すでに逞しい姿はでていますね。例えば、堂々ととゆくわき目もふらず、とか、尾をあげて、とか、車がよけて、とか。

(白樺)かっては北キツネの生息地であったところが住宅街になって住処を人間に奪われてしまったキツネはせめても堂々と闊歩するのは当然かもしれませんね。人間の残虐さに気をつけて。結句を客観描写すると歌がより生きてくるようです。(北里)私には堂々と見えましたけれど、キツネは恐々で悲しい気持ちかもと思ったりします。