2015年11月1日日曜日

10月の短歌と合評

 

担当:宇津木

  今月の短歌は、深沢しのさんの歌を取り上げました。 深沢さんは、今月は臨終に間に合わなかった、亡くなられた友について、三作連作の挽歌を詠みました。取り上げた三作目の下記の歌に、耳が遠くて看護師さんの言葉が理解できなかった故に、きっと看護師さんは筆談で、病む友達を看護してくれていたのですね。亡くなった後、病室を訪れた作者の目に飛び込んで来たのは、きっと最後の筆談「体拭きます」という一枚のメモ、本当に切なかったことだと思います。でもその感情は出さずに、残されていた一枚の筆談メモ「体拭きます」という言葉で、その悲しみを象徴しているように思えました。
 

*耳遠き友の枕辺看護士の体ふきますの筆談残る
(中井)挽歌ですよね。これだと亡くなったという事が分かりません。「看護士の”体ふきます”の筆談を残して逝きし友の枕辺」耳が遠かったことは言わなくてもいいと思います。
(千代)とてもいい一場面を切り取れた、と思います。男性の看護士だったのですか?もし分からなかったら「看護師」にしたほうが、いいのかな、と思います。「看護師の「体ふきます」の筆談メモ 逝きし耳病む友の枕辺に」としてみましたが、あまりスムースではないので、推敲してください。短歌は削り削りつつ、でも必要な言葉はしっかりと入れなければならないと思います。もちろん、私自身にも言えることですが。
 (北里)三首とも同じ方のことを詠っているようですね。筆談という具体があって良いと思います。挽歌としての提出ですが、この一首だけを見ると、ご存命とも受け取れます。挽歌としてなら、亡くなられたことが分かる表現があるといいですね。
(白樺)具体的な表現でよいと思います。挽歌とするならば亡くなったということがわかる言葉を入れるとよいのでは。

(最終歌)看護師の体拭きますの筆談メモ耳病みし亡き友の枕辺