担当:深沢しの
全米どこでもそうかもしれませんが、テキサス州にも鹿が多く、郊外に行くと夜の走行などは、特に動物との接触事故等で動物を傷つけはしないかと思うことが多々あります。日常生活の中で深く関わりがあり自分で理解しやすかったので今月は宇津木さんのこの歌を選びました。
原歌:夜も更けて車の前に飛び込みし手負ひの鹿のゆくへ思へり
講評を受けた作者が理由説明をしている文章(講評をする時には、自分がもっている言葉の概念をとっぱらうことが、第三者の短歌を理解するうえでとても大切なことです。講評は、いとも簡単に片づけるのではなく、深く作者の思いに添って理解することが肝要です。常に自分が持っている言葉の概念に照らして理解しようとするのではなく)という文から我が身を振り返り、自分がこれから講評する時に心掛けなければいけないことを深く感じました。
固定や隔てという概念を自分にはあると気づき「ない」を知りませんでした。その驚きに何にか気分が解放された思いがありました。私のそれにどう反応するだろうと自分の状態をみて、相手の状態を知ろうとすることが必要であること。「歌を詠む前」と「歌を詠んだ後」隔ても固定もなく概念を照らし合わせることなく、それらの状態をよく見てみないと見えない私には、作者の「思いに沿って理解する」ということには、まだまだ勉強が必要であると感じました。
(北里)その後の鹿のことが気になりますね。車は大丈夫だったのかも気になります。「夜も更けて」は結句の「思う」に掛ると思いますが、少し離れ過ぎではないかなと思います。(千代)違います。夜も更けては、状況を示したわけで、読者が真っ暗だ、鹿がでるくらいだから、きっと自然の中だろう、という想像ができることの補助的な役割を表しています。思う、にかかりません。)
(白樺)動物が人的行為で傷ついたり死んだりするのは本当に心が痛みます。車と衝突したインパクトが出ると臨場感が強まるようです。
(深沢)こちらでも頻繁に起こることなのですが、やはり怪我をした鹿のことが気にかかります
最終歌: 夜も更けて車の前に飛び込みし手負ひの鹿のゆくへ思へり